幾つかの出版物から、ジョン・J・ミアシャイマーとスティーブン・M・ウォルトによる『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』に応答するよう招かれたが、(私自身についての記録の訂正以外)思いとどまった。三つの小さな理由と、一つのより大きな理由のためである。まず小さな理由から―
- 他の多くの人々が、雄弁かつ痛烈に、その書を論駁した。
- 誰か他の人の見識に応答するよりも、むしろ自分自身の見解を提出する方を好む。
- 長く退屈で不正確な本や偏向した論文を読むには、人生はあまりにも短か過ぎる。
より大きな理由は、曖昧な出版における二人の曖昧な大学人による、元来は小さなエッセイであったものに応答することは、戦術上の誤りだったという私の信条と関係がある。注目を引かなかったならば、そのエッセイは、ずっと前に記憶の穴へと消えてしまっていたであろう。それに対して論じることで、今ある不朽の業績へと転換したのだ。
私自身は、繰り返し、同じ戦術上の誤りの受益者であった。キャンパス・ウォッチの反対者達は、情け容赦なく攻撃することで、小さなウェブサイトから深刻な勢力へと変えた。米国平和研究所に私が指名されたことに反対するCAIRは、私の見解を引き出すために、前例のない討論機会を提供した。そして、キャンパスでの私の講話に対する抗議は、そうでもなければ事例になったであろう、さらに大きな聴衆と更なる報道機関の注目を獲得した。要するに、共生というものが、政治的敵対者達の間にしばしば存するのだ。
既に巨大なミアシャイマー=ウォルトの宣伝楽隊車を助けることを望まないので、彼らの著書にコメントする招きを、私は丁重に辞退する。