『現代史におけるイスラーム』の著者ウィルフレッド・カントウェル・スミス |
現代イスラームの根本的な不調は、イスラーム史には何かが間違っていたという感覚である。現代ムスリムの根本的な問題は、その歴史を修復し、充分な精力で再び動かす方法である。そうすれば、イスラーム社会が、そうあるべきであり、そうでなければならない神の力で導かれた社会として、再び繁栄するかもしれない(p. 41)。
現代イスラームのトラウマは、終わりが見えないまま、既に二世紀以上も続いた。
ウィルフレッド・カントウェル・スミス著『現代史におけるイスラーム』の表紙 |
この背景は、英国とインドの最近の二つの研究出版を思い起こさせる。それぞれ、私の言い分を強調している。ロイターが要約した英国報告書の幾つかに焦点を当てる。
2001年の国勢調査データに基いて、162ページ分の研究は、英国の180万人のムスリムにとって比較的寒々とした生活状況を描いている。その大半がインド系、パキスタン系、バングラデッシュ系である。「異なった宗教集団のうち、ムスリムの失業率は他集団の二倍以上だった」とわかった。クリスチャン男性のちょうど5パーセント、クリスチャン女性の4パーセントに比較して、およそ17パーセントのムスリム男性と18パーセントのムスリム女性が失業していた。「バングラデッシュ系、パキスタン系、ブラック・アフリカ系集団は、労働市場で低い参加レベルだった」と、その研究は見出した。「高い失業率は、市場で活発な時でさえ、彼らが雇用を見出すのに困難を経験したことを示唆する」。
国勢調査の定義によれば、ムスリムの三分の一が、英国のクリスチャンのちょうど6パーセントに相当する超満員の世帯で暮らした。バングラデッシュ系のおよそ44パーセント、パキスタン系の26パーセントの世帯が、平均して国の7パーセントに対して、超満員だと見なされた。持ち家が広まり、富の重要な尺度と見なされる5900万人近くの国内では、ムスリムは他の信仰の信徒達よりも、持ち家がもっと少ないように思われた。70パーセント近くの国平均に比べて、ちょうど半数以上のムスリムが持ち家だった。
2001年に報告された健康障害および最大の世帯で、ムスリムが最高の比率だったことを、その報告書も示している。2004年統計は、ムスリムが最低の教育歴資格を有していることを示す。
インド報告書は発表されておらず、ただ分冊だけリークされた。首相府の要約によると、次のようである。ムスリム共同体は大半の分野で「遅れを取って」いる。 彼らは「比較的貧しく、より文盲であり、教育機会にあまり接近しておらず、公共の低い代表権、民間部門職と自営用の銀行信用状の利用度が低い。 都市部では、その共同体は大半が乏しい地方自治体のインフラに特徴づけられたスラムで暮らしている」。幾つかの詳細が、『ニューヨーク・タイムズ』紙によって提示されている。
多くの州で、ムスリムは刑務所に深刻なほど多くの比率を占めている。例えばマハラシュトラ州の西側では、ムスリムは人口の10.6パーセントを構成しているが、その32.4パーセントが有罪宣告されているか裁判を受けている。著名な国家の官僚政治やインド行政サービスで、ムスリムは2006年に、たった2パーセントの役人を占めている。調査された15州の地方裁判所判事の中では、2.7パーセントがムスリムだった。
教育の不均衡は最も驚くべきことの中にあった。シャリフ氏が述べたのだが、インド人全体では65パーセント以上であるのと比較して、ムスリムの中で識字率は約59パーセントである。国民平均が4年であるのと比較して、平均して、ムスリムの子どもは3年4ヶ月間、学校に通う。学校を卒業するのは、全人口の6パーセントと比較して、ムスリムの4パーセント以下だ。エリートのインド工科大学の学生の2パーセント以下がムスリムである。等しく明らかになっていることは、たった4パーセントのムスリムの子ども達がマドラサに通っていると、シャリフ氏は言った。
雇用におけるギャップは、大半の政治的に議論を紛糾する者達の間で、あり得ることだ。ムスリムは、日雇い労働者や街頭行商人というインフォーマル・セクターで大きな比率を占めており、公共部門で比率が低いように見える。ムスリムは、政府業務全体の約15パーセントを確保した。ヒンドゥ教のカースト制度では「不可触民」と考えられた「後進」カーストやダリットに割り当てられたものより、相当以下である。
[コメント]米国のムスリムのような例外がほとんどなく、ムスリムの後進性のパターンはほぼ普遍的である。この事実を受け入れることが、その補修に向けての第一歩であろう。
(2006年11月29日記)
2010年7月29日追記:愛の鞭という私の持論の確証は、予期せぬ場から来ている-前のサウジの大ムフティだったアブドゥル・アジズ・ビン・バズの息子で、サウジの学者であるアハマド・ビン・バズだ。2010年6月4日に、彼はアル・アラビーヤ・テレビで述べた。
我々ムスリムは、世界の進歩の末端にいるのがわかった。ムスリムは常に受け取るばかりで、人生における唯一の役割は、他者から受け取ることだ。西洋社会は、革新の社会になってきた。人生の変化を産み出し、適合するのは、西洋社会である。反面、我々ムスリムはこれらすべての革新の受け身の受容者になってしまった。そして、我々がすること全ては、座って、これらの革新がイスラームによって許されるのか禁じられるのかを考えることだ。これは、我々の弱さの明確な徴である…。
(ムスリム達の)西洋への恐れと絶えることのない陰謀論の採用は、何事をも猜疑心にさせる。そして、何事も背後に何かがあったに違いないと考えるのだ。それ故に、いかなる発明も禁じられていると考えるか、あるいは、陰謀の一部だと考える傾向にある…。
イスラーム的経済は、西洋の経済理論に基づいている。彼らはこれらの諸理論を借用し、元の名称をはがし、シャリーア法に合致する名前を与える。だから、イスラーム的経済になるのだ。我々がする全ては、切り取って貼り付けることだ。