ダニエル・パイプスは、中東事情の他のどの専門家よりも更に粘り強く、ほぼ全地球上の各地での文明化した暮らしに与える、過激なイスラームの脅威に留意を集中してきた。「もしパイプスの説諭が心に留められていたならば、9.11は決してなかったかもしれない」と『ボストン・グローブ』紙が述べた時、誇張をほしいままにしたのではなかった。まるで、最大の詐欺者は自己詐欺者であることを証明し、敵を名前で特定化することさえ拒絶し、世界で最も不寛容な宗教のいかなる批判さえ(欧州で)人権侵害として論駁する、故意に盲目的な政治家と、彼は正反対である。戦闘的で攻撃的なイスラームの型という無防備の攻撃に直面して、我々自身の大統領や国務長官やワシントンでの政策を永続させることを今熱望する人々が、我々の主な国家安全の関心は「気候変動」だと主張し続ける。(バーニー・サンダースは更にもう一歩先を行き、2016年1月20日付『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙によれば、「気候反対者の犯罪的調査」を開くという。)
パイプスは中東フォーラム会長で、米海軍大学のみならず、幾つかの大学で教えてきた。イスラミストの威嚇に直面して、桁外れのエネルギーと並外れた勇気の公の語り部である。彼はまた、68年のアラブの対イスラエル戦争をどのように終結するかに関して、アメリカ外交政策を巡る討論に大きな貢献をしてきたが、それは(ホロコースト前の国土なき民族としての東欧ユダヤ人を我々が数えなければ)他のどの国も耐える必要がなかった危難という一貫した重荷の下で、市民に人生を続けるよう強制したものである。
『万事流転』は、1994年から2014年までパイプスが公表したエッセイの概論である。題目は「不安定さ、揮発性、永久の動きが、ムスリム共同体を特徴し続けている」ことを仄めかす。それはまた、「イベリア半島のクリスチャンからバリのヒンドゥ教徒までの非ムスリムに対して、ムスリムが行う止むことなき戦争」としての「平和の宗教」の境界線というサミュエル・ハンチントンの定義を、当然のこととする。エッセイは、アラブ・イスラエル紛争、中東政治、現代生活におけるイスラーム、西洋におけるイスラーム、個人とアメリカのイスラームの五部にグループ分けされる。(ムスリムに関する立場に何ら混乱があるといけないので、「私のスローガンは、過激なイスラームは問題で、穏健なイスラームは解決だ」とパイプスは要約してきた。)
第一部の「アラブ・イスラエル紛争」は、恐らく『アルゲマイナー』紙の読者にとって最も身近な興味であろうはずだ。その話題の一つは、平和の処理装置と促進者の(果てしない)「和平プロセス」である。ジャーナリズムと政治におけるその経歴は、この領域では失敗のように何も成功しないことを提示し、「'和平プロセス'と呼ばれるものは、実際には'戦争プロセス'と呼ばれるべきだ」(と、パイプスはそのように論じる)。
別のエッセイで、歴史的あるいは宗教的というより、むしろ全く政治的だとして、エルサレムのムスリム要求をパイプスは覆す。「ユダヤ人の聖書には、エルサレムが669回、(通常はエルサレムを意味する)シオンは154回現れる。対照的に、ヒンドゥ教の『バガヴァッド・ギータ』(Bhagavad-Gita)、道教の『老子道徳経』(Tao-Te Ching)、仏教の『法句経』(Dhamapada)、ゾロアスター教の『アヴェスタ』(Zend Avesta)と同じ頻度、コーランにエルサレムが登場する。つまり、一度もない」。勿論、パレスチナのアラブ人は、パレスチナの英国植民行政者とその子ども達が、何世代も「英国の緑の楽しい土地にエルサレムを建てる」という彼らの熱望を歌った(最近、英国の特定部分で「英国の緑の楽しい土地にラマラを建てる」に変更した)という事実を何も言わずに、古代のユダヤ人とクリスチャンの熱心なエルサレム付着に気づいた。パレスチナ統治のシオニスト運動と英国の両方の仮定に応答した二十世紀初期まで、エルサレムはアラブの政治宗教活動の焦点にならなかったのである。
「聖なる都市」という、このわざとらしい彼らの抱擁は、しかし、パイプスが別のエッセイで「鏡のイメージ:どのようにPLOがシオニズムを物真似するか」と呼ぶものの一側面である。数十年前、パレスチナのアラブ人が悲しげな上着の裾に乗せてもらおうと試みてきた差別、抑圧、殺害というユダヤ人の経験全体において、シンシア・オズィックは方法を指摘した。この実に嫌な物語を、パイプスは最新かつ凄まじく詳細に持ってきた。「手始めに」と彼は指摘するのだが、「『パレスチナ』と1920年に呼んだ領土のまさに描写は、シオニストの達成だった。ユダヤ人は、英国政府にそのような単位を作り出すことを押さなかった。当該地域のアラビア語話者は、大シリアあるいはアラブあるいはムスリム民族の中で暮らしていると自らを見なし続けてきたことだろう。単純に『フィラスティン』に対するアラブ感情は、全くなかったことだろう。パレスチナ民族主義者は...シオニスト運動を、機構、識見、実践のモデルとしてきた」。例えば、パレスチナの暦に特徴付けられた日付は、彼ら自身のではなく、ユダヤ人という敵の行動と達成の記録である。
1980年のエッセイで「ホロコーストを盗むこと」と私が呼んだものより、もっと明らかでけしからぬユダヤ人全般のこのカーボン複写は、どこにもない。これは最近、進歩派の心にとってあまりにも愛しい「包括性」という我楽多言語に合体させてしまった。2006年まで英国ムスリム協議会の事務総長だったイクバル・サクラニー卿がここにいる。「ホロコーストの『もう二度と』というメッセージと、そのメッセージが世界共同体に実際的な効果を持つことのために、それは包括的でなければならない。人間生活の点では、二重基準を決して持てない。ムスリムは傷つき、排除され、ホロコースト時代に失われたこれらの命と等しく、彼らの命は価値がないと感じる」。我々パレスチナのアラブ人が過去に遡って含められることを非常にとても好むだろう、美しいホロコースト苦悩の全てを、どのようにユダヤ人はあえて占有するのか。実際、我々自身で主張するためである。ルース・ヴィッセは観察してきた。「これまでかなりの期間、そしてより大きな強さで、象徴とユダヤ史の用語と民族意識の全てを組織的に横領しながら、パレスチナのアラブ人は自らを本当の『ユダヤ人』だと表明してきた。...彼らが識別的なアラブ民族だというパレスチナのアラブ人の要求を問うことは我々のためではないかもしれないが、もし彼らが一民族ならば、なぜユダヤ人だと自分を代表するのか?」
明快に書けており、非常に生き生きした本書の章「ムスリムとしてのバラック・オバマの子ども時代」「過激なイスラームにとっての左派:デニス・クシニッチ」「ラシュディ規則の優勢」は、全ての読者に最もアピールすることであろう。最後は、パイプスの預言者的な本(『ラシュディ事件:小説・アヤトッラー・西洋』1990年)の主題に戻る。そこで(事実上一人で)彼は、(イラン)政府が単なる小説家に過ぎない外国(英国)の一私人との戦いを拾い上げることを巡る膨大な政治的含意を西洋世界に警告しようとし、それによって、亡命、小説を作ること(悪魔の詩)、国家間紛争の出来事を巡っても、まさに概念に疑問を呈している。この比較的初期段階で、どの中東専門家の中でも最も充分に達成した経歴の一つになったものは、ペルシャの技術的に能力のある宗教狂信者にとって、本を巡る喧嘩が、どのようにアメリカと西洋の(編集委員会と出版社で始まるが、最近の見せかけの核合意で頂点に達する)降伏を予知したかを、パイプスは提示したのである。
エドワード・アレクサンダーの近著は『自ら相対するユダヤ人』(トランサクション社 2015年)。本記事は、最初に『シカゴ・ユダヤの星』紙で発表された。