「陰謀論は陰謀を招く。想像上の策略は実際の策略を引き起こし、実際の策略は想像上の策略を引き起こす。再現もなくお互いに相互強化し、更に深化していく非合理の循環である」。
ダニエル・パイプスは、中東の陰謀論の役割に関する1996年の本に、これらの言葉を書いた。今日、パイプスは自分が描写した循環そのものの理解力のうちに自身を見出す。
パイプスの支援者達は、フィラデルフィアに基盤を持つ中東学者の書いたものが将来を予示したのは、これが初めてではないと言う。1980年代以来、戦闘的イスラームが対米戦争を宣言してきたとパイプスは警告してきた。
9.11前には、しばしば警告者あるいは偏見があるとして、彼は退けられていた。今日、彼はもっとずっと真剣に受け留められている。
自分が世間の注目を浴びているのを知って、アメリカの敵はアフガニスタンの洞穴やフロリダの航空学校にのみ潜伏しているのではないと論じつつ、パイプスは掛け金を引き上げた。パイプスの最新の著述によれば、アメリカの殆ど主流のムスリム団体は、密かに「合衆国をイスラーム国に転換することを夢見ている」過激派に導かれている、という。
「政治の世界では、私はナンバー1です」と、パイプスは楽しげにニッコリと笑って言う。独立したシンクタンクである中東フォーラム所長のパイプスは、最近、エド・レンデルを超えた。センター・シティ・テレビのスタジオのビデオ・リンクから、世界へ最も頻繁に発した政治論客になったのである。
9.11以来、署名記事と画面に登場するスピーカーの両方で、パイプスは常に要請があった。CNNとMSNBCのレギュラーになり、『ニューヨーク・ポスト』紙の週刊コラムを書いてきている。2002年9月11日には、W・W・ノートン社が新著『戦闘的イスラームがアメリカに到着』を出すだろう。『ロサンジェルス・タイムズ』紙が「9.11を正しく理解した」人々の僅かな一人として選び出したことを、パイプスは誇らしげに列挙する。
「人々が充分に留意しなかったこと、そして、今もっと留意を払われる必要のある問題を理解していたという感覚があります」と、パイプスは言う。
中東フォーラムの機関誌は1997年に「20の世界貿易センター爆破に対して備えをせよ」と題する論考文を発表した。その文章は、合衆国にある戦闘的イスラームのテロ・ネットワークが極めてよく組織化され、まだ実行しなかったものよりも遙かに破壊的な攻撃をやってのけることができると警告していた。
真剣にテロ脅威を受け留める以上に、パイプスは初期の仕事で手柄を与えられている。それは、9.11前には立派な学界ではあまりにも保守的過ぎると考えられていたものだった。
1983年、パイプスはサウジアラビアの役割を詳細に記した本を出版した。ムスリム世界でイスラーム原理主義を広めるというものだった。世界の主要な石油供給者との衝突を避けるために長らく覆い隠されてきたが、その件は5月に議会聴聞会で取り上げられた。
1996年のパイプスの著書『隠れた手』は、地域の諸問題の全てを西洋の秘密機関のせいにする、中東に蔓延る陰謀論を詳細に論じたものだ。9.11後、イスラーム世界の多くが、ムスリムは自殺ハイジャック行為には何ら関係がないと主張したことを示す相次ぐ世論調査に、アメリカ人は衝撃を受けた。昨年の9月に照らして『隠れた手』を読むと、最初の世界貿易センターの爆破は、不思議な既視感覚を与える。
「1993年2月に世界貿易センターを爆破した罪で、ニューヨーク法廷は6人の中東ギャングを見つけた。中東人が討論したのは、誰のために彼らが働いたか、である。一つの派閥は論争した...'彼らの精神的指導者'は、イスラームの信用を貶めることによって、主人によく仕えた'CIA機関'だ。他の派閥は、イスラエルの諜報を指摘した。主犯人のムハンマド・サラマの母親がレポーターに語った。『ユダヤ人だ。これはユダヤ人から来ている。これをして、うちの息子を責めたのは』」。
『月刊大西洋』誌の編集者であるロバート・カプランは、ムスリム世界についてかなり書いてきたが、「ダン・パイプスは、大半の人より凄く上手にやってきましたよ。9.11に照らして正しい分野に焦点を当てているということで、私は大きな信頼を寄せています」。カプランは、たった10年前には「イスラームのテロリスト脅威が誇張されていると多くの人々に見なされ、(そして)強調した人々は、どういうわけか反応的(だと見なされたの)です」と述べる。
飛行機がぶつかった時、パイプスは大学町の自宅で、いつものようにダウンタウンのオフィスに向かう準備をしていた。電話が鳴った。ジェット機がちょうど世界貿易センターに衝突したばかりだと言い、即座の分析を求めてきたのは、アクション・ニュースのチャンネル6番だった。パイプスは、その日をABC提携のスタジオで過ごした。
「しっちゃかめっちゃかでした」と、9.11後の日々を指してパイプスは言う。「一週間はオフィスに行けなかったと思います。ただ、書きまくって、話して、テレビに出て、ラジオにも出て」。
正しい言葉「しっちゃかめっちゃか」を見つけたのがわかって、再び彼は穏やかに言う。
9月12日には、パイプスによる署名記事が『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙に掲載された。パイプスは、アメリカで第二位の最大閲覧新聞の必読事項の必読ページだった。どのように「間違いが大惨事を可能にした」かという見出しが読んだように、パイプスは主な著述の物的財産を説明に使った。
パイプスは、政府による四つの間違いを抜き出した。テロリスト攻撃を戦争行為ではなく犯罪だと見なすこと、人間の諜報よりもむしろ電子監視に依存すること、「アメリカ憎悪のメンタリティ」と彼が呼んだものを理解しないこと、アメリカ内部のテロリスト構造を無視することである。
これらの間違いの一つは、即座に広く認識された。だが、「戦術的な非難は、合衆国政府に降りかかっているのだ。危害からアメリカ市民を保護する最上の義務に、悲しいほど失敗した」というパイプスの主張は、元来、非愛国的だと見られた。この春にフェニックス・メモが明らかになってのみ、パイプスの批判が主流談話の一部となった。
ワシントンの官僚が当該集団と公の猜疑になった後、9月末にアル・カーイダを非難するのみで、パイプスは当初、警戒的だった。その後まもなくパイプスは、アメリカのムスリム共同体の指導者層がオサマ・ビン・ラディンのシンパによって占められているという論点で、公になった。
影響力のある新保守派のジャーナルである2001年11月号の『論評』誌に、「危険は内部に-アメリカにおける戦闘的イスラーム」というエッセイをパイプスは発表した。「アメリカ人ムスリムの多数派が何を信じようとも、組織化されたムスリム共同体の大半は」アメリカにイスラーム国家というものを建てる目標に同意している、と彼は書いた。「別の言い方をすると、本国の主要なムスリム組織は、過激派の手にある」。
この願望を共有しているとしてパイプスが選び出した著名な大半の集団は、アメリカ・イスラーム関係協議会(CAIR)、アメリカ・ムスリム協議会(AMC)、ムスリム公共問題協議会(MPAC)だった。
パイプスは、その小論は攻撃前には「公表できな」かったと言う。「真面目に受け留められないだろうという意味でね。早過ぎたのです。それを書いてしまい、9月前にはそうでなかった方法で、これが妥当だと思われるようにさせる何かが起こることを待っていたんです」。
ダニエル・パイプスは1949年に生まれ、ボストンで学校に通った。中東史の博士号を含む学位全部は、ハーヴァードからのものだ。大変尊敬されたロシア史の名誉教授である父親のリチャードと同じ大学である。ハーヴァードでは、中世イスラームを研究した。現代イスラームが中世へと振り返り始めた時になって初めて、彼は現代世界に矛先を向けた。
「1978年に博士号を得るや否や、それが起こりました。その年の末までに、アヤトッラー・ホメイニーが波を起こしていたのです。彼は、現今の場面でイスラームについて語っていた、中東史を振り返った最初の人でした。それで、多くの人々を惑わせました。解釈の要請があったのです。イスラームと政治についての論文を終えたばかりでしたから、それは自然なことでした」。
パイプスは、ハーヴァードの教授として父親の足跡に続いていたかもしれなかった。そこで講師として一年を過ごし、わかったのは、自分がテニュア候補から外されていたことだった。彼によれば、保守見解のためである。「私の動機は、中東研究を支配しているものと一致していませんでした」と、パイプスは言う。「自分の政治観が何かという理解があった途端、私は本質的に好ましからざる人物だったのです」。
象牙の塔から閉め出されて-「私が去りたかったということではあまりなく、向こうが私を招かなかったのです」-センター・シティに基盤を置くシンクタンクの外交政策研究所を運営するために、1986年にフィラデルフィアへ向かった。1994年、パイプスは中東フォーラムを設立した。
中世のアラビア語写本で飾られたオフィスで、パイプスは多くの役割を担っている。ある時は管理者、ある時は執筆者、ある時は政策分析者である。パイプスは皮肉る。「うちの子ども達が尋ねたんです。お仕事何しているのって。あの子達が小さかった時には、自分でもよくわかりませんでしたね」。
数え切れないほどの無報酬のテレビ出演で、彼は多くの顔を見せる。コニー・チャンとの一対一の対談では、学者を演じる。「おぉ、コニーさん。私はあまり楽天的ではないのですよ」とは、彼のオープニング路線である。だが、MSNBCの『ハードボール』では、悪意で攻撃的なアラブ人のジャーナリストと討論するか、司会のクリス・マシューに厳しく尋問される時、「15秒でコマーシャルに行くので、すぐ本題に入る」闘争的な人格にパイプスは転換できる。
一貫しているのは、論争だ。パイプスは遠慮しないではっきり言う。6月にフォックス・ニュースの『グレタ・ヴァン・サスターンとの記録』番組に出演した時、パイプスは司会者に事もなげに語っている。「いろいろな意味で、今日のムスリム世界は、文化の至る所で広まっている反セム的なテーマを見出すという点で、ナチ・ドイツに擬えられます」。
個人的には、パイプスは穏やかな話し方をし、脅威的ではない。彼の顕著な6.4フィートの背丈は、痩せた体型には大袈裟過ぎる。支援者にとって、顎髭と痩せこけた頬のパイプスは、手緩く我が儘過ぎる人々に聞きたくない不穏な真実を語る、砂漠の聖書の預言者のように見える。批評家にとっては、全く異なって見える。彼の弓なりの眉毛と黒い顎髭に言及しつつ、ある反対者が述べたように、「私には、彼がメフィストフェレスのように見えます」。
パイプスが導いている中東に関する考えは、ムスリム信仰内で二つの拮抗する党派があるということだ。穏健なイスラームと、パイプスが「イスラーム主義」と呼ぶものだ。
「何よりもまず、それはイデオロギーです」とイスラーム主義を描写しつつ、パイプスは言う。「それは人々が非常に献身する識見の体系です」。だが、戦闘的ムスリムは、パイプスが主張するには、他の原理主義宗教の集団よりも、もっと危険である。パイプスが言うには、全ての宗教は熱心党を持つが、「彼らの誰も、戦闘的イスラームの衝動、国家支援、金銭支援、あるいはグローバル野心のようなものを持ちません」。自身の裏庭を管理することを求めるだけの他の宗教原理主義者とは異なり、イスラミスト達は世界を征服するまで休まないだろう、とパイプスは論じる。そして、アメリカは首位の対象である。なぜならば、合衆国は「彼らと彼らの目標の達成の間における主要な障害の立ち位置」だと見られるからだ。
パイプスによれば、「戦闘的イスラームの野心は、単に、そうですね、サウジアラビアからアメリカ人を追い出すとか、アラブ・イスラエル紛争に対するアメリカ政策を変えるとか、イラク制裁を終わらせることではありません。彼らは遙かにもっと野心的で、合衆国のまさに本質を変えることと関係があります」。
彼らのプログラムがアメリカの生活様式にとってあまりにも脅威的なので、暴力を信奉するか否か、それを支持する人々全てを敵だと見なす、とパイプスは言う。もうすぐ出る本の中で、全てのイスラミストは「潜在的な殺人者だと考えられなければならない」とパイプスは書いている。
「穏健なイスラミストと過激なイスラミストの相違は、穏健なナチと過激なナチの間の相違のようです」とパイプスは言う。「オフィスで九時から五時まで働いて、誰にも何ら害を犯さなかったナチ(党員)もいました。でも、彼らは殺人者を助けていて、彼ら自身をある点で動員することができたという意味で、潜在的な殺人者です。ネクタイを締めて、素晴らしい車を持って'制度内部'にいる'OK'である戦闘的イスラーム支持者がいるという考えと、私は対立します。私は否と言います。彼らはOKではなく、皆危険なんだ、と」。
パイプスは、過度に警告者に聞こえようとはしていない、と主張する。「彼らが勝利することにはなりません」と彼は説明する。「彼らは国を変えるつもりはありません。ですが、もし我々が止める手段を取りさえすれば、国を変えるつもりはないのです」。
イスラーム主義を打ち負かすために、とパイプスは論ずる。遅れを取っているべきジハードのような伝統の側面と正直に対決する原理主義者を得る努力のうちに、合衆国は穏健派を支持しなければならない。「9.11のメッセージは、我々がイスラームを現代化するこの過程の一部になる必要があるということです」とパイプスは言う。しかし、穏健派を援助するために、合衆国の当局が我々の中にいるイスラミストを厳しく取り締まれ、ともパイプスは主張する。
全てのイスラミストを潜在的な殺人者だと見ているので、パイプスは司法省の9.11後の取り締まりを強く支援してきた。「私はロンドン巡査の類似を用いるのが好きです。何十年も何十年も、武器無しで有名だったのです。ある一定の時点で、IRAその他の問題と共に、巡査が武器無し警察官を持つことは滑稽になりました。武装しなければなりませんし、充分に武装しなければなりません」。
今日、パイプスはプロファイリングを支持する。「これは、人々の感情について懸念する時ではありません」。そして、FBIの秘密拘留を「絶対に必要だ」と呼ぶ。パイプスが見るように、「もし(そこに)いるべきではないバーの背後で、幾ばくか時を過ごす人々がいるならば、それは私が喜んで支払う代価です」。
より厳しい境界線を呼び掛けることにおいて、パイプスはブッシュ政権を超えていく。訪問者やいわゆる移民は、戦闘的イスラームに共感するかを見るために質問されるべきだ、と。そういう人々は閉め出されるべきだ。「なぜ我々は、この国を見下げる人々を中に入れさせるべきなのですか?」とパイプスは修辞的に問う。
だが、パイプスは自分が偏狭頑迷ではないと主張する。ジョン・ウォーカー・リンド、リチャード・リード、ホセ・パディラの観点から、連邦捜査官はアラブ人に厳しい質問を制限すべきではないと論じつつ、「私は誰の迫害も要求していません」と説明する。
「我々の敵だと自己定義している人々に対して、自分達を守る必要があると、私は言っているのです。彼らは我々に対する戦争を宣言しました。我々が彼らに、ではなく」。
主流のイスラーム団体は、「対テロ戦争」というこの特別な問題の全てに関して、パイプス見解に反対するが、それは彼の新たな攻撃である。その団体自体が、精神において、アメリカのムスリム組織が最も立腹させられてきたアメリカの敵と提携しているのだ。
パイプスが選り分ける三つの主要団体の各々は、定めた自分の目標を持つ。そして、全てが、アメリカでイスラーム法を施行したがっていることを否認する。
アメリカ・イスラーム関係協議会(CAIR)のスポークスマンのイブラヒム・フーパーは、自分のグループが「多種族環境で自分達の信仰を実践できるように、イスラームとアメリカ共同体のための正義と調和」を求めている、と言う。
ムスリム公共問題協議会(MPAC)の執行役員のサラム・アル・マラヤティは説明する。「私達の目標は、統合しながらアメリカのムスリム共同体の声として役立つことです。私達の焦点は多元主義です」。
アメリカ・ムスリム協議会(AMC)のコミュニケーション・ディレクターのファイズ・レーマンは、「それはパイプス氏が恐れているものです」と付け加えながら、自分の組織は「政界でのアメリカ人ムスリムのエンパワーメントを求めています」と言う。
人種差別主義という咎を避けるために、戦闘的イスラームと穏健なイスラームという誤った二元法をパイプスが用いている、とムスリム指導者は言う。パイプスは、組織化されたアメリカのムスリム共同体そのものを恐れていないと言う。過激派に占有されているもののみが、恐れである。だが、現在存在していて、アメリカのムスリム共同体が過激派に占有されているので、パイプスは共同体の政治的エンパワーメントという見解が脅威だというのだ。
アメリカのイスラーム団体の大半の指導者にとって、これは(クー・クラックス)クランのメンバーが言うことに等しい。「私は人種主義者ではない。私は黒人と何ら問題がない。もし彼らが全て犯罪人でなかったならば、我々は全く素晴らしくやっていくだろう」。
どう少なく見積もっても、彼は最も鼻持ちならない折り紙付きの数少ない悪い林檎を選り分けて、全収穫物の代表だと主張しているのだ、とムスリム系アメリカ人指導者達は言う。
イスラームを代弁するテロリストは「アメリカはコロンブスの大虐殺で、(南部)バプテストの(元)長がムハンマドは小児愛者だった。アメリカはオレンジ・ジュースで酔っ払いだ。この事柄がアメリカで起こっているが、それらはアメリカを代表しているのか?」と言っているようなものだ、とフーパーは論ずる。
ワシントンで代弁する者達とは違って、パイプスが穏健だと主張するアメリカ人ムスリムの膨大な多数派と同様に幾つかのアメリカのムスリム団体を支援すると言いながら、自己弁護する。著述の中で、パイプスは「イスラームの極端主義」と呼ぶものに公に反対し、ムスリム世界の中で、戦闘的イデオロギーを輸出することで長らくサウジ体制に批判的だった、アメリカ・イスラーム最高協議会(ISCA)を称賛する。
ISCAの誰も、この記事のためのインタビューに応じられなかった。
「クルアーンで憲法を置き換える」ために密かに働いているという、パイプスが述べる最新の論点を、純粋にくだらないものとしてCAIRやAMCやMPACは却下する。
「それは一度も私の心に入ったことがありません」とフーパーは言う。「毎朝起きて、『どうやってアメリカを乗っ取れるか』と考えるようなものではありません」。
アル・マラヤティは、パイプスが「(真実に)気づいていないか、現実を歪曲している」のだと言う。
指導者がホワイト・ハウスに招待されてきたことや、FBI局長のロバート・ミュラーが一番最近の集会で語ったことに注目して、AMCは「とても主流の組織」だと、レーマンは言う。パイプスの問責について、レーマンは修辞的に問う。「もしそれが隠れているなら、どのように彼はそれを悟るのですか?」
11月にオンラインの『サロン』誌が発表した質疑応答で、この問題が投稿された時、パイプスは応答した。「見なさい、私は濾過を持っているのです。私は30年間、イスラームとイスラーム主義を研究してきました。どのように進んできたか、何が議題項目なのかという感覚が、私にはあります。それに、私は見えるのです。あなた方は見ないのです」。
『ダニエル・パイプスは'自分の濾過器をきれいに'すべきだ』と題したCAIRのプレス発表にて、「イスラーム恐怖症の評論家は...石油変換施設を訪問すべきだ」と示唆したコメントで嘲笑された。
パイプスの主張の証拠の大半は、滑りやすい坂の議論に依存する。例えば、多くのアメリカのムスリム団体は、現在、運転免許の写真で頭を覆っている伝統的なニカブを身につける努力のうちに、フロリダの女性を弁護している。その女性は、多元主義社会の基本原則である第一修正によって保護された権利で、単に自分の宗教を実践しているだけだ、と彼らは論じる。
パイプスは同意しない。「我々がそれを採用するつもりだって?」と彼は問う。「これは、女性達がただ目だけを出せるサウジアラビアのような場所になるつもりなのですか?そして、これは国(当局)によって受け入れられているのですか?」
フロリダの女性を擁護するうちに、ムスリム集団が「イスラーム法のための基盤を準備して」いる、とパイプスは言う。「もっと広く言えば、合衆国とイスラームは、異なる場で、合衆国にイスラームを採用してもらいたがっているのです、逆ではなく」。
先週尋ねられて、今、自分の主張にとってもっと具体的な証拠を持っている、とパイプスは言った。「無意識の時ないしは経歴における早期」だと、明白に過激な状況を述べているアメリカの主流ムスリム指導者の引用に、最近、メッキが剥がれてしまったのである。
2000年10月に、ホワイト・ハウスの正面での反イスラエル・デモの間、AMC設立者のアブドゥルラーマン・アラモウディが、レポーター達に言った。「我々は皆、ハマスの支援者です」。そして、付け加えた。「私もヒスボラの支援者です」。200名以上の米海兵隊員を死なせたレバノン集団による1983年のベイルート兵舎攻撃を暗示したのだった。明らかに、これは主流の声明ではないが、それはAMCが合衆国でイスラーム法を制定したがっていることを改善するだろうか?AMCは、アラモウディはもはや団体と共にいないと言いながら、自己防衛する。
その後、まだ煙の立つ銃に接近者が来ていなかったと、パイプスが考える引用がある。1990年代初め、CAIRのスポークスマンになる前、フーパーはミネソタでムスリムを代表する団体のイスラーム情報サービスを運営していた。ミネアポリスの1993年4月4日付『スター・トリビューン』紙版で、フーパーが言っていることが引用されている。「私は、将来のある時に、合衆国政府がイスラーム的であることを望んでいないという印象を作り出したくないが、それを促進するために暴力的なことは何でもするつもりはない。私は、教育を通してそれをするつもりだ」。
声明を発した時、CAIRは存在さえしなかったし、CAIRの見解を代表さえしないと、フーパーは記している。声明は、アメリカに「イスラームの正義と寛容の基準を」反映して欲しいことを意味したのだと、彼は言っている。イスラーム法の施行に関して、フーパーは問う。「9年近くの存在の中で、CAIRがどんな公の発話でも、アメリカでイスラーム法を適用したがっていると意味していると解釈され得るようなことを、今まで何か言いましたか?イブラヒム・フーパーは、それを欲しません。CAIRは、それを欲しません」。
イブラヒム・フーパーやCAIR他のムスリム団体が公然と欲するものは、ダニエル・パイプスにもっと少なく留意を払うことだ。
「9.11前、彼は大衆の情熱をただ煽り立てたがっている人だと見られていました」と、メインラインに基盤を持つ全国組織のパレスチナ・メディア・ウォッチを率いるアフメド・ボウジドは言う。「9.11後、まるで預言者であるかのように、彼は思いがけなく先導されました。まるで、初めからずっと正しかったかのように」。
「彼は全く信認されていませんでした。その後、9.11が起きたのです」と、レーマンは嘆く。
実際、オクラホマ市の爆発は恐らくムスリム過激派の仕業だろうと示唆して、パイプスは恥をかいた。だが、今日でさえパイプスは言い張る。「(テリー)ニコルスがフィリピンへ行った時、そこのイスラーム主義団体との間にコネがあったという生きた関心がまだあります」。
アル・マラヤティでさえ、パイプスが「9.11を正しく理解している」ために信認に価し、それ故に注目の的の権利を与えるという、主流見解を論争する。陰謀論や戦闘的イスラームに資金を送っているサウジの役割のようなパイプスの調査の関心は「共通知識」だと、アル・マラヤティは言う。「中東を覗き込む時間を費やす誰もが、同じ論点を作ることができたでしょう」。
それでは、なぜパイプスがそれほど著名になったのだろうか?
MSNBCの女性報道官であるシェリル・ダリーは、単純なことだと言う。「中東事情に通じているし、洞察力があると私達が考えるので、MSNBCの番組でインタビューされていましたから」。
イアン・ルスティック教授は、それよりもっと複雑だと考えている。アメリカ・ユダヤ委員会のフィラデルフィア支部でパイプスと討論したペンシルヴェニア大学教授は、中東フォーラムの長が「信頼できる学界がこれまで明言しないような見解を取ります。彼は、主流の学問領域の遙か外にいます。しかし、大衆的な見解なので、そのネットワークは、この見解を与える人々を必要とします。彼らが得ることのできる穏当な地位は、どこにもありません。彼らが探しているものは、無茶な地位です」と述べる。
パイプスが批判するイスラーム諸団体のうち、二人の広報係は、仕事でもっと陰険な何かを仄めかしている。
アル・マラヤティは言う。「親イスラエル・ロビーは広報マシーン(を通して)、彼に大声を出させてきました。彼よりももっと穏健な、他のユダヤ系学者は非常に大勢いますが、より頻繁に番組に出るので、明らかに多くの支援を持っています」。
フーパーは言う。「ダニエル・パイプスは、基本的に、アメリカのムスリム共同体から公民権を剥奪する努力における、親イスラエル・ロビーの先鋒なんですよ...。ある外国政府、つまりイスラエル国家の利益にとっての全てです」。
アメリカ・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)の代表者であるジョシュ・ブロックによれば、「ダニエル・パイプスは、語ることにおいて大抵正しい反面、'親イスラエル・ロビー'のためではなく、彼自身のために語っているのです」とのことだ。
「彼は、自分自身の政治観を持っています」と言うのは、フィラデルフィアにあるイスラエル総領事のギオラ・ベッチャーである。「イスラエル政府の見解と何度も一致しています。ですが、ご存じのように、我々は民主主義なのです。イスラエルで、どの政府を持っているかによるのです。彼がイスラエル政府の諸決定を必ずしも支持しないことは、あの人のことをよく説明していますよ」。
自分のエスニシティあるいは宗教を議論することを辞退したパイプスは、AIPACの会員ではないが、頻繁に会合で講演する。
パイプスは、中東の陰謀論におけるAIPACの顕著な役割に気づいている。『隠れた手』で詳細に述べられた一つの持論は、イスラエルが他機関の中でもAIPACを通して米国をコントロールしているというものだ。その仮説の肝心な点は、パイプスによれば、「米国とイスラエルは、正常な国家と国家の関係を持てないが、誰かが他の誰かを動かしていなければならない。それが、混じり気のない陰謀論である」。
陰謀論を広めているのは、CAIRではなくパイプスだ、とフーパーは言う。「あらゆる皮肉の元です」とフーパーは言う。「あの人は、陰謀論のまやかしを暴く本を書いたでしょう。世界貿易センターに(4000人のユダヤ系の)人々が現れなかったというのは、陰謀論です。でも、ムスリムがアメリカを乗っ取ろうと目しているとパイプスが言う時、それも陰謀論ですよ。ある人は正当に嘲笑されて、他の人はある政治的な筋から支援を得るのです」。
影響力や著名度にも関わらず、パイプスは勝利を宣言していない。「これらは大変に野心的な見解です」と語る。「そして、9月以降、米国政府の解釈に逆らっています」。パイプスが述べるには、ブッシュ政権は「'テロリズム'として、その問題に言及しています。イスラームとの関連を無視すると言い張るのです」。
だが、預言者モードに素早く切り替えながら、最終的には意見を変えて国が同調するだろうという信念を、パイプスは持っている。「私が見ているものは、何度も何度も襲撃されるだろうということです。ある特定の時点で勝つだろうとは思いますが、問題は、どのぐらい不必要な損失がかかるだろうかというものです。なぜならば、それに関して充分に真剣ではないからです。私が悲嘆に暮れるのは、人々が殺された後でしか学ばないことなのです」。