1917年12月9日、エドモンド・アレンビー将軍のエルサレム征服を二日後に報じて、『ニューヨーク・ヘラルド』紙は、見出しで「モスレム支配の673年後に英国人によって救い出されたエルサレム」と発表した。その後、小見出しは「キリスト教世界で大歓喜」「特に、どこにいるユダヤ人も同盟諸国のプログラムの一部としてパレスチナ挽回を見ている」と詳述する。
第一面:拡大にはここをクリック |
数学が符号する。1917-673=1244、つまり、ホラズム・シャー朝の援助で、最後の十字軍からアイユーブ朝がその都市を強奪した年だ。
新聞の第二面は、次のように読める見出しで、物語を誇っている。「ここ(すなわちニューヨーク)の優れたユダヤ人達が、英国人によるエルサレム攻略に快哉を表明」「エルサレムの救出が喜びの原因」「異教徒とトルコ人による多くの戦争で荒廃した聖都:マホメット教徒支配の軛だった670年間」。
第二面:拡大にはここをクリック |
[コメント]
(1) 見出しと要約は、かつては優勢だったが今は西洋で稀な精神性を捉えている。「キリスト教世界」という自意識があった時、ムスリムに対する宗教的/軍事的勝利に歓喜したのである。
(2) 逆に、「ムスリム世界」は今日もまだ、中世の対抗関係を想起しつつ、宗教感情を高ぶらせつつ、古来の敵の不面目に満足感を持ちつつ、まさにこの方法で歓喜することだろう。
(3) もし西洋が一世紀足らずでそれほど遠くまで旅ができるならば、なぜムスリムもできないのか?
(4) ユダヤ人やシオニスト達が英国の征服を巡って「快哉を表明した」ことは、何ら不思議ではない。というのは、「賛意を持って、パレスチナにおけるユダヤ民族のための民族郷土を樹立する」という見解を政府が述べている、バルフォア宣言をロンドンが宣告して以来、かろうじて一ヶ月以上だったからだ。
(2009年3月30日記)