(1) AdGの題目「Ateş氏は認知と支援を受け取るべきだ」
(2) ドイツ語の原文と本版では提示が異なっている。また、こちらは、そこで見られない箇所を含んでいる。
パイプスさん、2015年に100万人の移民が「恐らくは欧州史の転換点として考えられるだろう」と、国境を開くアンゲラ・メルケルの決断を書いてこられました。歴史家でいらっしゃいますが、この表現で何を意味されているのでしょうか?
将来、欧州文明の進展が研究される時、2015年8月が鍵となる瞬間としてみなされるだろうと私は期待します。限定なしにドイツへの移住を許可する決定は、従来よりももっと鋭い方法でこの問題を取り上げることによって、大規模な移民に賛成または反対である現地欧州人の中と、地元人と新欧州人の間の両方に、分裂を作り出すことによって、欧州にとって深い含意を持ってしまっています。
2015年7月にアンゲラ・メルケルの14歳のパレスチナ少女との出会いが全国的に放送されたことは、一ヶ月後にドイツの国境を開くお膳立てをしたのかもしれない。 |
欧州人が直面しているのは、どんな基本的な問いなのですか?
充分な子ども達を欠いているので、その問いは、仮に彼らが技術を欠き、専ら敵対的な文化から来ているとしても、現れる誰をも、欧州人が受け身で受け入れを継続するかどうかです。あるいは、技術をもたらし、合致するために最も適した人々を世界中で選んで、管理された移民計画を発展させるのかどうか?ドイツの国境を開く決断は、第一の選択を選ぶことを意味しました。
欧州人とムスリム移民の間の関係は、なぜそれほど緊張を伴うのですか?
彼らは緊張に満ちています。なぜならば、イスラームは帝国主義的な信仰であり、多くのムスリム移民が、現存する欧州文明をイスラームで置換したがっているからです。問題を激化させながら、欧州人とムスリムは幾つかの鍵となる事柄について、反対です。欧州人は低い出生率で、ムスリム移民は高いです。欧州人は弱い宗教的アイデンティティを持ち、ムスリムは強いです。欧州人は、歴史的な罪に対して罪悪感を持っています。移民は、自文明の優越性において、騒々しい自信を持っています。
多くのドイツ人は、豊かな国家として、必要にある人々に道義的に門戸を開かなければならないと議論しています。
私は人道的な唱導を称賛しますが、非現実的です。ドイツは、例えば20億の人々を取り込めますか?もしそうでなければ、許せる極小の割合を、道義的にどのように拾い上げるのですか?
それでは、何が答えなのですか?
実際的に語ると、文化的地理的な地帯に関して、世界を見よ、です。必要にある西洋人は西洋に留まるべきで、中東人は中東に留まるべきです。世界中で同様です。シリアやイラクからの移民がドイツやスウェーデンのような場所へ移動することは、奇妙ではありませんか?気候、言語、宗教、慣習が全て彼ら自身のような場である、サウジアラビアやクウェートへ行くことは、もっとましでしょう。その上、これらの国々は、シリアにもっとずっと近いのです。
2015年7月にアンゲラ・メルケルの14歳のパレスチナ少女との出会いが全国的に放送されたことは、一ヶ月後にドイツの国境を開くお膳立てをしたのかもしれない。 |
文化や習慣は変化します。もし機会が与えられるならば、恐らく、ムスリムは欧州文化に適応するでしょうか?
理論的には、そうです。実践面では、否です。経験が示すところでは、欧州への第一世代のムスリム移民は、文化的分離が時間を経て増すにつれて、子どもや孫達よりも、もっと適応可能です。これが将来に発生するだろうという疑いへ私を真面目に導くので、ムスリム移民が同化してきた欧州のどんな場所も、見つけることは困難です。チリ人、中国人、コンゴ人は、ムスリムよりも、欧州文化によりよくフィットします。
移民出自の多くのムスリムは、ドイツ社会への十全な統合を妨げている一要因として、差別を指摘します。
えぇ、差別は問題です。ムハンマドと名付けられて、ハンブルクで仕事を見つけたいと、私は思いません。ですが、それは、サウジアラビアやクウェートでは、ムハンマドと名付けられることがより良いのだという私の議論を支持します。過去55年が示してきたように、一緒に容易に暮らせない人々を、なぜ一緒に押すのですか?シロ・サラジンが示してきたように、ムスリム移住の実験は失敗しました。それを継続することは、緊張を増すでしょう。
イスラームではなく、イスラーム主義が脅威であると強調されています。どのようにイスラーム主義を定義されますか?
イスラーム主義は、イスラームの特定の理解で、もしムスリムが千年前の豊かさと権力に戻ることを望むならば、全体としてイスラーム法を適用しなければならないと奉じるものです。イスラミストは、自分達の中で、どのようにそうするかを論じます。近代志向のトルコのギュレン運動は、一つの極端を体現し、七世紀に戻りたがっているISISは、他方を体現します。イスラミストには暴力を行使する者もいますが、その他は政治制度を通して働きます。このように、彼らは共産主義者に似ているのです。似たような目標を伴って、主に戦術的な相違はありますが。
近代性と暴力に関して対極にあるフェトフッラー・ギュレン(上)とアブ・バクル・アル=バグダディ。 |
「イスラミスト脅威」を、西洋が直面している「我々の時代の間違いなく最も重大な問題」だと描写されています。イスラミストのテロは確かに害をなし得ますが、西洋が経済と軍事の力で優勢していることを考えると、どのようにイスラミストが西洋を全体として脅かせるのでしょうか?
共産主義とファシズムの後、イスラーム主義を第三の大きな全体主義的な脅威だと、私は見ています。我々の生活様式を脅かす、魅惑的かつ強力な識見の主要部です。そして、ちょうど我々がファシズムと共産主義に対して戦わなければならなかったように、イスラーム主義と今戦わなければなりません。
西洋はイスラーム主義と戦う必要があるとおっしゃる時、どんな種の戦いを考えていらっしゃるのでしょう?文化的、政治的、あるいは軍事的?
暴力と戦うことは、簡単な部分です。というのは、殺人的なジハード攻撃はぎょっとさせるので、西洋は、この問題を取り扱う有能な警察、諜報部、武力勢力を持っています。更に、この低次元の暴力は、所有物を破壊し、人々を殺しますが、文明を移行できません。対照的に、合法のイスラミストは、政治、教育、博愛、メディアの分野における制度内部で働くことによって、潜在的に深い影響を有しています。街路で暴力的なジハード者よりも、むしろ合法のイスラミストと私は遭遇したい一方で、ただ非暴力の戦術のみが社会の顔を変えるのです。比較的、殆どの西洋人は何が起こっているかに気づいてさえいません。
イスラーム主義に対する欧州の応答をどのように見ていらっしゃいますか?
20年前に比較すれば、気づきにおける大きな跳躍が発生してきましたが、まだ政策において相違をなすには充分ではありません。実質的に、欧州のどこでも、移民とイスラーム主義を優先する政党は存在しますが、殆ど何も権力にはありませんでした。なぜならば、これらの集団はアマチュアによる配属や、あまりにも多くの急進主義者を内包する傾向があり、排斥されるからです。その結果、51パーセントに達することができません。
ドイツでは、ドイツのための代替(AfD)のように、一貫してムスリム移民に反対する唯一の党ですか?
まさに。AfDは、誰がリベラル、ネオナチ、あるいはその間の何かであるかを考えようとする、急進派とアマチュアの混じった優れた一例ですか?この問いを開いたままにする限り、彼らの選挙上の潜在性は限られていますし、危険です。ですが、ゆくゆくはAfDが成熟するだろうと、私は期待しております。そして、主流へと動くだろうと私は思いますし、希望します。というのは、ドイツでのこのような一党のための必要が明確に存在するからです。ですが、毎年、それは過ぎ去り、危険が増大するのです。
反移民は権力から排除されたままでしょうか?
いいえ、私はこれが変化するだろうと期待しています。これらの政党が、十年以内に権力を獲得し始めるだろうと。
AfDは世論調査で10パーセント以下である一方、メルケルのCDUは、ほぼ40パーセントを得ています。これは、ドイツ人があまりメルケルの移民政策に不満ではないことを合図しているのでしょうか?
それには驚かされており、メルケルにCDUが挑まないことを、私は説明できません。
オランダのヘルト・ウィルダースは、ムスリム移民に対して最も著名な政治家の一人ですが、憎悪発言のかどで裁判にかけられてきました。ご所属の組織は、彼の法的な費用をカバーする助けをしました。なぜですか?
中東フォーラムの我々は、イスラームやイスラーム主義に関する事柄について、公に意見を述べる自由を信じております。その意見にたまたま同意するかしないかにせよ。この目的に向けて、我々の法プロジェクト(Legal Project)は、しばしば、数年前のウィルダースを含めて、被告人に法的費用を支払う助けをします。誰が敵か(イスラームと彼は言い、私はイスラーム主義と言います)に関する彼の見解に私は同意しませんが、それは二次的です。法廷に引っ張り出されることなしに、イスラームに関して語る権利を主張するどの西洋人であっても、私は助けるでしょう。
イスラームについて語っている公判の一つでのヘルト・ウィルダース(向かって中央) |
ドナルド・トランプの「ムスリム禁止」は、イスラミストを合衆国から締め出すために有益な方法ですか?
トランプ政権の6つのムスリム多数派諸国の市民の禁止は、充分に意図されましたが、乏しく施行されました。人のパスポートではなく、識見を見るべきです。カナダ人の何人かは我々の敵であり、友人であるイラン人もいます。勿論、識見は、国籍よりももっと捕まえにくいのです。ですが、特定の国籍を禁止することは、入国する各人を知る努力を真剣にすることが要求される保護を、差し出しません。
2012年にハンブルク市は、イスラームの授業や休日を規制するために、DitibやSchuraやVIKZのようなムスリム集団と"Staatsvertrag"という合意に署名しました。これらの組織の会員はイスラーム主義や反セム主義で訴えられてきましたが、当局は清潔なムスリム組織を見つけられません。コメントをどうぞ。
非イスラミストのムスリムよりも、イスラミストは非常に充分に資金がありますし、組織化されています。部分的には、サウジアラビア、イラン、トルコのような中東諸国から助けを受けているからです。これは、ムスリム生活を西洋で定期的に支配することを許します。テレビ出演、宗教間対話への関与、教室で教えること、そして(この事例のように)政府との連携です。
西洋の政府に穏健なムスリムをエンパワーしてもらいたいとお望みですが、ドイツでは、ただ少数のムスリムがイスラーム主義に抵抗するために現れてきました。それで、誰がどこで穏健派なのですか?
イスラーム主義に対抗して大量のムスリム支援を要求することは、常に西洋では失敗します。(ムスリム多数派諸国は別の問題です。)部分的に、これは資金の欠如と組織の結果です。部分的には恫喝です。ムスリムであり、イスラーム主義に対抗して公に出てくることは、ひどく大いに勇気が要ります。ベルリンのリベラルな新しいイブン・ラシード=ゲーテ・モスクは、良い一例です。その創始者であるSeyran Ateşは死の脅迫を受けてきました。
西洋の政府は、何をすべきでしょうか?
非イスラミストのムスリム-そして特に反イスラミストのムスリムを、強く支援しなさい。トルコの大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンのようなイスラミスト達は、つまるところ彼らのものである、唯一の種のイスラームがあると主張します。いいえ。多くの型のイスラームがあり、非ムスリムは、イスラミスト覇権を拒絶し、確かに可能性を与えるべきではありません。むしろ、Ateşのような勇敢な反イスラミストが、公の認知や他の支援形態を得るべきです。
2015年に、イスラーム化を巡るドイツの恐れを演説するよう求められて、メルケル首相は示唆しました。イスラームを恐れる代わりに、クリスチャンのドイツ人は、彼ら自身の宗教ルーツについてもっと学び、もっとしばしば教会へ行くべきだと。応答は?
メルケルのひどく腹立たしい答えは、傲慢にもムスリム移民が作り出す諸問題に気づかないままでいる、(東部ではなく)西欧におけるエリートの典型です。その理由は多層です。罪悪感、世間知らず、票求め、政治的公正さ、「イスラーム恐怖症」と呼ばれることへの恐怖です。
なぜ罪悪感でしょう?
パスカル・ブリュックネルの『懺悔の圧政:西洋マゾヒズムに関する随筆』の表紙 |
なぜならば、フランスの小説家でエッセイストのパスカル・ブリュックネルが2006年の自著『懺悔の圧政』(La tyrannie de la pénitence)で説明したように、多くの欧州人は、帝国主義、ファシズム、人種主義という三つ巴に関して、彼ら自身がそれらの邪悪さに暗示されていない時でさえ、深く個人的な良心の呵責を感じているからです。ある欧州人達にとっては、白い肌そのものが罪悪を合図します。それに応じて、限りなき寛容と善意を非西洋人に示すよう強制されていると感じているのです。非西洋の人々もまた罪を犯すという事実は、登録されていません。一定の傲慢さ、人種主義でさえ含意します。ただ白人の罪だけが数えられるのです。
この罪悪感は、欧州の偉大な前進を考えると、ますます目立ちます。1987年にフィンランドを訪問し、街道を歩きながら考えたことを覚えています。「この繁栄、自由、法の支配、民主主義は、人間性が常に働きかけてきて、今やそれが達成されてきたものだ」。このような成功に達した欧州というものが、今日、罪悪感に沈み、あまりにも子どもが少なく、ライバルの文明から自らを守らないことを選んでいるとは、何と奇妙でしょうか。歴史家として、私は申します。このような弱さは先例がありません。
2017年9月22日追記:元PEGIDAのタチャーナ・フェスターリングは、上記で渡したした同じ問い-なぜメルケルの法則に対して反乱がないのか?-を巡って当惑している。そして、現代ドイツの「集産主義者、共依存、ナルシスト的な共同体」を責めている。