一巻「実際の原理主義」1991年 872ページ 40ドル
二巻「原理主義と社会:科学、家族、教育の改善」1993年 592ページ 45ドル
三巻「原理主義と国家:政治、経済、交戦状態の立て直し」1993年 665ページ 45ドル
四十年前、マルクス・レーニン主義は、偉大な知的時代の難問を提示した。何がその偉大な強さの波動を説明したか?それは一枚岩あるいは多様だったのか?多様な見解がどのように相互に異なっていたのか?合衆国政府はどのように応答すべきか?印象的な程、原理主義者の宗教、新たな国際的な脅迫を巡る同じ問いが、今問われている。そして、もう一度、学者達は大量の情報をかき分けて調べ、その後、解釈を議論するために会議をしている。
当時と今の主な相違は、それらの学者達の力量にある。マルクス・レーニン主義は、その時代の最も素晴らしい精神の幾人かを所望したが、宗教的行動主義の研究は、知的停滞のままである。マーティとアップルビーがその企画に偉大なエネルギーとインテリジェンスをもたらす反面、その貢献者達は屡々合致していない。その結果、これらの六巻企画の初の三巻は、出来映えの質よりも、もっと概念の明晰さを示している。勿論、数章が傑出している。サミュエル・C・ヘイルマンやメナヘム・フリードマン、ウィリアム・H・マクニール、ディーパック・ラルによるもの、そしてマルティン・クレーマーが例外的に良いが、数百ページは一般的にかなり重い読書に役立つ。
『実際の原理主義』は、ヒンドゥ教、シク教、仏教、儒教、日本の宗教と同様に、三つの偉大なアブラハム宗教における原理主義運動の描写のお膳立てをする。その結論で、編集者は原理主義の普遍的な特色を「近代の嫉妬、危機感と緊急性を助長する傾向、劇的で象徴的な行為のための才能、鋭敏で人気のある効果的な現代性の適用」と要約する。
二巻は、科学、技術、家族、対人関係、教育、メディアに対する原理主義者の態度に集中する。三巻は、再概念化して権力を獲得する原理主義者の努力を見る 。一般的に、原理主義は「『国家』のレベルよりも、一定レベルでの『社会』を極端あるいは修正されない型で、より多くはっきり見えてきた」と編集者は記す。学者ぶった文体から翻訳したので、原理主義者が個人を超えて政治力に影響を翻訳することにおいて殆ど成功しなかったことを、これは意味する。