ダニエル・パイプス氏は、過去35年間、イスラームを研究してきた。フィラデルフィアのシンクタンクである中東フォーラムを率いている。12冊の著書の中で4冊はイスラームに焦点を当てている。2003年、ブッシュ大統領は米国平和研究所の理事に彼を指名した。
2001年9月11日の何年も前に、パイプス氏は戦闘的イスラームがアメリカの治安にとって暴力的な脅威だと警告を発した。1998年の『欧州版ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に、彼は書いた。戦闘的ムスリムがアメリカと戦時下にある。何かをアメリカがしたからではなく、イスラーム主義者達が西洋の諸価値との長期的な対立のうちにあると自らを見なしているためである、と。
パイプス氏は、過去数年の巨大な出来事が、アメリカのユダヤ人にとって、あまり好ましからざる時代の到来を告げたのかもしれないと、強く主張している。「アメリカにおけるユダヤ人の黄金時代は1950年に始まりました。大学、銀行、ビジネス、クラブなどでの社会的制約が緩和された時です。この期間は、今やアメリカのムスリム人口の増大と共に、終わりになっているのかもしれません。共同体の内部で、アメリカのユダヤ人を主なる敵だと見なす重要な諸要素があります。彼らは、イスラームの失敗の原因はユダヤ人だと認めています。これに逆らうため、どのようにムスリムが考えるかという理解を、ユダヤ共同体は大きく発展させる必要があるのです。特に、彼らのもっと過激な諸要因、イスラミストとして知られる戦闘的イスラームの支援者達のことです」。
「何人かのアメリカのムスリム達は、特にユダヤ人に対して暴力に訴えてきました。一例は、1994年のレバノン系タクシー運転手による攻撃です。イスラエルのバールーフ・ゴールドシュテインの虐殺後、殺すためにユダヤ人を探しに出かけたのです。彼は、ブルックリン橋でハシディームの少年達をいっぱい乗せたワゴン車を射撃して終わりました。そのうちの一人を殺して」。
ムスリムの憎悪という問題は、合衆国に限られたものではない。既に1992年、パイプス氏は、世界のユダヤ人にとって「ムスリムの反セム主義は増大しつつある問題で、かなりの程度まで、西洋における、これまでになく増加中のムスリム人口と、これは連携している」と書いた。今、彼は付け加える。「ムスリムから浮上しつつある反ユダヤ憎悪の型と直面することに対する、メディアや教育施設における欧州連合の不本意さは、数十年来のものです。ヨーロッパ人達が、この問題と充分に対決する勇気を持つことは恐らくないだろう、とあらゆる指標が示唆しています。恐らくは50年前のムスリム諸国からの出国のように、欧州からの大量のユダヤ人出国が期待されるかもしれません」。
事実と虚偽
パイプス氏は、ユダヤ人その他がアメリカのムスリム共同体における発展に関して何を理解しなければならないか、もっと詳細に説明する。「多くのアメリカのムスリムは、合衆国が受け入れてきた他の移民集団とは異なっています。アメリカ社会は、この集団の大部分を吸収することができないかもしれません。穏健なイスラームは、世界の大半の場所で急進派達に立ち向かっていません。その結果、合衆国が彼らと対決しなければならないのです」。
パイプス氏は、合衆国のムスリムは非常によくやってきた、と強調する。抑圧された集団だと示すことは、さまざまなムスリム集団によって促進された誤謬である。彼が言うには、これらの誤った知見が、2000年初頭に、アメリカのムスリムは「差別」と「不寛容」の対象となっていると、ビル・クリントン大統領が述べたことにつながった。同年、上院は「ムスリムへの差別と嫌がらせ」を非難する決議を通した。
2000年、この主題についてパイプス氏は「ムスリムのアメリカ人は犠牲化されているか?」と題する論考を『論評』誌で書いた。「社会経済学の用語で、確かに、ムスリムはアメリカにほとんど欠点を見出すことはできない。彼らは国内で、いかなる集団よりも最高の教育比率を誇っている。まさに52パーセントが修士の学位を保持しているようだ。そして、これが特権ある有利な雇用の型に換算される。移民のムスリムは専門職に集中する傾向にある。特に医学や工学だ。あるいは企業家である。そして、彼らの収入は米国平均より高額であるようだ。今年、彼らの平均世帯収入は6万9千ドルであると言われた。ムスリム雑誌は、贅沢な邸宅、威厳のある車、すてきな宝石類の広告で満載である。そして、少なからぬムスリムが、襤褸から金持ちへと言う典型的な移民の成功物語を全うしてきたのだ」1。
その論文で、パイプス氏は、ムスリム系アメリカ人共同体における多くのビジネス大立者のリストを挙げた。「ムスリムのアメリカ人は誇り高く、自分達が『地上で最も金持ちのムスリム社会』だと述べ、それは正しい」と追加した。
パイプス氏はまた、メディアが一般的にイスラームとムスリムを肯定的に扱っているとも言及した。そして、モスク建設のために、時折、非ムスリムが献金する共同体でモスクが歓迎されている、とも。イスラーム祈祷がアメリカの勤労習慣とは容易に合致しないという事実にも関わらず、多くの工場がどのように対応しようとしてきたかを、彼は強調する。2000年の世論調査で、66パーセントの合衆国内のムスリムが「米国社会は現在、ムスリム信仰に対して敬意を示している」という主張に合意したと、パイプス氏は言及している。
パイプス氏は書いた。「合衆国で受け入れられるためのムスリムの努力は、特に難しいものではない。というのは、開明的なアメリカ人達が、イスラームを理解しよう、ムスリムを肯定的に描こうと、一貫した努力をしているからだ。この結果は、過去の偏見にまつわる罪悪感に加えて、多文化主義者の推進力の結果である。ユダヤ系とクリスチャンのグループは、しばしばムスリム団体に加わって、彼らが先入観だと見なすものと戦っている」。非ムスリムの弁護士は頻繁にムスリム被告人に公共善のサービスを提供し、非ムスリム機構は資金が利用できるようにする、と彼は追加する。
将来の攻撃
この文脈で、急進派ムスリムの動機や世界思想を理解することが重要だ。パイプス氏は、イスラミストを、イスラームがあらゆる問題への解決だと信じる人と定義する。「アメリカでは、イスラミストとは、憲法をクルアーン2で置き換えることを欲する人だと言えます。ファシズムとマルクス・レーニン主義と共通するものが多い全体主義運動です」。彼は、世界中で約10-15パーセントがイスラミストだと推計しているが、それは1億人をかなり越すことになる。その比率は恐らく、合衆国のムスリムの中で同じ桁だろうと、パイプス氏は付け加える。
彼は予測する。「イスラミストによる対アメリカ人攻撃がもっとあるでしょう。自信を持って言えます。なぜならば、あまりにも多くの兆候がこの方向性を指し示しているからです。これらの急襲は人々を目覚めさせるでしょう。殺人者による教育と私が呼ぶ、一方向のプロセスになることを期待しています。もっと多くのアメリカ人が懸念することさえ、本当に期待しています。反対に、私は多くの人々がこういうのを聞きたくはありません。『そうだね、戦闘的イスラームの脅威について、かつては心配していたものだが、もはやそうではない』と。時が経つにつれて、もっと多くの出来事が起こるにつれて、彼らの査定はもっと現実的になるでしょう」。
「イスラミスト達が危険なので、彼らに対抗して使われる手法は、通常は合衆国のように反体制派達に適用されるものであるはずがありません。しかしながら、合衆国の一般人の多くは、これらの事項を議論する準備ができていません。もし、この話題を切り出すならば、マッカーシズムと非難されます」。
「一つの小さな気づかれた展開は、戦争宣言に関するものです。これはかつて軍事の一部でしたが、第二次世界大戦以来、ひとたび軌道に乗った法的機関に沿って、現存しなくなりました。ブッシュ大統領が、我々は戦時下にあると言う時、それは政治的声明であって、法的なものではないのです」。
主要な決定要因:イデオロギー
パイプス氏は付け加える。「アフガニスタンの丘陵地のみならず、アメリカ社会の内部にも戦闘的イスラームが現存することについて、徐々に気づきの展開が見られます。これは、我が国の歴史において未曾有のものです。合衆国は一度も内部でファシズムや共産主義と真剣に向き合ったことがなく、欧州は向き合うことを強いられたからです。アメリカ人達は確かに一度も、イスラミスト達に並ぶイデオロギー的な源泉から来る危険を経験しなかったのです」。
「アル・カーイダに焦点を当てることは、二重に筋違いです。第一に、現実の組織よりは、むしろ傘下集団です。第二に、ずっとより侵食した意識という兆候です。イデオロギーが鍵なのであって、組織ではありません。このイデオロギーは、それ自体一つの勢力で、社会経済的な諸条件の結果ではありません。例えば、マーシャル・プラン型の応答を通して、それが解決されるはずがありません」。
「戦闘的イスラームは、キリスト教、ユダヤ教あるいはヒンドゥ教のどの部分とも比較することはできません。これらの諸宗教は、世界覇権を求める全体主義的なユートピアのイデオロギーを有する集団を体現していません。事実、戦闘的イスラームは、どの宗教運動よりも、ファシズムと共産主義に似ているのです」。
「私達が目下できる全ては、さらに悪いことがやって来ることに自ら備えることです。雄弁さと明敏さがチャーチルを大英帝国の首相にしたのではありません。そうしたのは、フランス*の陥落でした。似たやり方で、戦闘的イスラームの脅威を警告している人々は、フランス型の陥落という大惨事が結局は起こるはずだとなるでしょう」。
「保守派はますます、何が合衆国を体現するかを理解するバックボーンになってきました。国家は、その義務が何か、アメリカ人であるとは何を意味するかを体現します。ユダヤ人は伝統的にリベラル側の政治範囲にいたものの、今では多くがより保守派になっています。それにも関わらず、穏健な民主党員がますます左派へ移動するので-デニス・プレーガーが指摘するように、リベラルと左派の間の相違を見ることは、この時点で困難です-その問題の一部の左派側に多くのユダヤ人がいます。彼らは合衆国を'テロ支援国家'と見るのです。そして、決して軍隊で応答して欲しくなく、開かれた国境を要求し、概して自分の国を卑下したがるのです」。
油断のならない学術機関
パイプス氏は、大学での展開を特に懸念すべきことと考えている。「学術機関は、重要な諸問題についての討論を閉ざそうと試みています。メディア、政府、シンクタンク、さらに地方自治体よりも、自由な意見交換にあまり開かれていません」。折に触れて効果的に団結する地回りの人達より、大学人達はもっと狡猾に働いていると、彼は書いてきた。パイプス氏は、これを次のように定義した。「彼らは表面的には丁重さを維持している。しかしながら、時々、彼らは不寛容という本当の顔を露わにする。この典型的な一例は、モントリオールのコンコーディア大学で、前イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフ氏が語ろうとするのを、ミニ・インティファーダ3 が妨害した時だ」。
パイプス氏は、カナダで幾らか似たような経験をした。2003年1月、トロントのヨーク大学で、中東学生協会が一時的に、「中東における平和への障壁」と題する彼の講演をキャンセルするのに成功した。しかしながら大学の学長が、パイプス氏が見解を提示できるよう決断した。だが、彼の講演は、部分的に仕切られたバスケットボールのコートでしなければならなかった。その反面、キャンパスの大部分は遮断されたのだった。講演の前に、あるカナダ人の政治家が、パイプス氏に警告する必要を感じた。ジェノサイドを促進するような公の声明は、刑務所で数年間罰せられるかもしれない、と。学生達のみが、その講話に出席を許された。そして、一日前にチケットを買わなければならなかった。
カナダの日刊紙『ナショナル・ポスト』に掲載された論考で、パイプス氏は書いた。「私の講演を閉め出す試みもまた、言論の自由に対する特定の敵意の源泉を確証した...彼らは、常に比類無く、極左、イスラミスト、反イスラエル活動家の出身なのだ」4。彼は続けた。「私のヨーク訪問は、北米の大学が'自由という海に浮かぶ抑圧の島'になってしまったことを、あたかももっと証明する必要があったかのようだと確証している」。この問題は、新聞の見出しで、それとなく、しかし簡潔に捉えられた。「親イスラエルの学究人による講話を許すヨーク大学」と。
パイプス氏は、2004年初頭にも、カリフォルニア大学バークレー校で似たような経験をした。彼は、そこで話すよう、イスラエル活動委員会とバークレー・ヒレルに招待されたのだった。数十人の過激なムスリム学生達が、「人種差別主義者」「シオニスト」と繰り返して、彼が語るのを妨害しようとした。パイプス氏は何度も止めさせられたが、彼が大学キャンパスに招待される時のみ、厳重なセキュリティが要請される事実と同様、その非民主的な振る舞いを指摘しつつ、度々、抵抗者達にさえ語った。
彼は説明する。「大学は、長い間、多くの国々で左傾化してきました。例えば、日本でもです。多くの学生達は、そこで騒々しい年数を過ごし、その後、もっと根付かせるようになるのです。大学の知見が、どれほどあまり社会に影響しないかは顕著なことです。しかしながら合衆国では、大学から発する左派の考えが社会に浸透しています。一つの有名な領域は、司法制度でしょうか。そこでは、プライバシーの権利や契約の意味のような多様な概念を転換しているのです」。
「多くの大学人達は一般に語ります。ムスリム戦闘派との問題は、イスラームとは関係がないというように。これが、過激なイスラームと対決することをもっと困難にするのです。2002年に中東フォーラムが設立したキャンパス・ウォッチは、戦闘的イスラームを護教し、イスラエルの破壊を要求し、テロの責任を我々自身に負わせる大学人達を暴露しています。キャンパス・ウォッチは、中東研究の専門家達が何を言い、何を書いているかに注目を呼びかけています」。
弱い穏健派
この背景に対して、パイプス氏は特に「穏健派イスラームの声がほとんどないこと」に遺憾を表明している。「しばしば彼らは怖じ気づけられ、うまく組織化されず、後退しています」。戦闘的イスラームは破壊され、ファシズムや共産主義のように周辺化されなければならないと、彼は信じている。そして、数十年かかるかもしれない一過程だと見ている。この努力の一部として、穏健で反イスラミスト版のイスラームを構築したいと欲している人々を援助していると、彼は言う。
「全体主義的な急進派達に対抗して立ち上がれない地元の穏健派という、多くの歴史的な慣例があります。穏健なドイツ人達は、ナチズムに対抗して闘うのに、ほとんど役立たずでした。彼らができたことの全ては、ドイツを征服してナチ政権の痕跡をなくすことによって同盟諸国が達成したものを受け継ぐことでした。同じことが、アフガニスタンで起こっています。北部同盟は、かつてアメリカ人達がタリバンを追撃したものを引き継ぐことができただけでした」。
「肯定的な発展もまた、イスラーム世界で起こるかもしれません。例えばイランは、諸政策を激的に変えることができ、穏健な政権にもたらすことができました。25年間、戦闘的イスラームに苦しむ一方で、経済的には発展しませんでした。将来のある時点で、イランがフランスよりももっとアメリカの一同盟になるかもしれないと考えることは、それほど馬鹿げてはいません」。
「ヨーロッパ人達は、出生率の低さで、イスラーム諸国から移民を引き込みました。諸要因が示唆することは、欧州が徐々にムスリム世界の一部になりつつあるということです。フランスのある地域は、警察が立ち入ると危険なエリアです。イタリアでは切断された肢体が現れる事例もあります。ドイツはイスラーム法の側面を強要しています。スカンディナヴィアでは女性達の'名誉'殺人が再発しています」。
可能な発展
パイプス氏は、改宗者と権力を求めて競合するので、キリスト教とイスラームは、そのまま進めば恐らく衝突するだろうと考えている。「イスラームがジハード5を説教する時、攻勢にあります。ジハードの意味は、非ムスリムによって支配された領域を犠牲にして、ムスリムによる領土支配を拡大することです。この領域拡大が、常にイスラームにとっての中心だったのです」。
「現代のジハードはテロの主要な源泉で、世界中で暴力キャンペーンを鼓舞してきました。ジハード団はエジプト大統領アンワール・アル・サダトを1981年に殺害し、インドネシアで1万人以上のクリスチャンを殺戮しました。そして、恐らくそれが、スーダンにおける200万人のクリスチャンと精霊信仰者達や、カシミールやイスラエルにおける暴力の主因だったのです」。
この紛争にも関わらず、パイプス氏はイスラームが全ての推進力だったとは見なしていない。「世界全体では、少なくともイスラームと同程度に、キリスト教が急速に成長しています。キリスト教はもはや、欧州や北米の主要な宗教ではありません。キリスト教の活力の中心地は、今やアフリカ、ラテン・アメリカ、そしてアジアです」。
将来の展開について語る時、彼は言う。「不幸にも、合衆国は、アフガニスタンやイラクでのように、世界の他の諸地域で、もっと似たような重荷を背負う必要があるでしょう。なぜならば、他の誰も関与したがらないからです。もし、我々が欧州の自己嫌悪の弱点に続くならば、破滅的でしょう。それ故、合衆国は、宥和政策から離れて民主主義を率いる以外に、他に選択がないのです。これは、合衆国に対する主要な敵意を意味します。既に避けられずに存在しているものですが、さらにもっと強力になるかもしれません」。
急進派が仕切ってしまった
彼は警告で締めくくる。「これらのことを言う時、自分が前方からあまり離れてはいないことを、必ず確かめる必要があります。9.11前に書いた原稿が私のコンピューターにありました。例えば、『危険は内部に-アメリカにおける戦闘的イスラーム』6と題するもので、後になってやっと出した論文です。その中で私が述べたのは、'組織化された'アメリカのムスリム共同体の大半が急進派達の手の内にあったこと、そして、合衆国をイスラーム国家へと転換するというイスラミストの目標と合致したことです」。
「私は、比較的小さなアメリカ・イスラーム最高評議会の穏健なムハンマド・ヒシャム・カバニを引用しました。カバニの信頼できる推計では、このような'急進派達'は合衆国のモスクの80パーセントを乗っ取ってしまったというのです。モスクだけではありません。学校、青年グループ、コミュニティー・センター、政治組織、専門職協会、 そして営利事業もまた、戦闘的イスラームの見地を共有する傾向にあります。それは、合衆国で普及している秩序に敵対的で、イスラーム的秩序に置き換えようと唱導しています。もし、この論文が9.11前に出ていたならば、常軌を逸しているとして却下されていたでしょう」。
初めは公表したくなかったこの論文で、パイプス氏は書いた。「この国のムスリム人口は、他のどの集団とも似ていない。というのは、オサマ・ビン・ラディンの機関よりも何倍も多くの人数の中に、合衆国への憎しみや、戦闘的イスラームの弾劾下で暮らす国民へと究極的には転換する望みを、自爆ハイジャッカー達と分かち合う実質的な人々を含んでいるからだ。9月の残虐行為に責任はないものの、この国にとって、緊急で真剣な留意を是認する計画を彼らは心に抱いているのだ」。
* 訂正:フランスではなくノルウェー
注:
1. 2000年11月号『論評』ダニエル・パイプス「ムスリムのアメリカ人は犠牲化されているか?」
2. コーラン。ムスリムによってムハンマドへの神の啓示を含むと考えられたイスラームの聖なるテクスト。
3. パレスチナ蜂起。
4. 2003年1月30日付『ナショナル・ポスト』ダニエル・パイプス「我々の大学における腐敗」
5. ムスリムの聖戦。
6. 2001年11月号『論評』ダニエル・パイプス「危険は内部に-アメリカにおける戦闘的イスラーム」
・このインタビューは、マンフレッド・ガーステンフェルドの出版予定の書(仮題)『アメリカのユダヤ人の挑戦-21世紀に向けて』の一部となろう。これは、ピュー慈善トラストによる「アメリカの公共空間におけるユダヤ人」企画の一部である。
--------------------------------------------------------------------------------
2007年6月9日追記:著名な英国の弁護士であるアンソニー・ジュリウスが、私と似たような言葉を使った。「1940年代や1950年代に生まれたユダヤ人は黄金期を生き抜いてきたが、ユダヤ人に関する狩猟禁止期が今や終息したと、私は時々考える」。