「イスラームはキリスト教徒達が信仰なき者だと呼ぶことは一度もない」と、北アイオワ大学の産業技術教授であるモハメド・ファーミィは公言した。アイオワ州立大学のムスリム学生連合と大学の多文化の学生事項局が部分的に後援した、三日間のイスラームについてのアイオワ年次会合でのことである。聴衆には、アイオワ州立大学の故郷エイムズのテッド・テデスコ市長も含まれていたが、イスラームに関する誤った概念を是正し、教育する努力に対して、そのグループに感謝した。
皆、とても友好的だった。だが、本当か?英語の'infidel'とは、アラビア語の'kafir'(複数形は'kuffar')の標準的な翻訳だ。ハンス・ヴェア著『現代書き言葉アラビア語辞書』(Dictionary of Modern Written Arabic)(ベイルート出版 1974年)の833ページは、(他にもいろいろある中で)「不信仰者、信仰なき者、無神論者」と定義している。
事実、歴史的にその語は、キリスト教徒達に常に適用されてきた。テキサスのラボックにあるサウス・プレインズ・イスラミック・センター代表のムハンマド・アル・ムフタール・アル・シンキティは、学識ある長老が質問に答えるイスラーム主義者のウェブサイトで、最近、その事柄をこのように説明した。「キリスト教の人を'kafir'(不信仰者)と呼ぶことは許されていますか」という問い合わせに対して、彼は次のように答えたのである。
アラビア語で'kafir'には二つの意味がある。1) 非ムスリムでアッラーあるいは預言者ムハンマド(彼に平安と祝福あれ)を否定する人 2) 恩知らずにも、アッラーの恩典に感謝しない人。第二の意味はまた、アッラーに謝意を示さないムスリムにも用いられる。この意味の'kafir'は、"shakir"(感謝する)の反対である。キリスト教徒とユダヤ教徒は'kuffar'である。なぜなら、彼らはムハンマド(彼に平安と祝福あれ)の預言者性を拒絶したからである….。
しかしながら、'kafir'は今では軽蔑的な用語である。だから、私はムスリム達に、異なる信仰を持つ人々に言及する時には、「非ムスリム達」(non-Muslims)という用語を用いるよう奨励するのだが。
アル・シンキティが書いていることは正しい。キリスト教徒達は、厳密な解釈に従えば'kafirs'であり、好意的に見ても、失礼な用語である。
[コメント]モハメド・ファーミィが試みるように、'kafir'があからさまに意味するところの意味ではないと偽り隠したり、装ったりすることは、何の役にも立たない。ファーミィの護教学の烙印は、交戦状態、女たち、奴隷制度といった鍵となる概念の理解に影響を及ぼしつつ、悲しくもすべてがあまりにも一般的過ぎる。ファーミィが表現したような熱意の誇示や見せかけよりも、史的現実と取り組むまではムスリム世界は近代化できないというのが、私の見解である。(2005年3月21日記)