[注:これは2017年1月号『論評』誌掲載の「平和への道:イスラエルの勝利とパレスチナの敗北」の縮小版である。]
イスラエルの首相ベンヤミン・ネタニヤフは、12月21日に、ジョン・ディヴィド・ルイスによる『他ならぬ勝利:決定的な戦争と歴史の教訓』(プリンストン大学出版 2010年)の一冊を持っている写真を撮られた。その本の中で、ルイスは六つの事例研究を見ており、「硬直し、崩壊するよりもむしろ、一方が敗北を味わい、その意志が続く時、戦争の潮流が回転した」と、全てにおいて論じている。
ジョン・ディヴィド・ルイスの『他ならぬ勝利』を手にしているネタニヤフ |
形はどうであれ、ネタニヤフがこれらの路線に沿って考えているべきだということは、スンニー派アラブ諸国がこれまでになく非イスラエルの脅威(つまりイラン人)に焦点を当て、国連安全保障会議でオバマがイスラエルを窮地に置き去りにし、反乱を起こした政治が西洋中を混乱させるというこの流動の時、特に励まされる。換言すれば、ルイスの議論をパレスチナ人に適用するために、タイミングがまさに正しいのだ。実は、イスラエルは最初の45年を通して、その敵に敗北の味を強制する戦略をうまく追求したので、これは古い方法への回帰であろう。
その戦略は、1917年のバルフォア宣言以来、パレスチナ人とイスラエル人が静的で反対の目標を追求してきたという認識で始まる。パレスチナ人は、今ではイスラエルの領土であるものの中に、ユダヤ人の現存のあらゆる痕跡を排除する意図を持つ、拒絶主義という政策を採択した。パレスチナ人の間の相違は戦術的な傾向にある。譲歩を勝ち取るためにイスラエル人に話しかけるのか、あるいは、トータルな拒絶主義に固執するのか?パレスチナ当局は最初のアプローチを、ハマスは第二を代表する。
イスラエル側については、ほぼ全ての人がパレスチナ人(と他のアラブ人やムスリム)による受諾を勝ち取る必要性に同意している。相違は、再び戦術である。 パレスチナ人にシオニズムから得られるものを示すのか、あるいは、パレスチナ人の意志を破るのか?労働党とリクード党は、これを論じ尽くす。
これらの二つの追求―拒絶主義と受諾-は、基本的に一世紀の間、不変のままであった。イデオロギー、目的、戦術、戦略、行為者を変えることは、原理主義者が驚くほど場に留まるにも関わらず、詳細が変わってしまったことを意味する。ただ、より小さい移行へと導きながら、戦争と条約が行き来する。
抑止力とは、すなわち、戦略的展望と戦術的明敏さの1948年から93年におけるイスラエルの手強い記録に下張りをする、辛い報復で脅すことによって、パレスチナ人とアラブ諸国に、イスラエルの存在を受諾するよう説得することである。
そうは雖も、抑止力は仕事を終えなかった。イスラエル人が現代的で民主的で裕福で力強い国を造るにつれて、パレスチナ人、アラブ人、ムスリム、そして(ますます)左派が、まだそれを拒絶したという事実は、増加する不満の源泉になった。せっかちで活動的なイスラエルの民衆は、抑止力という、ゆっくり動き、受け身の側面に倦み疲れていった。
その性急さは、1993年9月のホワイト・ハウスの芝生上でオスロ合意の署名を確証している握手で、頂点に達した外交プロセスへと導いた。それらの合意は、しかしながら、速やかに両者を失望させた。
状況はあまりにもうまく行かなかった。部分的には、ヤーセル・アラファトやマフムード・アッバースや残りのパレスチナ当局の指導者層が、拒絶主義を放棄してイスラエルの存在を受諾した振りをしたからだが、事実、勢力を非合法化で置き換えながら、新たにもっと洗練された方法でイスラエルの除去を求めたのである。
部分的にはまた、善意や妥協を通して戦争が終結し得るという誤った前提でオスロ過程に入ってしまい、イスラエル人が深い間違いを犯したからである。事実、イスラエルの譲歩は、パレスチナの敵愾心を悪化させた。
オスロの修練は、パレスチナ人が義務に沿って行動することに失敗する時、イスラエルの譲歩の無益さを示した。イスラエルの弱さを合図することによって、オスロは悪い状況をさらに悪くした。慣習的に「和平プロセス」と呼ばれるものは、より正確には「戦争プロセス」と吹き替えられるべきだ。
これは、私の鍵となる概念、勝利と敗北に我々を運んで行く。勝利とは、損失を通して戦争の野心を諦めることを強制しながら、敵側に自分の意志をうまく押し付けることを意味する。歴史記録が示すように、善意を通してではなく、敗北を通して戦争は終わる。勝利しない者は、負けるのだ。
時代を通じて、戦闘の適切な目標として、思想家や戦士は勝利の重要性に同意する。例えば、アリストテレスは「勝利は統率の終結である」と書いたし、ドワイト・D・アイゼンハワーは「戦争において、勝利に代わるものはない」と述べた。技術の発展は、この永続する人間の真実を変えはしなかった。
パレスチナ人の受諾を勝ち取るために、イスラエルはただ一つの選択を持つ。パレスチナ人が攻撃をしかける時、処罰することで、抑止力という古い政策へ回帰することだ。全てのイスラエル政府が追求するタフな戦術以上に、抑止力は役に立つ。パレスチナ人にイスラエルを受諾し、拒絶主義を挫くよう奨励する、組織的な政策を要求する。その意志を壊し、心の変化を促進する、長期に及ぶ戦略を要求する。
ここでの目標は、パレスチナ人のシオンの愛ではなく、戦争という装置の閉鎖である。自爆工場を閉めること、ユダヤ人とイスラエルの悪魔化を除去すること、エルサレムへのユダヤ人の絆を認識すること、そして、イスラエル人との関係を「正常化すること」である。パレスチナのイスラエル受諾は、長引いた期間を超えて完全な一致で暴力が終わる時、鋭く表現された転換策と編集者への投書に置き換えられて、達成されるだろう。
皮肉にも、民族統一主義者の幻想や空疎な革命レトリックと折り合いをつけるよう強いることで、イスラエルの勝利はパレスチナ人を解放する。
敗北はまた、彼ら自身の生活を改善するために自由にする。イスラエルに対する大量虐殺の強迫観念から解き放たれて、パレスチナ人は普通の人々になり、政体、経済、社会、文化を発展させることができる。そうは雖も、この変化は簡単ではなく、速やかでもないだろう。パレスチナ人は、剥奪、破壊、絶望の全てと共に、敗北という辛い坩堝を経由する必要があるだろう。近道はない。
ワシントンが役立つためには、手強い手段を取りつつ、イスラエルを支援することを意味する。それは、「パレスチナ難民」という笑劇を台無しにし、パレスチナの首都としてエルサレムを要求することを拒絶するような、イスラエルのための外交支援を意味する。
イスラエル・パレスチナ外交は、パレスチナ人のユダヤ人国家受諾までは時期尚早である。オスロ合意の中心問題は、一方が他方をまだ拒絶する限り、有益に議論され得ない。だが、ユダヤ人国家をパレスチナ人が受諾するなら、その時、交渉は再開でき、オスロ問題を改めて取り上げることができる。その見通しは、しかしながら、遠い将来にある。差し当たって、イスラエルは勝利する必要がある。
・パイプス氏(DanielPipes.org, @DanielPipes)は中東フォーラムの会長である。© 2016 by Daniel Pipes. All rights reserved.