エジプト大統領としてのモハメド・モルシの最近の放逐は、レジェップ・タイイップ・エルドアン首相というトルコの片割れとの対照比較を促す。頂点での彼らの経歴は大きな相違点を含む。
- モルシの素晴らしい経済的無関心 vs. エルドアンの非常に印象的な経済経営
- 一年での早過ぎた広大なイスラーム方式の強制vs. 十年でゆっくりと漸次に適用
- 人類史で最大の政治的抵抗を鼓舞vs. 投票で上手にもっと大きな比率で三度の選挙に勝利
- 国家の中の国家を敵に回すvs. 忍耐強く中心から取り除く
- 軍隊によって役職から除去されるvs. 政治から軍を除外する
要するに、モルシはエルドアンが有能なほどに無能なのだ。
これらの相違を脇に置くと、エルドアンとモルシは互いの賞賛者なのだが、二つの鍵となる特徴を共有している。イスラーム法であるシャリーアを国にもたらしたがっていることだ。そして、モルシを台無しにするよう手助けし、エルドアンの経歴を充分に挫折することのできた特徴、横暴な傾向を示したがっていることだ。
私を不思議がらせたままにしているのはどちらか。意見の相違で彼らが共有した反民主的で立腹し口角泡を飛ばしているのは、ちょうど偶然の一致なのか?(ネジメッティン・エルバカンの数々の政党とムスリム同胞団はそれぞれ)彼らの政治形成の独裁的な質を反映しているのか?それとも、イスラーム主義者のプログラムそのものに関する何か生来的なものを暴露しているのか?
ギュレン、エルドアン、ギュル |
(2013年7月19日記)