ツァルナエフ兄弟は、テロ攻撃を優れた技術でもぎ取ったが、写真を多く撮られた国際スポーツ行事で顔や体を見せるという致命的な過ちを犯した。これは、大規模な警察分隊が細かく調べるために、彼らの多様な映像が利用可能だったことを意味した。そして三日後に、名前と外見で彼らを特定している。
この速やかな正体判明は、先例なきことではなかった。2005年7月の自爆テロで、ロンドン警察は同様のことをした。だが、その攻撃で4人の加害者のいずれも生き残らなかったので、それは実際的な達成よりも、より理論的な達成だった。私が知る限り、あのツァルナエフ兄弟は、静止写真とビデオ映像を通して探し出された最初のテロリストだった。
振り返ってみれば、その兄弟は外見を曝すべきではなかったのだ。だが、そうすることをどのように回避するか?フード付トレーナーは顔を露出したままだ。ハロウィーンのマスクがほとんど年に一夜のみで、ストッキングの覆面がいつでもそうであるように、スキーの覆面は温暖な天気で嫌疑を起こさせる。
明らかに、彼らは目だけ出すイスラームの全身覆い(ニカブ)あるいは何も出さない全身覆い(ブルカ)を身につけるべきだったのだ。これらの衣服は、着る者の正体を全く隠す複雑で特殊な徳行を有している。どんな天候でもどんな場所でも合法的な盛装である。慎重な武器輸送を許す。嫌疑を減らし、目撃を誤導する、女性によって着られるものという誤った印象を役立つように発する。社会壁を役に立つように作り出す。個人的な特典を最大化する。そして、イデオロギー的に適切である。紛れもなくイスラミストの合図を送る。
ニカブは目を出すが、それはサングラスが埋め合わせられるような欠点である。 そして、ブルカよりも、テロリストが周囲をもっとよく見られるという大きな美点を持っている。
将来の非自爆テロ者は、ニカブあるいはブルカに変わることを期待しなければならない。(多くのテロリストや犯罪者達が繰り返しそうしてきたからだ。本件に関する私の1万6千語のブログを参照のこと)。
だが、なぜ彼らがもっと多くの殺人に従事するのを待つのか?なぜ、馬が逃げ出してしまった後になってのみ、納屋のドアを閉めるのか?遙かにもっと賢い者なら、悲劇が発生する前に、今、公共の場所でニカブとブルカを禁じるだろうに。(2013年4月21日記)