議会が資金を出した米国平和研究所は、今日ワシントンで、改革するイスラームという行事を主催することだろう。『インサイト』誌が知ったことだが、合衆国を脅し、公にテロ集団を支援してきたゲスト・パネリストと一緒なのだ。
この午後のパネル議論のゲストの中には、ムザムミール・シディキがいる。2001年11月まで、合衆国における主導的なワッハーブ派の前線組織である北米イスラーム会(ISNA)の会長だった。ワッハーブ主義はサウジアラビアで実践され、アル・カーイダ指導者のオサマ・ビン・ラディンや、そのテロリスト指導者達によって唱道された、過激な型のイスラームである。
シディキは、アメリカ中で資金集めをする旅で、訪問中のムスリム世界連盟出身のサウジ人官僚を同伴しており、合衆国における当該組織の公の代表としてウェブサイト上に列挙されている。ヴァージニア州ハーダンにあるムスリム世界連盟のオフィスは、2002年3月に、アル・カーイダとの結びつきの疑いで、対テロ連邦タスクフォースに襲撃された。
2000年10月28日のホワイト・ハウス外での反イスラエル結集の間、もし合衆国がイスラエル支援を継続するならばと、シッディキは公に合衆国を暴力で脅した。「アメリカは学ばなければならない...もし不正義の側に留まるならば、神の憤りが来ることだろう。全アメリカ人よ、お願いだ。それを覚えているか?...もし不正義をなし続け、不正義を容認するならば、神の憤りが来ることだろう」。「不正義」ということで、彼は合衆国のイスラエル支援を意味したのである。
シディキはまた、合衆国内でのシャリーア法のより広大な適用を呼びかけてきた。そして、1995年の演説では、自爆テロ者を褒め称えた。「正義の側で死ぬ人々は生きており、場は主と共にある。そして、最高の地位を受けている。なぜならば、これが最高の名誉だからだ」。1995年1月28日付『カンザス・シティ・スター』紙で、彼が述べていると引用された。
ブッシュが米国平和研究所(USIP)に指名した人は、今日の行事から自分は距離を置かなければならないと言う。なぜならば、「対テロ戦争における誤った側」のグループと米国平和研究所が連携しているからだ。米国平和研究所理事のダニエル・パイプスは『インサイト』誌に語る。シディキへの反対に加え、ロンドンに基盤を置くグループのアル・ムハジロウンの米国スポークスマンの現存について、彼は米国平和研究所に警告してきた。ビン・ラディンに忠実な世界中の「ムハンマドの軍隊」のためにジハード者をリクルートしている、と主張するのである。
パイプスは『インサイト』誌に語る。「(ジョージ・W)ブッシュ大統領が私を米国平和研究所の理事に任命されたのは、部分的には戦闘的イスラーム集団に対する番犬として奉仕するためだと信じています。不幸にも、米国平和研究所の運営陣は、私の助言に耳を傾けていません。とても最悪の戦闘的イスラーム集団の何人かと連携している米国平和研究所とは、今日私は行事に参加できません」。
米国平和研究所のリチャード・ソロモン議長の報道官であるケイ・キングは、米国平和研究所は「シッディキに関する申し立てには気づかなかったので、調べてみます」と述べた。しかしながら、シッディキが「大統領と一緒にブッシュ政権の諸行事に出席してきており、祈祷を導くために招待されました」と、彼女は指摘した。9.11攻撃に引き続く、国家祈祷朝食会でのことである。
3月19日の行事は、米国平和研究所と、イスラームと民主主義の研究センター(CSID)による共催である。CSIDは、去る10月にテロリスト関連の咎で元議長アブドゥルラーマン・アラモウディが拘留された後、活動をもっぱら止めた過激な親サウジ集団のアメリカ・ムスリム協議会(AMC)の理事と元スタッフによって創設された、合衆国に基盤を持つ集団である。
パイプスは、米国平和研究所のチェスター・クロッカー議長やリチャード・ソロモン会長と共に、去る11月に始まった「CSIDそのものの極端主義の本質」を巡る懸念を表明した。アメリカ・ムスリム協会からその新グループに移行した理事や専務理事に加えて、CSIDフェローのカムラン・ボハーリがアル・カーイダ支援集団のアル・ムハジロウンと結びついていたと、パイプスは指摘した。昨年まで、ボハーリはアル・ムハジロウンの自称北米報道官だったのだ。
『インサイト』誌は、ロンドンの過激なフィンスベリー・モスクで開催された、当該集団による9.11攻撃の一周年「祝祭」を報道した。そこでは、アル・ムハジロウンが攻撃下の燃える世界貿易センターを描き、9月11日を「歴史で高くそびえ立つ日」と呼んだポスターを見せびらかしていたのだった。
当該集団の9.11の二周年「祝祭」では、メンバー達がハイジャックをした19人全員の写真付きポスターを「崇高な19人」と呼びながら配布した。
CSIDの「フェロー達」はリサーチ・アシスタントではなく、当該組織の指導者層の統合メンバーである。『インサイト』誌が入手したCSID内規の複写によれば、CSIDフェローは、当該集団の執行理事を選ぶ責任がある。理事全員は、まずフェローでなければならないのだ。
ボハーリは、政治暴力とアル・カーイダを放棄するという声明を発し、彼自身を「元イスラーム主義活動家」だと言及した。だが、アル・ムハジロウンと共にある彼のリーダーシップの役割を考えると、パイプスが言うには、そのような声明は「彼を更正するには...あるいは米国平和研究所と連携するのに彼をふさわしい者にするには、非常に不充分」だった。
パイプスは、11月に計画されていた行事を巡る懸念を、まず表明した。米国平和研究所が当初、イスラーム改革を論じるパネルで語るために、タハ・ジャベール・アル・アルワニを招待した時である。アル・アルワニは、ちょうど数週間前には立証されなかった、米国税関特別代理人ディヴィド・ケーンによる宣誓供述書で、「国際イスラーム思想研究所(IIIT)を含むサファ・グループ会社、北米のフィクフ協議会、イスラーム社会科学の大学院...そしてヘリテージ教育トラスト」のディレクターだと、公に同定された。
2002年3月に国際イスラーム思想研究所オフィスは、対テロ合同連邦タスクフォースであるグリーン・クエスト作戦の一部として、がさ入れされた。国際イスラーム思想研究所は、サウジアラビア政府から金とスポンサーを受け取り、宣誓供述書によれば、合衆国で「(パレスチナ・イスラーム・ジハードの)前線組織の活発な指揮メンバー」であるバシェール・ナフィを支援してきた。
パイプスの反対に従って、米国平和研究所は当初の行事を延期し、アル・アルワニは、パネル議論に参加する招待をキャンセルしたが、CSIDとの協働は継続した。そのグループが、対テロ戦争における「誤った側」にいた指導的な個人を含んだというパイプスの主張にも関わらず、である。
米国平和研究所の報道官ケイ・キングは、当研究所がCSIDに関して「前もって相応の留意を払ってきた」し、そのグループが「穏健」で「責任ある」とわかったと述べている。
「CSIDが国務省と全米民主主義基金から助成金をもらったことを、私達は知っています」と彼女は言った。「彼らは、米国政府機関によって適切だと思われた組織です」。
CSIDは、ヴァージニア大学のアブドゥルアジズ・サッシェディーナ教授のような穏健ムスリム思想家を陳列する。しかしながら、多くの理事は、2002年3月に対テロ連邦タスクフォースの襲撃対象だった諸集団を引導したか、そのために働いたのだった。
CSID設立理事メンバーのジャマル・バルズィンジは、ヴァージニア州ハーダンで「500グローブ街道」チャリティを率いた。それは、グリーン・クエストのタスクフォースの対象だった。2003年4月に彼はCSID理事を去った。
もう一人のCSID設立の理事ルアイ・M・サフィは、CSIDのウェブサイトに掲載された履歴書によれば、国際イスラーム思想研究所の研究所長だ。彼は以前、マレーシアの国際イスラーム思想研究所の支部で働いていたと報じられている。
CSID理事もまた、CSID議長のアリ・A・マズルイをはじめとして、アメリカ・ムスリム協議会の元理事か現理事であるムスリム指導者を含んでいる。「CSIDは戦闘的イスラミスト・ロビーの一部です」と、パイプスは『インサイト』誌に語る。「それはうまく変装されていて、体面という特許権を与えつつ、イスラミスト傾向の全てをもたらしてきました」。
そのグループの2002年の専務理事は、アメリカ・ムスリム協議会の元スタッフのアブドゥル・アルケブシだった。アルケブシもワシントンのイスラーム研究所で働いていたと報じられており、今では、中でもイラク共産党を促進してきた全米民主主義基金のために、イラクで民主主義プログラムを運営している。
・ケネス・R・ティマーマンは『インサイト』誌の上級ライターである。