ダニエル・パイプスは、今日、中東を最も油断なく観察している一人である。学者かつ歴史家として、中世イスラーム史から、焦点の大部分に集中してきた現代かつ同時代のイスラームへと移行してきた。もう一人のハーヴァードのソヴィエト・ロシア史の偉大な専門家で歴史家のリチャード・パイプスの息子でもある。
中東フォーラムの設立者で会長の彼は、イスラーム主義、イスラーム史、 ジハード主義の主題について、多くの本と数え切れない論考文を書いてきた。その中には、『神の道:イスラームと政治力』(1983年)、『長い影:中東の文化と政治』(1999年)、『戦闘的イスラームがアメリカに到着』(2002年)がある。
L'Informale:パイプス博士、このインタビューをありがとうございます。イスラーム・テロとイスラームの連関に関する問いで始めたいと思います。イスラーム・テロのルーツは、宗教にではなく、失業、不満、ナショナリズム、(好まれた説明の)西洋の外交政策、特に合衆国の外交政策への反応の中に見られると、繰り返し語られてきました。これにコメントをどうぞ。
ダニエル・パイプス:第一の説明-失業について-は、経済権益が全てを動かしていると主張する、「お前が食べるものがお前だ」と言うように、マルクス主義者の影響を受けた、馬鹿げた信認されない考えです。同意いたしません。えぇ、物質的な関心は大変重要性を有しますが、識見が人間をもっと動かすのです。換言すれば、「汝が考えるものが汝である」です。単一の例を取りますと、祝日に出かけている86人を、フランスのカンヌの浜辺でモハメド・ラフエジブフレルが経済的な理由で殺したと論じることは、不可能です。
第二に-西洋政策について-は、都合のよい言い訳です。えぇ、西洋は世界中で 押しつける歴史を持っています。ですが、なぜこれが、不釣り合いにムスリムの間で暴力応答なのですか? 恐らく、ムスリムであることと何か関係があるのですか?
本当に、イスラームは-驚くべくもなく-ムスリムによって、イスラームの名の下で実行する政治暴力にとっての鍵なのです。それは、定義によって、ほぼ真実です。
L'Informale:サミュエル・P・ハンチントンによれば、イスラームと西洋は、諸価値に帰すことのできない深い衝突のために、紛争が不可避であるとのことです。この説に賛同されますか?
ダニエル・パイプス:ハンチントンは、この場合、興味深い考えをあまりにも遙かに取った、優れた学者でした 確かに文明的な相違は存在し、非常に重要性を持っています。ですが、政治紛争や戦争は、イデオロギーや個人的な野心よりも、これらの相違はあまり関係がありません。文明の関係を跡付けることは、大きなセミナー・トピックを形成しますが、有権者あるいは政策形成者によって真剣に取られるべきではありません。
L'Informale:ご自身にとっては、先の二十世紀で特に起こってきた、イスラームと西洋の間の増加した紛争の主な原因は、何ですか?
イスラーム主義の展開において主要な役割を持ったイタリアのベニート・ムッソリーニ(1922-43年在位) |
ダニエル・パイプス: 1800-1920年の時代に、ムスリムは権力と富の源泉を求めるために、自由主義の西洋(主に英国とフランス)と競おうとしましたが、成功することがありませんでした。その後、1920年から1980年まで、自由主義ではない西洋(イタリア、ロシア、ドイツ)と競い合いましたが、それもまた失敗しました。過去四十年間、彼らは自分達自身の歴史に戻って行きました。これもまた失敗しています。私はしばしば、次に何が来るかと思っています。恐らくはリベラリズムへの回帰でしょうが、今度はましな結果になるでしょうか?あるいは非リベラリズムへ?
L'Informale:1980年から1995年の間-換言すれば、2003年のイラク侵攻の充分前-合衆国は中東で17回の軍事作戦に従事してきましたが、その全てはムスリムに向けてでした。しかしながら、クリントン大統領からオバマ大統領まで、我々は常に、西洋はイスラームと問題がないが、急進派とのみである、と聞いてきました。この語りは薄っぺらではありませんか?
ダニエル・パイプス:前提に同意しかねます。合衆国政府は、アルバニア人、ボスニア人、イラク人、クウェート人、サウジ人、ソマリア人、シリア人のようなムスリムを代表して、何度も介入してきました。更に、数百万人のムスリムが合衆国に歓迎されてきました。納税者の犠牲を越えて、もたらしさえされた人々もいます。
私はまた「薄っぺら」というコメントに同意しかねます。一般的に、イスラーム主義にではなく、ただイスラーム主義の暴力的な型にのみ反対することが、1992年以来、合衆国政策だったのです。この政策は、専ら実践において従われてきました。
L'Informale:「ほぼ千年間、ムーア人のスペイン初上陸から第二のトルコのウィーン包囲まで、欧州はイスラームから一貫した脅威下にあった」とバーナード・ルイスは書いています。現在のイスラーム復興は過去との継続にありますか、それとも異なった原因からの異なった現象の結果ですか?
ダニエル・パイプス:私は主に継続性を見ます。欧州人とムスリムの対立は、ライオンとハイエナに擬えられる、恐らく人類史で最長かつ最も悪質です。時にはムスリムが欧州の相当部分を管轄し、ちょうど一世紀前に欧州がムスリムの大多数を支配し、多くの変化を経由してきました。この対立は、1961年のドイツとトルコの労働合意と、1965年のアメリカの移民改革で、新局面を展開したのです。
欧州への膨大なムスリム運動の到来を告げた1960年代のドイツでのトルコ労働者の到着 |
L'Informale:ドイツの政治学者マティアス・キュンツェルによれば、「イスラーム主義の出発点は、現代における聖戦として最初に説教したハサン・アル・バンナによる、非妥協的な軍事性で露わにされた『ジハード』の新解釈だ」ということです。現代イスラームにおけるジハード主義の復興にとって、ムスリム同胞団が主要な機関だったことに同意されますか?
ダニエル・パイプス:いいえ、それはただ、幾つかの重要なイスラーム主義運動の一つだと見ています。最も重要なのは、莫大な資源の全てと共にサウジ政府に信奉されたワッハーブ派(あるいはサラフィ派)の教義です。それからイラン・イスラーム共和国のホメイニー派路線、それからムスリム同胞団、それからインドのデオバンディ派です。
L'Informale:アヤーン・ヒルシ・アリは近著『異端者:なぜイスラームは今改革を必要とするのか』で、ムスリムを三つの範疇に置いています。宗教のより寛容な側を体現する最大多数派のメッカのムスリム、メディナのムスリムあるいはジハード派、そして、宗教教義に挑戦する反体制派や改革者という修正中のムスリムです。この広いスキームは有益だとお考えですか?
ダニエル・パイプス:はい、それは概して、1983年の拙書『神の道』で差し出した改革者、イスラーム主義者、世俗派と呼んだ、現代性への応答の三つ巴に呼応しています。
L'Informale:イスラエルの歴史家のベニー・モリスとした最近のインタビューで、イスラエル・アラブ紛争の解決にとって、アラブの拒絶主義が最初から主な障害だったと強調することに非常に明快でした。もしモリスが正しければ、可能な平和のあらゆる概念は、全く妄想です。これはまた、ご見解でもありますか?
ダニエル・パイプス:過去の世紀を超えて、四つの主な型、汎シリア主義、汎アラブ主義、パレスチナ主義、イスラーム主義を取ってきたことに注目しつつ、アラブの拒絶主義が紛争の原因であることに同意いたします。ですが、私は平和が惑わしであることに同意しかねます。もしイスラエルとその同盟が充分にタフならば、抑止が機能でき、紛争が終結することはあり得るでしょう。
L'Informale:世界の全諸国の中で、イスラエルは最もけなされています。他のどんな国家に対するものと比べて、前方へ1967年からの国連決議の反対をちょっとご覧ください。この情勢にとって、主な原因は何ですか?
ダニエル・パイプス:四つを数えます。ナチの影響、ソヴィエトの影響、反セム主義、大多数のアラブとムスリムの国連加盟国です。
L'Informale:継続しているシリアの内戦、核兵器に向かって前進しているイラン、中東で増大しているロシアの勢力で、アメリカはますます当該地域に無関係なように思われます。何を予見されますか?
ダニエル・パイプス:合衆国を考慮から外さないでください。当該地域が更に悪化した危機を通っているのを、私は予見しています。既に東アジアで起こっているように、もっと大きな役割を引き受けるために、多くの政党が合衆国に向かっています。
・このインタビューの原文イタリア語版'Il confronto più perdurante ed aggressive'は、www.linformale.eu/3877-2/で閲覧できる。