1994年1月に中東フォーラムを設立した際、「アメリカの権益を促進すること」というスローガンを私は選択した。なぜなら私は、アメリカが参加した、終結したばかりのオスロ合意と他の中東外交が、合衆国の権益を考慮しない傾向にあったことに驚かされたからだ。幾ばくか大なり小なり、この同じ空隙が、レバノンやサウジアラビアやイランに対する合衆国政策にも存在した。この場合、ワシントンは諸国の福利に過度に関心があり、合衆国の利害関係には充分ではないようだった。
1996年にマイケル・マンデルバウムは、この傾向の精神を「ソーシャルワークとしての外交政策」という、嘲笑的だが正確な綽名で捉えた。そのアプローチは、2003年の「イラクの自由作戦」と奇異に名付けたひどい極点に達した。ジョージ・W・ブッシュの下で私はこのアプローチを、アフガンとイラクの戦争は「勝者にとっての獲得によるよりも、敗者の福利によって、より判断される」と苦情を言いつつ批判した。
「アメリカの権益を促進すること」は、この無関心のメンタリティにとっての矯正策として役立つ。
ウッドロー・ウィルソンは合衆国の外交政策に新たな時代を始めた。 |
私の答えはこうだ。アメリカの権益は世界の権益である。ワシントンはニューヨーク(すなわち国連)よりも、ましな決定をする。どれほど不完全でも、合衆国政府は一世紀の間、良性のグローバルな管理責任を提供してきた。他にどの大権力が、敗北した敵に資金を調達し、開発援助を開始し、民主改革を後押しし、自由貿易を促進し、地域ブロックを奨励しただろうか?アメリカの指導者達は、史上比類なき啓蒙された自己利益を示してきたのだ。
過去のライバル(ソヴィエト連邦)と将来のそれ(中国)を見ることは、この点をただ確証するが、英国との比較もそうである。ロンドンは敵対的な分子の埋め合わせをし、自由貿易を奨励したが、合衆国の外交政策において見出された原則に基づく、人道的で理想的なアプローチに欠けていた。
それがために、非アメリカ人達もまた、アメリカの権益を促進すべきなのである。
(2011年1月1日記)