米国教育協会の2005年秋号のジャーナル『思想と行動』のインタビューで、ノーム・チョムスキーが合衆国における9/11後の知的風土を議論している。国内キャンパスで政治的ハラスメントが「広く行き渡っている」が、一般見解に反して、彼のように合衆国の中東政策に疑問を持つ、意見を異にする人に対して向けられていると、論じている。「キャンパスで極端な差別や非常に深刻なハラスメントがあったが、保守派に対してではなく、正統性に疑問を持つ者を巡るものである」。証明として、彼はエドワード・サイードと自分の事例を挙げる。「彼は、オフィスや自宅で警察保護がなければならなかった。彼は、自宅で警察署に電話できるように、ブザーを持つ必要があった。それは、常に続いた。私が中東について大学キャンパスで講話した時、警察保護下にあった」。チョムスキーはその後、当局者を責め続けている。「国の知識指導層は脅されている。中東に関する優勢な正統見解について疑問を挙げた者が、キャンパスで講話をしていた時、警察保護を与えられなければならなかったというので、これまでに何らかの不服について聞いたか?私は、それに関するいかなる抗議も思い出さない」。
[コメント]正確さとは言わないまでも、自分で迫害の外套を主張している、アメリカのキャンパスで単一の最も好まれる話者という型破りを賞賛しなければならない。私の調べでは、チョムスキーの大学講話がデモやヤジの主体だったこと、キャンパスを訪問する全時間、個人的なボディーガードを持つこと、潜在的な抗議を制御するために100の警察を必要とすること、厳重監禁の体育館で語らなければならないこと、妨害に対する聴衆への警告が講話前に学部長によって先行すること、あるいは、彼をめがけてパイが投げられたという侮辱に苦しんだことという、いかなる事例も見出さない。ところで、これらのうち最後を除く全ては、私に起こったのである。 (2005年12月22日記)