昨日、私は非常に興味深いお喋りをした。過激なイスラームに焦点を当てる、最も先学の一人だと考えられているダニエル・パイプスとである。
パイプスは、多くのムスリム系アメリカ人やアラブ系アメリカ人によって、イスラームに敵対的だと確かに考えられている一方、2000年までは、彼が言ったり書いたりする事柄のために、アメリカ・イスラーム関係協議会(CAIR)のような番犬グループに、月に数度、非常に公然と呼び出されたものだ、と私に指摘した。今では、「反イスラーム」のブロガーや活動家のために無視されてきた、と彼は言った。
「この反イスラーム煽動は、時を経て増大してきました。2001年よりもずっと強いのです」と彼は言った。「二つの側面が相互に撃ち合っていて、もう私に気づきません」。
今日の過激なイスラームに関して、ブロガー群と懸念を共有する反面、彼らは「反イスラーム」だと考える、とパイプスは言う。なぜならば、彼の見解では、合衆国のような多元主義的で民主的な社会にとって、その信仰と聖典は根本的に問題があり、不変だと彼らが見ているからだ。
パイプスは言った。ブロガーは、その討論に対して、洗練されていない調子を受け入れてしまった。「不幸だと私は思います」。
そうは言っても、パイプスは明快だった。国に来るムスリム移民とクルアーンを禁止する唱導をしてきた、極右のオランダ人政治家のヘルト・ウィルダースのような「反イスラーム」と呼ぶ大半の人々とでさえ、幾つかの目標を共有している、と。ウィルダースを擁護するためにお金を集めていると、パイプスは言った。ウィルダースは、ムスリムに対する憎悪と差別を誘発しているために、裁判に直面している。パイプスが言うには、その問題は自由な言論の保護の一つなのである。
ウィルダースのような人々や新たなブロガーの群れと「同じ敵」を共有していると、パイプスは言う。
「我々は同じ塹壕にいますが、何が問題かを巡って異なった見解を持っています。我々は共に、イスラーム法であるシャリーアを西洋で強制する試みを見ています。我々は共に、それに反対しています。そして、西洋文明を維持したいのです。でも我々は、その問題の本質を異なって理解しています」。
あなたの目には、重要な識別ですか?