イスラームという宗教は、征服されてムスリムに定住された土地は、譲渡できないイスラームの世襲財産の一部、ワクフになるという、内部に深い憶測を包有する。それが非ムスリム支配に陥落するならば、事実上、取り戻されなければならない、不自然で不寛容な状況である。例えば、バーナード・ルイスが『ムスリムの欧州発見』(W・W・ノートン社 ニューヨーク 1982年 p. 182)で記したのは、スペインとバルカンにおける近代初期の領土喪失に対するムスリム反応である。これらは「誤ってイスラームから取られ、返還されるよう運命づけられているイスラームの土地」だった。
1000年頃のコルドバのカリフ制 |
1492年のレコンキスタの数世紀後でさえ、ムスリムは長らくムスリム・アンダルシアの再創成を欲し続けた。今日のパレスチナ人のように、スペインからの難民は、故郷へ戻る意図という明瞭な象徴として、放棄された家の鍵を保持した。『サウジ官報』は報告する。モロッコで暮らしているムスリム・スペイン出身の難民の子孫の中には、アル・アンダルースの陥落を、「彼らの先祖達の苦しみを描写するシンポジウム、アンダルシア音楽、ショウ」で、まだ記念している者もいる。
最近では、アル・アンダルースを再建する提唱者は、もっとはっきり物を言うようになってきた。「過去五百年以上の推移にも関わらず、スペインにおけるイスラーム支配の記憶は、ますます、過激なイスラーム圏における談話の一部になってきた」と、ジョナサン・ダホアー=ハレヴィはエルサレム公共問題センターの出版物『アル・カーイダ:次の目標は不信仰者達からスペインを解放することだ』で記している。(事実、彼の題目はあまり正確ではない。というのは、この話題を取り上げているのは、アル・カーイダのみではないからだ。)彼は、この現象を列挙する。
- オサマ・ビン・ラディン:「大体において、我々はアッラーの要求で...ウンマが名誉と威信を再獲得すべきで、パレスチナからアンダルースまで、盗まれた全イスラームの土地の特殊な旗を、再び揚げるべきだ」。
- アイマン・アル・ザワヒリ:「ムスリムの手にアンダルースを返還することは、ウンマ全般、特にお前達(北アフリカ人)にとって義務である」。
- サファール・アル・ハワリ:サウジの著名な首長が、ジョージ・W・ブッシュ宛の手紙で、「大統領閣下、想像せよ。我々はまだアンダルシアについて涙を流しており、そこでフェルディナンドとイサベラが我々の宗教や文化や名誉に対してしたことを覚えているのだ! 我々は再獲得を夢見ている」。
- アブ・ムサブ・アブドゥル・ワドゥド:「祈祷と戦闘のためのサラフィスト集団」(GSPC)のアルジェリアの指令官は、アルジェリアのムスリムを、イベリア征服を率いたムスリム将軍の「タリク・ビン・ジヤードの孫達」と呼ぶ。
- ベールを被った者達の土地なるムスリム・サハラのアンサール・アル・イスラーム: 「アル・アンダルースは我々の目の前に、アッラーの助けと共にある。どれほど長くかかっても、我々の父祖から強奪されたものであるイスラームの土地を、我々は取り戻すだろう」。
- ムハンマド・マフディ・アケフ:エジプトのムスリム同胞団の指導者は、パレスチナ、イラク、アフガニスタンの喪失に併行して、アンダルースの陥落に言及する。
- ハマスは、パレスチナの子ども達に、スペインのセビリアという都市をムスリム支配に修復する助けをするよう、呼びかけた。
[コメント]
(1) この失地回復の衝動は、政治的に宥和されるはずがない。イスラエル外務大臣の元アドヴァイザーだったダホアー・ハレヴィは、正しく指摘している。「イラク反乱に対する戦争からの連合軍のスペイン撤退も、ハマスとのスペインの対話提案も、いかなる方法でも、昨今、過激なイスラーム運動から来ている反スペイン敵意を弱めなかった」。
(2) ムスリム主張に一定の共感を覚えるスペイン人もいることは、ただそれを奨励することだろう。
(3) この夢は、ことによると、何年か後に、主要なテロリズムを鼓舞し、安全と政治的重要性を獲得する点まで増大するかもしれない。
(2007年10月11日記)