1982年6月に『エジプト口語のためのアラビストの手引書』と題して私が書いた小さな本の「序文」がここにある。
1971年6月に初めてカイロに到着して、履修単位のため私は二年間アラビア語の研究をした。だが、あちこちで一単語以上、何も言えず理解もできなかった。現代アラビア語の書き言葉を学んだ非常に多くの学生達のように、私はアラブ人が実際に話す言語を操ることに不慣れだった。カイロ方言を習得するため、私は文法書を一揃い入手し、(カイロ・アメリカン大学の)海外アラビア語研究センターの授業に出席した。優秀な教師陣にもかかわらず、私は課題を不満に思った。というのは、すべてのマニュアルが、アラビア語の知識が皆無だと想定して、初歩から始めたからだ。だが、私は既にアラビア語の書き言葉を知っていて、ただエジプト口語が話せるようになるために何を調整すればよいかを学ぶことが必要だったのだ。
もし誰かがエジプト口語の手引書を準備したならば、書き言葉のアラビア語で既に訓練された我々にとって何と賢明だろうか、と私はしばしば反芻した。あまりにも頻繁にそのような本の欠如を私が嘆いたので、友人達は事実上、お前が自分自身でその企画を引き受けろと主張した。カイロでの1973年の春、最後の数ヶ月間、私はその本を書いた。その後8年間、他事に注意を向けたので、文法書は引き出しの奥でしおれていた。
その後、国務省の外務職員局のジェームス・A・スノウ博士が、この研究を出版することに関心を示した。彼はまた、幾つかの編集上の助言と援助を提供することにも同意した。その後、他に誰も出版用にその草稿を準備する便宜を図らなかった時、彼は便宜を図ってくれた。彼の多大な尽力に私は大変感謝し、多くを彼に負っている。まだ残っているかもしれない、いかなる誤りも、もちろん私のみの責任である。
簡潔にするため、私は書き言葉のアラビア語の徹底的な知識を想定している。方言が異なる方法のみを指摘したまでだ。さもなければ、この手引書の目的は実に敗北するだろう。「エジプト語」とは、幾らか教育のある人々によってカイロで話されるエジプトの口語アラビア語の簡略形である。

外務職員局は1983年に文法書を出版した。議会図書館のラベル番号ではPJ6779.P56 1983である。その本は、小さいが安定した読者層を数十年以上有してきた。現代技術の利便のおかげで、私は今それを自由にこのウェブサイト上でダウンロードできるようにしている(http://www.danielpipes.org/books/an-arabists-guide-to-egyptian-colloquial.pdf.)。修正で完全にした作業コピーを掲載した。カイロで話されているアラビア語の喜びと危難を、私に続く人達が操縦する助けとなることを希望する。
(2009年12月29日記)
2010年1月1日追記: アンヌ=マリー・デルカンブルさんが、私の小さな文法書についてフランス語で書いている。(英訳「なぜダニエル・パイプスさんがバット・イェオールさんやサムエル神父がするようにアラブ世界に応答しないかは、これです。彼はアラビア語を上手に発音する素晴らしいアラビストなのです」。)