ダニエル・パイプス:マイケル・オーレンさんとご一緒できて、うれしく存じます。
駐米イスラエル大使としての四年余りを非常によく説明して綴られた『同盟:アメリカ・イスラエルの分離を超えた私の旅』を読み始めた時、私は最初から始めたと認めましょう。本ではそうする傾向にありますので、待ち受けている突発事件のニュースという考えはありませんでした(笑)。
ジョン・ポドレツによるコラムを読んだ時、最初の仄めかしが心に浮かびました。「外交史記録」というものは「ほぼ全ページがニュースである」「全くこの驚愕すべき説明のようなもの」を一度も目撃したことがない、と彼は示唆したのです。実に次の数日、本書を巡る熱狂的賞賛と三つの関連記事を見ました。「境界線ヒステリア」は、どのようにイスラエル人ジャーナリストのベン・カスピットがオバマ政権の応答を要約したのか、です。
本書は膨大な注目を惹き付けてきましたので、貴方や会場の皆様は、内容について何か知っていると前提しましょう。そして、三つのトピックに関する特別な問題に、質問の焦点を当てましょう。アメリカ・イスラエル関係、本書への応答、そして、バラック・オバマです。
マイケルさんは、歴史的なアメリカ・イスラエル関係を支配している二つの諸原則を描かれています。昼間がなく、驚きがない。2009年以来、これらが壊れてしまったと論じ、速やかに再び主張されるだろうと希望されています。ですが、オバマ政権に残された一年半で、本当にこれが可能だと見ていらっしゃいますか? それとも、彼が職務を去った後に、これを希望していらっしゃるだけなのですか?
マイケル・オーレン:アメリカとイスラエルの関係は、静的ではありませんが、展開してきました。私達は、アメリカのではなく、フランスの弾丸で1967年の戦争を戦いました。1980年代に始まって、レーガン時代の真ん中です。この二つの諸原則は、驚きがなく、昼間もありません。癒合が始まりました。私は何を意味しているのでしょうか?
驚きがない:もし合衆国が中東とイスラエルの安全に関連した諸問題に主な新政策の立場を提示するつもりならば、私達にそれを見るチャンスを与え、私達のコメントを与えるために、演説の草稿かペーパーを前もって与えるでしょう。
昼間がない:両政府は、入植地、エルサレム、多くの他の問題を巡って異なるでしょう。ですが、相互の敵が私達の距離を識別し、仄めかすであろう公で提示するのではなく、閉めたドアの背後で、私達はこれらの相違を保っています。
大統領執務室のオバマとオーレン |
この二つの諸原則が常に高く評価されたとは言えません。私達は、相互に驚かせました。時折、昼間がありました。でも、これらは私達の同盟関係の歴史的な二つの支柱でした。しかしながら2009年に始まって、新たなオバマ政権は、政策問題として二つのこの支柱を保持しないと決めたのです。
驚きについては、決裂が討論の問題ではありません。例えば、大統領は2009年6月にカイロへ行き、中東に関するオバマ政権の立場という原理的な文書として役立った、非常に長い演説をしました(初の就任演説の二倍の長さ)。それはまた、オバマがムスリム世界と呼んだものとアメリカの関係、特にイランへの接近や核エネルギーのイランの権利のような、イスラエルの安全にとって極めて重大な多くの諸問題に触れました。イスラエルにとって、それは驚異的で、遠くまで及ぶ派生結果を持ったものの、大使館の私達は、草稿を一度も見ませんでしたし、警告も全くありませんでした。そして、それがちょうど、このような多くの演説の一つだったのです。
昼間に関しては、大統領が公に述べています。「過去八年間を見なさい[ジョージ・W・ブッシュ政権に言及]。あの八年の間、私達とイスラエルの間に、空間は全くありませんでした。それから何を私達は得たでしょうか?昼間がない時、イスラエルは外側に座るだけですし、アラブ諸国との信用を侵食します」。彼は、イランのような他の問題にも、二ヶ国間に昼間を置いたと判明するのです。
この二つの支柱は放棄され、修復されなければなりません。それは、合衆国とイスラエルの利益のみならず、中東の膨大な混沌を考慮すれば、当該地域にとっても重要なのです。実に、世界の安寧にとって必要とされます。なぜでしょうか?なぜならば、合衆国とイスラエルの絆を皆が見るからです。ジハード者であれ、日本人であれ、合衆国がイスラエル同盟を扱う方法を、世界は合衆国を頼る能力のリトマス試験として見るのです。
それ故に、二つの支柱は修復される必要があります。それが、この大統領職の残りの一年半で可能かどうか、私にはわかりません。私が言える全ては、そうであることを希望するということだけです。拙書は、我々が到達してしまった崖っ淵から、この関係を連れ戻し、修復するための熱心かつ熱烈な呼びかけです。
ダニエル・パイプス:ちょうど生き生きと描写された諸問題の他に、合衆国とイスラエルの軍事関係の内部事情に通じている全ては、今までよりもましです。これは、どのように可能なのですか?その背後の論理は何でしょうか?
マイケル・オーレン:本当に、今までよりもましです。武器開発の協力や軍事援助は、年に40億ドルに近づいていますが(その75パーセントは合衆国で費やされています)、合同策謀、寄航港、そして諜報共有は、本当にたった今、とびきり上等です。
なぜそうなのか?なぜならば、オバマ政権が外交の昼間と安全保障の昼間を識別し、計算したからです。より緊密な関係は安全保障分野です。余地が大きくなればなるほど、外交分野に昼間を置く必要があります。これは、とても興味深い知的演習に達し、機能しなかったものです。
中東人は、単に外交の昼間と安全保障の昼間を識別しません。中東では、昼間は昼間なのです。私達の地域の世界の昼間は、太陽がとても強くて、目を眩まし、火傷することができます。過去六年余りの行程を巡って大半の中東人が見たものは、増大した安全保障協力にも関わらず、全く遙かに離れて漂流している合衆国とイスラエルでした。
ところで、もし安全保障関係をもっと広く定義するならば、状況は異なって見えます。もし合衆国がイラン人と七ヶ月間、交渉したという事実を含めるならば、-そして、それは私達の治安に一定の影響を及ぼすのですが-こちらに言いもせずに、安全保障の関係は今までよりもましだとは言えないのです。
ダニエル・パイプス:合衆国とイランの議論に気づかなかったと言及されました。しかしながら、彼と政権は、一貫してイスラエルと情報を共有してきたと、大統領は述べました。本当ですか?
マイケル・オーレン:私達は、合衆国とイランの核計画に関して、長年、親密な対話をしてきましたが、それは私が参加する特権があったものです。アメリカ人は、非常に率直でした。私達は同じデータを見て、しばしば、同じ結論を引き出しました。しかし、ペルシャ湾で起こっている秘密の跡の内容に、私達は気づきませんでした。
ダニエル・パイプス:ホワイト・ハウスの元チーフ職員であるラーム・エマニュエルさんが、ある朝早く貴方を起こして叫んだと引用されていますね。「この忌々しい排泄物が好きじゃないんだ」(笑)。別の出来事で、国務副長官で、国務省のナンバー2の男であるトム・ナイデスさんが、貴方に叫びました。「パレスチナ人との忌々しい対決のために、あの忌々しい国連が崩壊してほしくないのか」と。
マイケル・オーレン:おわかりでしょうが、イスラエルにいたら、この(四文字)言葉を実際に言っても、何ら問題はないですよね?(笑)あまりにもアメリカ的ですよ(笑)。
ダニエル・パイプス:私の質問ですが、これは本当に、今日の外交状態なんでしょうか?(笑)
マイケル・オーレン:はい(笑)。えぇ、それは滑稽ですね。余談ですが、『同盟』は、イスラエル国家による七つのセキュリティ点検を経由しました。軍事センサー、国防省内の二つの部署、モサドその他です。とても上手でした。確かに、実際に一冊の本があるとは、驚異的なんです。
私は一度も日記をつける者ではありませんでした。以前は一度も、第一人称で本を書きませんでした。その転換をすることは、私にとって、深く、あまり容易ではありませんでした。でも、私がこの仕事を受けた時、妻のサリーが小さな日記帳をくれたんです。そして、言いました。「ねぇ、あなた、少し物事を書き留めた方がいいんじゃないの」って。私は答えました。「ううん、日記ってものを信用していないんだ」。
それから、その後まもなく、ラーム・エマニュエルが朝の二時に電話をかけてきて、これ言ってもいいですか?「このこん畜生のクソったれが好きじゃないんだ」(笑)。そして、朝の二時のようだったんです。それで私は言いました。「じゃ、僕もこのこん畜生のクソったれが好きじゃないさ」って。そして、そこから始まっているんです(笑)。それで、この事件を日記に書きました。日記は機密ではありません。そこに秘密を見つけることはないでしょう。でも、多くの色を提供しましたし、本書に深みを出したのです。
トム・ナイデス-かわいそうなトム・ナイデス。あの路線は「ユネスコが、ホロコースト研究ってやつを教えている。こん畜生のホロコースト研究を断ちたいかい?」で、イスラエル国家に対するナイデスの敵意の証拠として、たくさん引用されています。でも、まさに正反対なんです。トム・ナイデスは、私とイスラエル国家の偉大な友人です。ワシントンでは、それはただ、皆の話し方です。
本書に含めなかった一つの話は政権の高官からのもので、とても感じが良く、若い男性が、私にこのようなことを言っています。「クソったれのイラクから出てきている。なぜなら、えぃ、畜生のイラク人と共に、それをこん畜生にしてしまったんだ。そして、俺達はクソったれの家に来ているんだ」。そして、その後、私を見て、彼は言うんです。「なんで僕、このように話しているんだろう?」 (笑)
ダニエル・パイプス:アメリカ生まれだということで、「特別な」扱いを受けられましたか?別の国のご出身だったら、そして、ネイティブのアメリカ人でなかったならば、同じように扱われたでしょうか?
マイケル・オーレン:いえ、そうではなかったでしょうね。これは、特別な合衆国・イスラエル関係の軽薄な側です。
それはまた、ラーム・エマニュエルのような人々と私の特別な関係の一部でもありました。在職前に長い間知っていた人です。ラームのお父さんは、イスラエルの独立戦争で、イルグンで戦ったんです。(ですから、彼の名前はラーム、つまり雷なのです。) ラームは16歳の時に、総菜店の事故で、指の先の部分を切り落としました。オバマによると、その指先の部分を失った時、彼は語彙の半分を失いました(笑)。私はずっと、あの指に慣れました。
ですが、ラームがホワイト・ハウスを去り、シカゴ市長になるために出て行った時、私にとっての喪失だと思いました。なぜならば、彼は私が夜中に電話ができた人だったからです。えぇ、あの言葉を得るつもりでしたよ。時々、深刻な政策の不一致があったとしても、彼がイスラエルを情熱的に気に懸けていたことを知っています。彼は誇り高いユダヤ人で、父親が誇りでした。それが、政策の相違によって壊されることのできなかった結びつきを作り出したのです。
シカゴ市長のオフィスにいるエマニュエルとオーレン |
同じことが、(ラームのようには話さない)デニス・ロスさんにも真実です。デニスさんは、私達が言うようなワシントン風の話し方ではない、別のデータベースのワシントンの稀な中東専門家でした。ご存じのように、それが意味するのは、1976年と1977年の間にロンドンで専門家の所へ行くということで、それは彼らが知っていることです(笑)。デニスさんは、ワシントンで私が知った、当該地域全体がわかり、歴史的にもそれを見た唯一の人でした。彼は縦横に見ました。そして、30年間、和平に関与してきたので、個人的な思い出も持っていました。彼が去った時、もう一つの膨大な喪失がありました。
ダニエル・パイプス:貴方に関して、私の大好きな二つの説を試してみたいのですが。第一は、エルサレムとワシントンの間で関係が本当に暖かい時、イスラエル政府はあまりにも多く譲歩する傾向にあると気づいていることです。両政府間の低次元の緊張は、実際には良いのだと、私は信じています。
マイケル・オーレン:ここでは同意いたしかねます。歴史的に、イスラエル人は安全を感じる時、譲歩します。アメリカのユダヤ系指導者との最初の会合で、私が先に引用したように、イスラエルと合衆国の間に昼間を置くつもりだ、とオバマは言いました。なぜならば、昼間がない時、イスラエルは「脇に座っているだけ」だからです。
興味深い観察ですが、経験的に誤っています。例えば、ブッシュの年代には、昼間がありませんでしたので、イスラエル人は安全を感じました。結果として、イスラエルは、2005年にガザから21の入植地をぐいっと引っ張り上げました。2008年に、マフムード・アッバースにパレスチナ国家という充分な申し出をしたのです。ガザ全部、西岸の大半、エルサレムの半分です。2002年の第二インティファーダの最高潮の時、二国家解決策を支援するイスラエル人は、まさに零でした。2009年に私が乗り込んだ時までに、インティファーダは私達の背後にあり、70 パーセントのイスラエル人が二国家解決策を支持しました。
それで、私達が安全を感じる時、より譲歩をするのです。充分に奇妙なことに、これを一番よく理解した人は、リチャード・ニクソンでした。支援を与えよ、彼らは譲歩をするぞ、と。
ダニエル・パイプス:それが私の論点でした。
マイケル・オーレン:そうですか、失礼。
ダニエル・パイプス:アメリカ・イスラエル関係が繁栄している時、イスラエル人は手渡すと、私は言っているのです。例えば、2007年のフィラデルフィ回廊ですが、それは間違いでした。それ故に、見ることは構いませんが-
マイケル・オーレン:あぁ、少し低次元の緊張を欲しているんですね。だから、私達が譲歩しない、と。
ダニエル・パイプス:その通りです。
マイケル・オーレン:そうですね、それは論じられません。
ですが、大使としての私の責任は、私達に共通認識を得させようとすることでした。彼らが私達のところへやって来て、多くの非常に難しいことをするよう求めています。「私達は西岸の入植を凍結することを要請する。東エルサレムの建物を凍結する。パレスチナ人のための最終地位の地図だ」。地図の問題を取りましょう。私達がパレスチナ人に地図を与える度毎に、彼らはポケットに地図を入れて歩き去り、二年後に戻ってきて言うんです。「よろしい。最後にくれた地図から交渉を始めよう」。それで、私共は別の地図をあげたくなかったんです。政権は、そうするよう要求しましたけどね。
始終、私は当政権に言ったものでした。「私達を脅かすよりは、むしろ愛を試しなさい」と。それは常に私の路線でした。「愛を試せ、愛を試せ」ってね。なぜならば、私達が安全を感じる時、イスラエル人達は譲歩するからです。それは、ただイスラエル人だけではありません。人間の性質なのです。
ダニエル・パイプス:第二の説です。そうですね、1980年代にはイスラエルに関して、共和党員と民主党員の間、保守派とリベラル派の間で、あるコンセンサスがあったものでした。それは、さらにもっとイスラエルに友好的な保守派と、イスラエルにもっと冷淡なリベラル派とに崩壊しています。ご著書の逸話からは、この分析に同意されているようですが、正しいでしょうか?
マイケル・オーレン:私の逸話は、アメリカの選挙民のある層から直面した難問を指摘しています。イスラエルに関するアメリカの意見は、ちょっと物理学者が宇宙に関して言うことのようです-それは拡張し、同時に請け負っていると。もし世論調査全部を見るならば、この国のイスラエル支持は上がり続けています。ガザから出てくるひどいイメージと共にあるガザ戦争の高潮だった昨夏でさえ、アメリカのイスラエル支持は上がったのです。私がワシントンを去った時、アメリカ人の74パーセントぐらいが、程度の差はあれ、親イスラエルだと自己定義しました。申し分なく素晴らしい!私達は、スウェーデンとカナダの味方をしたのです。私達が得ているあらゆる悪い報道を考えると、それは驚異的です。
一方で、エスニック集団や年齢集団や所属党によって、これらの統計を人口動態的に圧倒するなら、状況はあまりとても楽天的ではありません。
イスラエルで私は40年近く暮らしてきました。えぇ、戻って来て、幾つかの大学で教えさえしました。でも、2009年に初めて、延長期間に戻りました。私は浦島太郎の経験をしました。まるで25年後に目覚めたかのように、自分自身の村を認識しませんでした。アメリカは人口動態的に転換してしまったのです。
アメリカは、もはや白人が多数派人口ではありません。両親のいる家庭よりも、一人親の家庭の方が多いのです。最高裁判所にはユダヤ系裁判官が一人いて、残りは基本的にWASPでした。今では、最高裁判所に一人もWASPはいませんが、三人のユダヤ系と六人のカトリック教徒がいます。人口が最大増加中で、より大きな政治的影響力を持っている、特にヒスパニックは、イスラエルに対する伝統的な結びつきを欠いています。
なぜならば、多くのイスラエル指導者達は、私達の首相や国防大臣も含めて、1970年代あるいは80年代に、アメリカで教育を受けてきたからです。異なったアメリカを覚えていたのです。それで、私は言わなければなりませんでした。「皆さんが覚えているアメリカは...そこにはもうないんですよ」。
2008年のオバマの選挙を、私は転換の時の症状だと見ました。私は預言者などではありませんが、遡ること2009年に、イスラエル指導者に言いました。二期の大統領のために、計画しなければならない。なぜならば、これらの変化は永久だからだ。2012年の選挙は、2008年よりもずっと深刻でした。変化が永遠であり、イスラエルは適応する必要があることを確証したのです。
イスラエルは、イスラエル支援を保持することにおける、二大政党提携の問題として、最高の戦略利益を持っています。私達は決して、一党占有になるべきではありません。これは、ますます挑戦的になってきました。なぜならば、イスラエルのテロ経験は、アメリカが左派に動いたちょうどその時に、大きく右派に移動したからです。イスラエルは、より伝統的になりました。アメリカはあまり伝統的ではありません。私は取っ組み合って、この現実に架け橋をしようとしなければなりませんでした。全く成功したかって?明らかに、そうではありません。私達はあきらめられるでしょうか?できません。到達し続けなければならないのです。
ダニエル・パイプス:ご著書への反応に移りますと、アメリカの官吏が『同盟』にひどく立腹させられました。ジョン・ケリー国務長官の報道官が「絶対に不正確で誤っている」と言いました。貴方の元の相手方だった駐イスラエル米国大使のダニエル・シャピロさんは言いました。「大使として私が言えるのは、時々、大使達は、指導者間で非常に限定された会話の見解を持っているということです。そして、その描写は、起こったことについて真実を反映していません」と。奇妙なことに、シャピロさんは何も知らないので、それ故に、何も知らないと言っています。いかがです?
食い違っている大使のダニエル・シャピロとマイケル・オーレン |
マイケル・オーレン:大使が別の大使について言うことは、奇妙なコメントです。 過去一週間半、貪欲に金を貯めて、惑わす、他の選択用語の政治家だと、私は呼ばれてきました。ですが、これら全ての人身攻撃を別にすれば、誰も本書を実質的に騒ぎ立てていません。400ページの物語を語り、事実上、誰もその事実が誤りだと言っていません。そうですね、アメリカ人は、私達に言わずに七ヶ月間、交渉しませんでした。あるいは、政権は、2014年半ばにベングリオン空港へのフライトをキャンセルしませんでした。誰も、私がただこれらの出来事を想像しただけだとは言いません。
政府の人々から受けた反応の一部は、私が思うに-政府の人々に気づくのであって、政府からの人々ではありません-私が取り上げようとした問題に過敏でした。
本書を今出す理由を私が持ち出すのは、6月は、ノン・フィクションの本を持ち出すには、ひどい時です。『顎(Jaws)』を持ち出す時、既に夏の読書ですから。(この精神で、私はランダム・ハウスに言ったんです。本書の名前を『ユダヤ人 (Jews) 』に変えるべきだ、と)(笑)。人々はビーチで読むでしょう!冬には行かないでしょう!このような本は10月か11月に持ち出し、11月のユダヤ系の本の月に参加し、クリスマス・ハヌカの本の季節に飛び込みます。
それに、私はクネセト、イスラエルの議会にいます。つまり、しかるべく本書を促進できないんです。以前は二ヶ月の本の旅を続けましたが、これとはできませんね。
それでもなお、私は今持ち出しました。なぜならば、来週あたりに、合衆国や安全保障理事会の他の常任理事国とドイツが、イラン・イスラーム共和国との間で署名した合意がありそうだからです。イスラエル国家は-私の党だけではなく首相も-これをひどい取引だと見ます。私達を深く危機に陥らせるものです。もしこの話を今まさに語らなかったならば、義務怠慢でありましょう。本書は、今晩ちょうど我々がしている会話を引き出すために、今、出てくる必要がありました。私達から何を期待するのですか?この合意の署名の夜に、静かに入っていくのですか?ユダヤ民族は、そうすることができません。
ダニエル・パイプス:三つのトピックの最後に向かいましょう。アメリカ大統領です。中東と世界に対するオバマのアプローチを、何がより良く説明するとお考えですか?壮大な戦略、あるいは物事が起こるにつれて改善していく応答ですか?
マイケル・オーレン:バラック・オバマは-全ての大統領のように-ホワイト・ハウスへ世界観と共に入って来ました。彼のは、たまたまイスラエル国家にとって非常にチャレンジングです。アメリカの例外主義の概念、あるいはアメリカの指導権を含んでいません。その代わりに、危機管理や世界事情との等しい権限というアプローチをより好みます。軍事力の一定の後座や、イスラエル国家にとって必ずしもあまり友好的ではない、国連のような国際機構との大変な依存を含みます。
私達の何人かが午前に目覚めて、世界中で最高の民主主義は、たまたまちょうど最大の軍事力でもあると、少し祝福(berakhah)を言います。それは素晴らしいことです。この点で、今まで私が聞いたバラック・オバマの最も啓発的なコメントの一つは、2010年の核安全保障サミットでした。そこで彼は言ったのです。これらの言葉は、私の魂に彫り込まれています。「好むと好まずとに関わらず、我々は優勢な軍事超大国であり続けます」。一瞬、それについて考えてください。 軍事力に対する大統領の態度に関して、それは非常に啓発的でした。ジョン・ケネディはそう言ったでしょうか?ビル・クリントンは?ジョージ・W・ブッシュは?
その後、ムスリム世界との接触のような、私達の特定問題に関するオバマの立場があります。完全に素晴らしいと私は思いました。アメリカがムスリムとの関係を改善する-私達を犠牲にしない限り、本当に、それは私達の利益のうちにある、と。パレスチナ問題に対する先行なき支援やイランとの和解は、しかしながら、私達にとって非常に問題があります。
この世界観は現実と衝突しました。その結果は、パッチワークのように見えます。カダフィに対しては介入ですが、アサドに対しては非介入です。イラクのISISに対してシーア派勢力に、一種、不明確に協力しますが、ISISに対してイエメンでサウジアラビアがしていることに、一種の抵抗をしています。そして、リビアでISISに対してエジプトがしていることに絶対に反対します。私は続けられます。
中東における先行なき騒動、暴力、失望という五年ほどの後、あの世界観は、大方、変えることが貫き通せないままだったのです。