エルサレムのアメリカ領事館は、旅するアメリカ人にとって旅行計画を助ける一種の「旅行代理店」として機能するために設立された1844年まで遡る歴史を物語ってきた。
しかしながら近年では、物事はあまり趣がなくなってきてしまった。特に第一次世界大戦以来、二つの領事館があったからだ。一つはエルサレム市の東側でもっぱらアラブ側に、もう一つは西側のユダヤ地区にある。両者とも今ではイスラエル管理下の土地ではあるけれども、多分に政治的な倍音を伴って、アラブ・イスラエル分割は静止したままである。ある読者が今日の状況を報告している。
エルサレムにある二つのアメリカ領事館は、これ以上ないほど異なっている。ユダヤ地区にある一つは広い駐車施設があるが、領事サービスを提供していないので一般人を扱っていない。アラブ地区にある一つは、領事サービスを提供しているが、近くに利用できる駐車場がない。皮肉なことに、エルサレムおよび周辺の共同体で暮らす数万人のアメリカ市民は、ほぼ全員がユダヤ人である。これは、パスポート更新、出生届、社会保障などの扱いを必要としているどの市民も、少なくとも徒歩でそこへ行かなければならないことを意味する。また、エルサレム地区の大半のアメリカ市民は、大家族の正統派ユダヤ人であるという事実にも関わらず、乳母車が許されないのだ。赤ちゃんやヨチヨチ歩きの子達は抱っこされなければならない。
見られる限り、一般人を扱っている領事館のほぼスタッフ全員がアラブ人だ。セキュリティ・ガード、事務員、案内係、会計係などを含めてである。待合室で唯一利用できる読み物は、国務省の(もちろん)アラビア語版の『こんにちは―国際雑誌』である。アメリカ市民にとって、それが奉仕することを意味する全組織が、顔に平手打ちを感じるようなものだ。
そしてこれだ。アメリカの使命は、約25の連邦捜査局(FBI)チラシで構成される「最重要指名手配のテロリスト達」とイスラミスト達の写真のリストを表示する権限を与えることだ。全員アラブ人だ。なんて恥ずかしい―それでは、東エルサレムのどこに、出口にのみつながる階段吹き抜けの下の暗く狭い廊下で、目敏い通行人にのみ気づかれるようにしながら、この表示を出す領事館があるのか?
パレスチナ人にとってよく知られた東エルサレムの領事館という歴史的贔屓を考慮すれば、これは何もショックではない。だが、いつ大人の監督が、その微妙な使命に正気づくのだろうか? (2005年12月29日記)
2013年2月28日追記: ナオミ・レーガンが『エルサレム・ポスト』紙で今日の領事館の不適合に関する追記と事例研究を提供している。彼女が報じているのは、領事館が都市の西側にあるアルノナに引っ越したのだが、それにも関わらず、事は「かなり多く同様」であり続けているという。サービスを求めるユダヤ人にとって不快だということだ。以下に抜粋を載せる。
領事館のウェブサイトとアラビア語のフェイスブックの文化活動をちょっと見ると、諸活動が西岸と東エルサレムのパレスチナ人に利便があるよう目指していることがわかる。その焦点は、女性の権利か小さな商売のどちらかだ。環境の日でさえ、領事はワディ・ケルトへ「西岸の最も鮮やかな自然環境の一つで地元の動植物を観察するために」行ったのだ。現地採用として、ほとんど全ての仕事の記載にはアラビア語を要する。
レーガンはその後、「非常に数少ない正統派のユダヤ系アメリカ人の領事館職員の一人」エリアナ・M・アーロンの話を語る。つまるところアーロンは、雇用機会均等委員会に初めて苦情を申し立て、その後、エルサレムの労働裁判所で領事館に対して裁判を起こすところまで、しつこく悩まされ、仕事で困った立場に陥った。