対テロ戦に勝てるという合衆国の自信は、イラクでの体制変化に効果があり、イスラーム世界に民主主義をもたらす。部分的には、以前そのような何かをしてきたことから生じる。もし共産主義がソヴィエト圏内でぐらつかせられたならば、多くのアメリカ人は、中東はまさにラディカルに再形成され得ると考えるのだ。
その上、これらのアメリカ人は、価値を妥協することによってではなく、主張することによって、彼らの国がソヴィエトの全体主義を終わらせたのだと信じている。彼らの非妥協は、戦争を回避し、かつ、独裁制の崩壊を引き起こした。
今では、反共産主義の背後の識見と仮説が別のイデオロギーと戦うために再生しているところである。まさに多くの人々が、共産主義は20世紀後半における西洋民主制にとっての最大の脅威だったと信じているように、あまりにも多くの人々が、今日最も由々しき脅威だと過激なイスラームを見ている。
善悪の間に存続する闘争という概念は、多くの場合、冷戦の反共産主義闘争の前線近くにいた人々によって再生されてきた。
ラデク・シコルスキーは、そのような人々の一人である。ポーランド出身の政治難民である彼は、アフガニスタンとアンゴラでの1980年代の戦争を報道する、熱心な反共産主義のジャーナリストになった。1990年代に、ポーランドの連帯政府で防衛副大臣に、その後、外務副大臣に指名された。今日では、ワシントンで現行政策に影響力のある保守シンクタンクである新大西洋イニシアティブの長である。ムスリム世界の少なくとも部分的な民主主義の修復に必要な前奏曲だと考えながら、彼はイラク戦争に熱心である。彼が信じるには、これは、アル・カーイダやテロを巡る長期の勝利にとって本質的なのである。
最近のインタビューで、シコルスキーは述べた。「過激なムスリムの世界や生活様式の展望は、ソヴィエト共産主義と同程度に大きな西側への脅威だという見解が、ここで確実な地歩を得ています。イスラーム・ファシズムあるいはイスラーム共産主義は、とりわけ、その下で暮らす人々にとって脅威です。我々(合衆国)は、その抑圧を解くことができます」。
シコルスキーから一階か二階離れて座っているのが、右派の政治ジャーナル『週刊スタンダード』の編集者で、ワシントンで最も声の大きいタカ派の一人のウィリアム・クリストルである。世界貿易センター攻撃の数日以内に、クリストルはサッダーム・フセインに反対し、対イラク戦争支持を要求して、ブッシュ大統領宛に公開書簡をしたためた。それ以来、国連と欧州が、その件に関して失速し不明瞭だと彼が見ているものを批判しつつ、止まることなくキャンペーンをしてきた。昨夏、彼は私に言った。「アメリカ人は、ソヴィエト連邦が主な敵だった時にしたように、今日の世界で、どちらが民主的な国家であり、どちらが暴君であるか、明確に見ています」。
クリストルも、反共産主義の歴史がある。彼の父のアーヴィングは、右派に揺れた元トロツキー派で、知識人と芸術家が共産主義に反対して結集する努力の中で、CIAによって一時、密かに資金を送られた月刊誌『出会い』の編集者だった。クリストル自身は、ポスト・マッカーシー世代にとって、戦闘的な反共産主義と定義した政治家ジャクソン、民主党の上院議員のヘンリー'スクープ'の助手として働いてきた。
クリストルとシコルスキーはワシントンで影響力があるが、過去と現在のキャンペーンの類似は、父と息子、リチャード・パイプスとダニエル・パイプスによって、最も良く擬人化される。両者とも新保守派陣営に固く合致し、今や1980年代にロナルド・レーガンの職位にあった期間以来、最高に聴取を獲得している。部分的には、アーヴィング・クリストルのような1960年代の元共産主義者に立てられたのだが、新保守主義がユダヤ・キリスト教の道義性から勢力の幾らかを得て、左派と右派の政治スペクトラム全部との戦いを選ぶ意欲のために、傑出している。
リチャード・パイプスとダニエル・パイプスは、最終的に自分達の国にとって最も脅威だと見なされることになった領域の学徒として、専門を持った学者であった。リチャードはソヴィエト連邦について、ダニエルは中東についてである。学界に根を置きつつ、米国のイデオロギーを定義する論議で、中心的な政治活動家になった。
どちらも、そのつもりはない。1939年以前に合衆国に移住したポーランド系ユダヤ難民のリチャードは、米国空軍でロシア語を学んだ。戦後、ハーヴァードで美術史を研究したかったが、国家において研究を根付かせるべきだと言われた。そして、少なくとも自分はその言語を知っていると考えて、ロシアを選んだ。ダニエルの選択はあまり大したことはなかったが、専攻は中世の中東だった。明らかに、当時は現行の論争と関係がないものだった。だが両者とも、経歴の初期に、巨大な公の重要性について、しっかりと強力な識見に捕らえられた。
リチャード・パイプスは、人生の大半で教鞭を執ってきたハーヴァードまで歩ける距離にある広々とした木の枠組みの自宅で、かつては彼の識見を憎んだ人々によって、名誉があり、尊敬されると自身を考え、暮らしてきた。「ゴルバチョフが数週間前にハーヴァードに来ました」と彼は言う。「そして私は、晩餐で彼のテーブルに座りました。誰かがソヴィエト連邦の終焉について尋ねました。(そして)彼は言ったんですよ。『その質問は、パイプス教授に尋ねた方がいい』」。
彼の本は、2001年に出版された『共産主義の小史』を含めて、ロシア語に翻訳されてきた。政治家やジャーナリストやロシアの学者達に、彼は講演する。そして、今ではそこで、緊密な聴取を与えている。少なくともリチャードは、他のソ連政治研究者の誰にもまして、リベラルな知識人にソヴィエト連邦が見られた方法を変えることによって、生得的な権威制度として、ボルシェヴィキ以前の独裁制に深く根付くものとして権威付け、普及させながら、ソヴィエト共産主義の概念を冷戦過程で影響を与えた。
フィラデルフィアにあるシンクタンクの中東フォーラムのオフィスは、ダニエル・パイプスの識見の伝達手段でもあるが、父親のように静かな声と確信を持っている。彼が研究している世界は、市民の大きな隔たりで西洋とは離れている、と。「三つの偉大な一神教の中で、展開せず、モダンにならなかったのは、ムスリム世界です。イスラームに望みなしだとは思いませんが、ムスリムは、現代世界のどこに合致するのかわかっていないと思いますよ」。
ダニエルは、もはや学者ではないことを認めている。リチャードは、そうであることをめったに止めなかったと主張している。だが、両者とも共和党支配のワシントンで重要な声になりつつ、高尚なアカデミアの世界から何とか脱出しようとしてきた。
1969年にリチャードはワシントンで、生活水準、社会階層、そして民主的な選択においてさえ、西洋の民主主義とソヴィエト連邦の間に「収斂」があったという広まった見解に対して論じつつ、アメリカ歴史学会のために講話をした。
聴衆の中には、ドロシー・フォスディックがいた。'スクープ'ジャクソン上院議員の助手である。ジャクソンは、核兵器削減交渉に関して上院の聴聞で証言するよう、コンサルタントになるよう、リチャードを説得した。
興味深いことに、当時のジャクソンの若い助手はリチャード・パールだ。民主党員だが、今ではペンタゴンのドナルド・ラムズフェルドに近い補佐官であり、まだ戦争と民主主義の両方をイラクへ連れて行くことを好み、党派の指導者の一人であると、彼は言う。パールは重要な継続路線を代表する。現行のキャンペーンを通して、彼とパイプスの、道義的理由に基づく共産主義の拒絶を運びながら、パールはまた、内部で民主勢力を補強することによって、イスラーム世界全体を再形成するための最強の唱導者の中にいる。
1970年代半ばには、「ソヴィエトのメンタリティ」に関する認められた専門家として、リチャード・パイプスはチームBを率いた。CIA委員会チームAに引き続いて、当時CIAの長だったジョージ・ブッシュに指名された、政策知識人のグループである。そのチームは、ソヴィエト連邦の本質と格闘していた。
「政府は、ソヴィエトの核増強を懸念していました。ソヴィエト連邦は、戦争の間に核の初撃を選ぶであろうという結論に、我々は至りました。その前にではなく、一度敵対が始まってしまったのです」と、リチャードは言う。
政治の授業やそれを超えて普及することを助けたこの彼の見解は、合衆国政権に行動するよう押すことを目指した。「封じ込めは充分ではありませんでした。西側への敵愾心は、その制度に根付いていました。我々は、ソヴィエトにできたどんな圧力をも、押す必要がありました」と彼は言う。
リチャードの評判がそうなので、国家安全保障会議のソヴィエト・デスクの長として、1981年から1987年まで指名された。「ソヴィエトの指導者達は、我々のようでなければならないと、レーガンは考える傾向にありました。彼らは、心に人民の善を持っていました。私は彼に言いました。彼らは確かに、心に人民の善を持っていません。ある指示で、我々は一節を入れました。『制度がそうなので、攻撃へと導く』。それが、悪の帝国演説へとつながったのです」。
ソヴィエト連邦が邪悪だったという同意見の中で、ソヴィエトの専門家としてジョージ・ブッシュ政権で仕えている学者は、コンドリーザ・ライスだった。ライスは今、第二期ブッシュ大統領の国家安全保障補佐官である。ロシアに民主的な層をもたらすことは、過去二十年間の勝利の一つであると、彼女は信じている。
自由世界の指導者である合衆国は、世界をもっと自由にもっと安全に保つために、先制して行動すべきだという感覚を、ライスも保持している。去る8月のBBCインタビューで彼女は言った。「歴史は、世界にとって非常に甚大な結果へと導いた非行動の諸事例で散らかっています。我々はまさに振り返って、どのぐらい多くの途方もないグローバル脅威に終始する独裁者達が、その足跡で止められるべきだった何千人も、そして実に何百万人もの人々を殺害したかを尋ねる必要があります」。
ライスは明確に、パイプス長老が形成するのを助けた鋳型の中にある。だが、若いパイプスは、しばしば、彼女が仕える政権に忍耐できない。「合衆国政府は、良きイスラーム主義と悪しきイスラーム主義の間で鋭く識別をする傾向にあります。でも、これはしばしば、まさに卑怯の指標なのです。FBIの最重要お尋ね者リストを見れば、ほとんど全員がアラブ人テロリストだとわかります。私達は、危険に対して目覚めなければなりません。目下、半分目覚めているだけです。『殺人による教育』と私が呼んでいるものを経験しているのです。バリの爆発以来、オーストラリアで何が起きたかを見なさい。邪悪さを理解することに、適応していないのです」と、ダニエルは述べる。
リチャードは息子のように、困難な道義的現実として彼が見ているものを受け入れようとしたがらない同僚達に、不満を持っている。「西洋知識人は罪意識を感じる傾向にあります。『あなた方(共産主義者やイスラーム主義者)と同じぐらい、意識の上で多くの罪を持っている』という、この意識があるのです」。
ダニエルが仲間の知識人に対して抱いている軽蔑心は、さらにもっと鋭い。過激な1960年代と70年代に大学へ通った世代の出身なので、彼は仲間達に絶望している。「ここ西洋で私達が持っているものは無価値だという意識があります。罪悪感と自己嫌悪がたくさんあるのです。それは一貫した相対主義へとつながります。中東の多くの学者達は、過激なイスラームが現代化していると見ています―民主的でさえある、と。私は、これらの社会がひどく後退的だと考えますが」。
ダニエルの中東フォーラムは、「キャンパス・ウォッチ」というサービスをしている。政治的公正さという名の下に、急進主義や反セム主義のためにした、学術思想の幾つかの構成分の愚かさや、卑屈な追従だと見なすものを、指摘するのだ。
「左派は基本的に、西洋で我々がつくり出したものに満足していません。右派は幸福です。不幸と罪悪感のために、左派は敵対者に妥協し、理解する傾向があります。右派は対立する傾向にあります」と彼は言う。
ダニエルの米国学界への攻撃は、深い敵対を煽動してきた。彼は、幾つかの大学で語ることを遮られてきている。皮肉にも、マッカーシズムや言論の自由への反対だと見られているもののためである。時々、戦いのための願望であるように思われるものに達する、この一貫した闘争性は、次のことを意味してきた。彼は政権の外部に留まるだろう、そして、彼の影響は、権力の控えの間ではなく、説教者のそれであるだろうと、彼を知り、称賛する右派の一人の論客が言う。
ラデク・シコルスキーは、ダニエルについてこう述べる。「彼は、尋常ではない方法でお父さんから世代的な松明を拾ったのですよ」。だが、パイプス家のいずれも、他方に利用されることを好まない。ダニエルは当初、私が描こうとした対比の試みを「あまりにも気障過ぎる」と反対した。そして、ただ次のように認めた。「私は、いつでも父に敬服しました。恐らく、父から頑固さという一定のドグマ的感覚をもらっているでしょうね」。
リチャードは、息子についてこう述べる。「人々の意見を動かすために、ものすごく一生懸命に働きます。ご存じのように、容易ではないのですよ」。事実、二人とも、ものすごく一生懸命に働く。若い方は、もっと一生懸命だ。部分的には年齢のため、ある面では、自己定義した使命のためだ―支配階級の安易な楽天主義と妥協に対する代替を提供すること―完成には程遠い。
リチャードの使命は、専制体制の崩壊と、共産主義者がかつて根絶を求めていたリベラルな民主思考という教義を、最後の指導者-ミハイル・ゴルバチョフ-が多く受容したことで完了している。
ダニエルは、イスラームにそのような受容を見ていないし、近い将来、それに類するものを見ていない。「後退に反対する人々は、抑圧され、沈黙します。多くの人々は、立ち上がって声を上げる準備ができていません。それで、合衆国政府は彼らを保護するよう準備しなければなりません。戦後、コンラート・アデナウアーが良きドイツ人だとわかりました。ナチを破壊して、アデナウアーを権力に留めることができたのです。私達は、イスラーム世界でも同じ種の人々を支援する必要があります。ムスリム世界と共に生きなければなりませんが、その中で新たな一連の指導者層を持つ必要があるのです。ムスリムを近代化する必要があります。ナチの後、ドイツ人にそうしました。共産主義の後、ロシア人その他にそうしました」。
リチャードが1970年代と80年代に大胆で極端だと思われていたように、今、息子もそのように見られている。そうなればなるほど、ますます彼は、かつてそうだったし、今もそうである、保護された重要な権益に責任を負っている。「一つの非常に大きな事実を認識する必要があります。サウジアラビア政権の中心にある汚職です。米国は、彼らサウジ人が我々の指導者達を買収しているという事実に、目覚めなければならないのです」。
パイプスは私に、ジャーナリストのスティーブン・シュワルツによって昨年出版された『イスラームの二つの顔』を読むように勧めた。それは、支配するサウジ家に信奉されたイスラームの型であるワッハーブ主義に対する、持続して詳細な攻撃である。ワシントンで右翼活動家のシンクタンクである民主主義の保護基金を運営してもいるシュワルツは、 私に言った。「合衆国の学究人やジャーナリストや政治エリートは、皆サウジ家に自らを順応させています。そして、彼らをもっとしっかりと見ることを挫いてきました。ですが、彼らはナンバー1のテロ資金者なのです」。ダニエルは、これに同意している。
ダニエルは言う。「テロ行為を犯す人々に焦点を当てるのみならず、彼らに資金を与え支援する人々にも焦点を当てなければならないというのが、私の署名議論です。過激なイスラームは、攻撃する可能性を有しています。代わりとなる世界制度として、自らを見なしています。西洋に対する広大無辺な闘いのうちにあると見なしているのです」。
父親の専門に鑑みて、彼は付け加える。「ちょうどナチや共産主義者達がしたように、敵対的な世界との闘いのうちにある、と自分を考えているのです。彼らが勝つだろうと私は信じていません。でも、自由という根本的な真理に戻らないならば、彼らはもっと強くなるでしょう」。