中世期、ムスリムの土地に暮らしていたユダヤ人は、キリスト教圏で暮らしていた同胞達よりもましだったと、しばしば主張されてきた。その査定は正確だろうか?プリンストン大学の近東学のコーエン教授は、二つの文明におけるユダヤ人の暮らしに関する比較史という前例のない書で、解答を試みている。
そうだ、と彼は結論づける。ムスリム世界で、ユダヤ人は暮らし向きがよりよかった。部分的には、これは物理的な治安の問題だった。「特に形成期あるいは古典的な世紀(13世紀まで)の間、イスラームのユダヤ人は、キリスト教圏のユダヤ人より、迫害を遙かに少なく経験した」。コーエン教授が、几帳面に確信を持って詳細に記録しているように、スンニー派ムスリムの中での暮らしは、他の利益ももたらした。イスラームの家(Dar al-Islam)では、ユダヤ人は、より通常の法的地位を享受し、主流の文化生活に遙かに多く参加し、多数派共同体との社交がより多かった。つまるところ、ムスリムの間で暮らすユダヤ人は、ほとんど排除されず、襲撃にあまり曝されなかったのだ。
特に興味深いことには、クリスチャン達が異教徒との結婚を憎悪していたのに対して、ムスリムは、男性がムスリムだという条件で、異教徒との結婚を許可した。実際、イスラーム法は、ユダヤ人の妻がユダヤ教の儀式を遵守し、家の中で祈り、安息日を守り、コーシェルの必要を維持することを許すよう、ムスリムの夫に要求している。彼女は、それほど大声でなければという重要な条件付きで、聖典も読めたかもしれない。
コーエン教授の研究は、13世紀で終わっている。この開拓的で優れた研究に、ムスリム世界でのユダヤ人の地位について、その後に起こった悪化というもう一つの研究が続くならば、我々は多くを彼に負うだろう。
2011年8月14日追記:マイケル・M・ラスキール/ヤアコヴ・レヴ(編)(フロリダ大学出版・フロリダ州ゲインズヴィル 2011年)『ユダヤ教とイスラームの収斂:宗教的・科学的・文化的次元』の序文(p.3)は、エドムとイシュマエルの下での、ユダヤ人の生涯というコーエン教授の比較に、概して同意している。
16本の評論に浸透している中心理論は、中世と近代初期のユダヤ人とムスリムの連携は、文化的多様性や知的で専門的な協力をめぐって展開する多くの次元で、比較的、平和なものだった、ということである。これは、キリスト教圏の前近代ヨーロッパの残忍な現実とは、鋭い対照をなした。そこでは、ユダヤ人に対する制度化された迫害と深刻な社会宗教的な周辺化の諸政策が蔓延していた。しかしながら同時に、肯定的な収斂が、一貫して牧歌的ではなく微妙な陰翳であったことを、強く主張する。ゴイテインの「相利共生」(symbiosis)という持続性を否定するのではないが、(ノーマン)スティルマンによって詳細に説かれた、相互に利益を得ることから生じる共生を意味する「親交」(commensality)という用語を、より適切な表現として、我々は分かち合う。ユダヤ人とムスリムの関係は、異なる次元で生じる、密接に固く結ばれた絆、友誼、相互浸透、時折の拮抗といさかいの程度で測られるものだ。