フロントページ誌(以下「FP」):パイプスさん、「フロントページ誌のインタビュー」にようこそ。約100本の代表作のエッセイを集めた新著『ミニアチュア:イスラームと中東政治をめぐる見解』のご出版、おめでとうございます。エッセイの多くは、現行の対テロ戦争を扱っています。それで、幾つかの最近の展開から始めましょうか。この戦争に影響するサッダームの捕獲を、どのように見ていらっしゃいますか。
パイプス:お招きと親切なお言葉をありがとう。サッダーム・フセインの捕獲は、イラク社会内の強力な反発、恐らくはそれ以上だと、私は考えています。ですが、戦闘的イスラームの信奉者達への衝撃は、最小でしょうね。凶漢の差し押さえによっては、あまり印象づけられない人々です。
FP:でも、確かにこれは、対テロ戦争にとっての大きな励ましですよね?他の事柄では、サッダームの忠誠者であれ、イスラーム主義のテロリストであれ、我々の敵の士気を挫かないでしょう?
パイプス:彼を捕らえたことは、確かに多くの便宜がある歴史的な最初です。しかしながら私は、それがもっと大きく、より深く、もっと野心的な戦争を戦っているイスラーム主義者達の士気を挫いているとは、考えていません。彼らにとって、サッダームの道化はほとんど考慮に入らないのです。それはほとんど、中米で、米軍の勝利にソヴィエト連邦が士気を挫かれたかどうかを尋ねているようなものです。
FP:それはそうですが、概して、イラク戦争は対テロ戦争にとって不可欠ですよね?
パイプス:元々はそうではありませんでした。サッダーム・フセインのイラク、シリアや北朝鮮や中国やキューバなどの政権によって出された諸問題が、先の戦争、冷戦の面影です。(バース主義を含む)多くの外観において、敵は共産主義でした。そうは言うものの、サッダーム後のイラクで多国籍軍を攻撃している主な勢力は、イスラミストです。それで、イラクの問題は、今では本当に、現行の戦闘的イスラームとの戦争にとって、必須になっているのです。
FP:それでは、サッダームの捕獲は、ある意味で、オサマを捕える促進あるいは手助けになるでしょうか。それとも、オサマを捕えるための心理的な景気づけは別として、ここでは関係がないのですか?
パイプス:幾らかマンパワーを有効活用することによって、オサマ・ビン・ラディンを捕える助けにはなるかもしれませんが、より深い方法では、そうではないでしょう。その二つの事例は異なっているという方法に気づいてください。
*ビン・ラディンは、戦闘的イスラームを前進させています。彼自身よりも、もっと大きなイデオロギーです。サッダームは、サッダーム主義という人格崇拝のみを前進させました。これは、数千万人の似たような考えの同志達の間で、ビン・ラディンが避け所を見つけられるのに対して、サッダームは最終的に一人だったことを意味します。
*ビン・ラディンは、多くの国々で隠れているかもしれません。アフガニスタン、パキスタン、イエメン、スーダン、あるいはエジプトやインドでさえ。サッダームは、そのようなネットワークに依存できませんでした。
*ビン・ラディンは、一国を支配したのではなく、ましてやそれほど情け容赦なくやってきたので、サッダームが何年以上もしてきた容易に滅びない数百万人の敵を欠いていたのです。
FP:サッダームを捕えたことに対するパレスチナ人の反応を、どう思われますか?不信、屈辱、絶望の組み合わせだと報道されていますが。
パイプス:彼らの反応は、再び示しています。まるでもっと証拠が必要だったかのように、現存する諸現実を拒絶する程度に、過激主義やニヒリズムがパレスチナ人の政治生活に特有です。そして、現状に挑戦しさえする人々に惹きつけられています。そのような現実、特にユダヤ人国家イスラエルの存在と折り合いをつけるまで、パレスチナ人は本当の進歩ができないのです。
FP:テロリストの最近のターゲットへ向かいましょう。以前の打撃において、なぜアル・カーイダはトルコやサウジアラビアを選んだのですか?
パイプス:アル・カーイダが格別にこれらの攻撃に責任があるかは、確信がありません(私の理由は、http://www.danielpipes.org/1112/al-qaedas-limitsを参照)ので、むしろ、問いに答えたく思います。「戦闘的イスラーム集団は、なぜトルコとサウジアラビアを対象にしているのか?」それに対する私の回答は、その集団が、トルコやサウジアラビアや、その他のまさにあらゆる場で、権力を取りたがっているということです。いつ、どこで彼らが攻撃するかに関しては、多分、特別なメッセージを送ることよりも、能力ともっと関係があります。
FP:それでは、戦闘的イスラーム集団が、トルコやサウジアラビアや「その他のまさにあらゆる場で」権力を取ることを試みているとおっしゃる時、まさに共産主義者やナチのように、戦闘的イスラームは世界征服を決心していると含意されているのですか?換言すれば、これは、リベラル派が論じるように、中東の貧困を解決することに関してではない、と。あるいは、パレスチナ人に郷土を与えること、または何に関してでもない、と。我々の生活様式をあきらめて、彼らに服従すること以外に、戦闘的イスラームと同調するために、本当にできることは何もない。正しいですか?
パイプス:その通りです。戦闘的イスラームを、ファシストや共産主義者の運動の真の継承者だと、私は考えています。その全体主義的な手法のみならず、広大無辺な目標においてもです。これらのイデオロギーのいずれとも、適合する方法はありません。文明世界を破壊するか、それによって破壊されるかでしょう。1838年に、アブラハム・リンカーンは述べました。「もし破壊が我々の運命でないなら、自分自身で、その創始者および完成者にならなければならない」。
FP:では、対テロ戦争に何かよいニュースはありますか?
パイプス:はい。逮捕が起こっています。警察が新たな方法で協力しています。目的の深刻さが清算されています。でも全体として、大きな改善の後、9.11に引き続いて、かなりの後退を見ています。一例として、合衆国愛国者法案を巡る増大中の批判に注目してください。
FP:目下、アメリカと自由な人々にとって、イスラーム主義が差し出す最大の危機は何ですか?
パイプス:イスラーム主義は、ムスリムも非ムスリムも同様に、全ての人々にとって、長期の全体主義的な脅威を提示します。タリバン風の国家で暮らす見通しは、ファシストや共産主義者の国で暮らすのと同じぐらい魅力的なのです。
FP:本当に、タリバン風の国家で暮らすという考えは、悪夢です。映画もなく、歓楽もなく、知的自由もなく、楽しみもなく、アルコールもなく、個人主義もなく、目に入る女性もなく、などです。しかし、魅力であり続けるのは、この悪夢が実際に、イスラミスト達によってある種の天国だと見られることです。このひどい存在にあこがれる人々の心理は、何でしょうか?そこでの唯一の出口の自由は、自分を吹き飛ばす自由のようなのですが。
パイプス:彼らは、絶対的な真理であると信じるものを見出した人々なのです。ただクルアーンのみならず、あの文書を解釈する特別な方法もです。彼らは、その真実に正確に一致して生きることや、他者にそれを強制することに、大きな喜びを持ちます。なじみがあるように聞こえるでしょう?再び、戦闘的イスラームは、基本的なファシストや共産主義者のパターンを複製するのです。
FP:おっしゃるように、「絶対的な真理」という種のものに「正確に一致して生きること」を享受する種の人々によって、私は常に混乱させられてきました。もちろん、我々はこれを、イスラームのみならず、あらゆる階層の人々に持っています。しかし、イスラームには全く格別なものもあります。狂信的なクリスチャンがいる他に、例えば、聖書を疑問視し、懐疑主義や異なった解釈などを奨励する、キリスト教における健全な伝統があります。もし私が間違っていたら正してください。でも、イスラームにおいては、大半のムスリムの間で、聖なる書があるという印象があります。それが何を言い、あれはあれである、という。本当ですか?
パイプス:今日では、宗教解釈を巡る討論を遮断したがり、自己批判を拒否する全体主義者によってイスラームが支配されているということは、正しいです。でも、14世紀を通してこれが基準だったと示唆することは、不正確でしょう。逆に、ムスリム史の最高の文化人の何人かは、重要な方法で反体制派だったことがわかります。今日の悲惨なイスラームの状態から推定することは間違いです。今ほど、状況は決して悪くはありませんでした。ところで、事が再び改善するだろうということは、幸いな含意を持っています。
FP:「今ほど、状況は決して悪くはなかった」というのは真実です。なぜこうなのですか?いかなる種の宗教原理主義も、数世代後には次第に静まるだろうと考えるものですが。状況がどれほど確実に、彼らにとってまさに働かないかを、しばらく後に悟っているでしょうから。例えば、何がブルカの減少よりも増加を説明するのですか?
これは、西洋の生活様式が最高だと証明された現実に関する全てですか?そして、現代世界に参加する代わりに、幾つかの文化や宗教は、絶望的に、そしてまた屈辱のうちに、去ってしまったものに靡き、暴力に反応するということですか?
パイプス:多くのムスリム達は、中世期の文明の栄光とキリスト教圏に対する当時の優越性を、鋭く意識しています。あの役割は、あまりにも壊滅的な方法で逆になってしまいました。 過去二世紀の間、古い強さを再獲得するために、幾ばくかのムスリムによる絶望的な努力をますます促進してきました。イスラーム主義を経由して、仮定された古い方法への回帰は、目標に到達するための、最も説得力ある今日の方法論です。
FP:ムスリムのプロファイリングを支持されますか?政治的不公正さにも関わらず、それは国土安全にとって重要ではありませんか?
パイプス:加害者に焦点を当てることに恐らく関係がある国籍、人種、宗教、イデオロギー、全ての要因を考慮することを、私は本当に支持します。これは平凡な常識です。女性の中でレイプ容疑者を捜すのですか?戦闘的イスラームの仲間達がムスリムで構成されていること(正確には二つの例を思いつくことができます)、承知の上で非ムスリムからの支援を受け取ることが、ただ非常に稀であることを考慮すれば、ムスリムに焦点を当てることが必須なのは、不幸にもこれを含意します。この結論を引き出さなければならないのは残念ですが、このような拡大留意の必要性を受け入れる用意ができて初めて、我々はテロとの戦いを行うことに真剣なのでしょう。
FP:では、もし国内で対テロ戦争を遂行することに真剣ならば、ムスリムにとって献げるべき「拡大留意」とは何でしょうか?
パイプス:ここに、2003年1月に発表した注意深く公式化された私の回答があります。「刑務所や軍隊のムスリム・チャプレンがするように、ムスリムの政府職員は、テロ関連のために警察や軍隊や外交団を観察する必要があるという、不幸な事実を逃れることはできない。ムスリムの訪問者と移民は、追加の背景検査を行わなければならない。モスクは、教会や寺院に適用されたもの以上の精査を要請する」。
FP:戦闘的イスラームは、共産主義やファシズムより、もっと大きな脅威を体現するとお考えですか?もっとずっと脅威的だと私は思います。なぜならば、自己保存に気を取られてはいない人々を、我々は扱っているからです。これのみが、ずっと大きな危険の状況というものを作り出してはいませんか?
パイプス:戦闘的イスラームが、先の全体主義者達が一度もしなかった方法を使っているということは、正しいです。自爆テロは、その一例です。(アーノルド・ベイクマンは、この点を『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙の「なぜ私は冷戦が懐かしいのか」という最も興味深いコラムの主題にしました。)一方で、戦闘的イスラームは、ナチ・ドイツあるいはソヴィエト・ロシアのような強力な国家支援が欠如しています。それ故に、通常の軍隊を欠いているのです。そして、スーダンにおける他に、その初期の運動のように数千万人ではなく、これまでに、ただ数千人を殺してきたのです。率直に言えば、それ以前の出来事よりも、多かれ少なかれ危険なのか、私はまだ確かではありません。この戦争において、そのような査定をするには、まだ恐らく、時期尚早なのでしょう。
FP:対テロ戦争におけるブッシュの主補佐官になられたと仮定しましょう。彼が迅速に取る手段は何だと、提案されますか?
パイプス:それは簡単です。私なら、穏健で反イスラーム主義の主要ムスリムで自分を取り囲むように助言し、「対テロ戦争」を「戦闘的イスラームとの戦争」と再定義されたことを公表します。それは、多くの深い含意を持つことでしょう。例えば、(1) 銃の戦争と同様に、識見の戦争であると示唆すること (2) 戦闘的イスラームを支持する人口に焦点を当てるのを許すこと (3) 穏健なムスリムの重要な役割を指摘すること (4) 当座の戦争目標は、戦闘的イスラームを破壊すること、究極の戦争目的は、イスラームの現代化でなければならないと特定化することです。
FP:戦闘的イスラームに対して、穏健なムスリムと我々自身が同盟する重要性を強調される点で、全く正しいと思います。この戦略の重要性を、ご説明ください。しかしまずは、正確には「穏健な」ムスリムとは何なのですか?
パイプス:これは、最近のコラムの主題「近代性を信じるか」でした。そこで私は、穏健であると確かめためにムスリムに尋ねる、一連の質問を提供しました。社会主義者を共産主義者から識別するために尋ねてもよい問いの同種です。(愉快だったことには、ジム・カルブという一人の著者が「穏健な」リベラル派について問うために、これらの質問を採用しました。) 例えば、私が尋ねることを提案する一つのトピックは、暴力についてです。「敵の民間人を殺害するために、命を放棄するパレスチナ人やチェチェン人やカシミール人を容赦しますか、それとも非難しますか?アブ・サヤフ、アル・ガマア・アル=イスラミーヤ、武装イスラーム集団、ハマス、ムジャヒディーン運動、ヒスボラ、イスラーム・ジハード、ジャイシュ・エ・ムハンマド、ラシュカレトイバ、アル・カーイダのようなテロ集団を名指しで非難しますか?」
FP:回顧すると、明確になっている一つのテーマは、9.11のかなり前に、アメリカに対するイスラミスト戦争を予言することにおいて、ほとんど一人でいらしたということです。それほど多くの他の「専門家」がこの戦争の展開を見逃した時、何がこの先見の明を与えたのでしょうか?
パイプス:実は、私の側に特別な洞察を要求しませんでした。むしろ、他の専門家の側に、故意の現実否認を要求しました。戦闘的イスラームの合衆国に対する攻撃は、1979年11月に始まり、9月10日までに800名を殺しました。これらはほとんど知られざるエピソード (例えば、1993年の世界貿易センター爆破) ではなく、これらの殺人行為の背後の動機は、曖昧でもありませんでした。厄介な事は、中東とイスラームの大半の専門家が、被験者に謝罪し、この種の困難な主題を無視することです。
FP:本当ですね。中東とイスラームの大半の専門家は、自分のテーマの護教家です。これはなぜだと思われますか?私の父と母はいずれも、学界でロシア語や歴史文学を教えていたものでしたが、少数の例外を除いて、同僚や学生達のかなり大きな比率が共産主義者(見せかけは「リベラル」)でした。ここでの現象は何でしょう?
パイプス:惹きつけられるものを勉強する傾向があります。研究する人々に受け入れられ、祝されもしたいという願望があれば、熟慮から退けられることが起こります。それで、一般見地に合致しない人々は、除外されるのです。さもなければ、これらの皆はすぐに現役でしょう。
FP:それで、中東とイスラームの大半の専門家が自分のテーマの護教家だということは、ご職業において「アウトサイダー」であったに違いなく、また、そうであり続けているのですね。これは、どのように影響されましたか?
パイプス:私は解放されました。翼を抑えたり、舌を制御したり、足を引き摺って歩く必要もありません。
FP:では、どうして今あるご自身になられたのですか?学界での年月の間、私は全く傍流でした。思うに、ロナルド・レーガンは大好きなアメリカ大統領だと、私が同僚に言ったことと関係があったのでしょう。ソヴィエトと意見を異にする息子として、その背景のために、同僚の大半が自分の社会を憎む者で、外国の独裁的な社会を愛好する者だったようにはなれなかったのです。非常に歴史的で複雑な細部を、長時間、説明することに費やすような類の中東学者にならなかったという背景は、何ですか?どのようにアメリカ人が9.11を自分にもたらしたのか、など。
パイプス:1960年代半ばの高校時代から、私は保守派でした。ベトナム戦争が物議を醸す争点として浮上する時です。それ以来、保守的であることで、私は大半の知識人とは違っていました。ですから、本当の問いは、超自由主義の環境でいつも暮らしてきたのに、なぜ私は最初から保守派の出身だったのかということです。思うに鍵は、海外を広く旅行したことと、あるがままの合衆国に対する賞賛が展開したことです。このように、私の経験は、大ざっぱには、移民としての経験と平行線にあります。
FP:では、駆り立てているものは、正確には何ですか?知的経歴と旅の背後にあるインスピレーションは、何だったのでしょうか?
パイプス:中東とイスラームを研究する経歴は、大学で始まり、当初は中世期に焦点を当てました。別の時代や場所について学ぶことが自分の環境に関して何を教え得るかということに、格別に興味がありました。ちょうどアヤトッラー・ホメイニーが権力を握り、イスラーム政治が不意に現行の関心の主題になった時、私は前近代期のイスラームと政治に関する博士論文を終え(引き続いて『奴隷兵士とイスラーム』イェール大学出版 ニューヘイブン・ロンドン1981年という本として出版され)ました。その時点で同時代史に切り替え、それが過去四分の一世紀間、私が従事してきたものです。
私のテーマは直接的に米国政治の決定を担っていますので、戦闘的イスラームやアラブ・イスラエル紛争やイラクのような主題を巡る政策討論に、深く巻き込まれてきました。合衆国のムスリム人口が劇的に増大するにつれて、その問題にも自ら関与するようになってきました。国内的な性質のものですけれども。
FP:何のために戦っていらっしゃるのですか?目的の幾つかを達成されたことに満足し、納得されていらっしゃいますか?
パイプス:研究する主題に、諸原則だと自分が信じるものを適用するように努めています。私の目標は、アメリカ人達に、幾つかの挑戦と対処法を考える助けをすることです。満足しているのは、私の見解が聞かれるようになったことです。特に昨今では、討論そのものの性質で、きめが粗く、無関係なものに吸収されて、当惑によって大ざっぱには釣り合っています。
FP:達成したいとお望みの事柄の幾つかは何ですか?
パイプス:私の希望は、自分が知っている問題に対する応答の発展に役立つことです。近頃では、戦闘的イスラームを取り巻く問題が、私の注目を引きます。この運動は巨大な脅威だからです。非常に複雑でアメリカ人にとって、全く異様なものです。
FP: パイプスさん、ありがとう。時間がなくなりました。「フロントページ誌のインタビュー」にお越しくださってよかったです。
パイプス:私見を述べる機会を与えてくださって、ありがとう。ちょっとだけ『電子版フロントページ誌』に対する賞賛を、公に述べる時間を取らせてください。恐れず、注意深く、弛まず、戦闘的イスラームやパレスチナの過激主義や気まぐれな大学のような諸問題を扱っていらっしゃいますから。
・ジェイミー・グラゾフは『フロントページ誌』の編集長。ソヴィエト研究の専攻で歴史学の博士号を所持している。