『オックスフォード百科事典』は、二つの意味で現代的な作品である。第一に、もっと明確に過去二世紀の話題を主として扱っている。E・J・ブリル社が出版した、企画の半分のみで三十五年を費やし、中世事項に集中した膨大な参考書の『イスラーム百科事典』とは違って、『オックスフォード百科事典』は、(代理母やムスリム同胞団のような現代的な話題項目を提供するのみならず、現代の古い制度(相続・ワクフ)も追求する。特に役立つのは、西洋における新たなムスリム共同体と二十世紀のイスラーム思想家達(中でも、より興味深いのがモハメド・アルコウンとハサン・ハナフィ)の真剣な取材である。
ジョージタウン大学のジョン・エスポジトが編纂した『オックスフォード百科事典』は、これら多くの事項に関する思慮に富んだ取材さえ提供する。出版や舞踊や経済発展のような野心的な主題を扱い、たった二、三段落で、その話題の意味を伝える項目もある。他は、そうでもなければ大半の読者に届く範囲を超えるであろう不可解なトピック(スリナムのイスラームやHujjatiya学派)を扱う。興味を持った読者は、四巻を通して何時間もページをパラパラとめくることに費やすかもしれない。そして、うまく提示され、情報に富む記事を一貫して見出すだろう。
もちろん、どれほど完成されようとも、幾つかの主題が不思議なことに欠けるだろう。数百万強のトルコのアレヴィ派は、言及にさえ値しないようだ。サッダーム・フセインは、ほとんど敬虔なムスリムではないものの、バース党のイデオロギーや対イラン戦争や1990年から91年の原理主義者達へのアピールを考えれば、一項目に価するように思われるだろう。ムスリム当局に対する反乱を鼓舞する役割にとって重要な問題であるジャブル派とジャフム派(jabriya, jahmiya)(訳者注:神による人間行為の強制、神の予定説を主張する思想潮流)という興味をそそる問題は、税制がイスラーム法によって違法だとされているように(マクス)(訳者注:イスラーム法で不正とされる市場税、関税などの雑税)、不可解なことだが欠けている。
『オックスフォード百科事典』は、第二の意味、つまり精神においても現代的だ。脱構築の時代における多くの他の参考書のように、アイデンティティと目的の諸問題に直面している。かつて、百科事典は知られた有益な事実の率直な概論だった。しかし学者達が、真実は己の有利な点(そして特にジェンダーや民族や階級)に依存するとますます同意する時、百科事典の機能は遙かにあまり明らかではなくなっている。この作品の450名の執筆者という大人数が、客観性は試すほどの点もほとんどなく、到達不可能であるという現代の概念を受容しているように思われるだろう。客観的で堅苦しい知識を目指す代わりに、執筆者が交互にエッセイ―イスラーム研究やフェミニズムのような主題について非常に自説に固執する記事―を提出する。もっと先を行き、露骨な痛烈な非難を書く者もいる。健康管理に関する項目では、例えば「欧州中心的な学識」に対して罵り、欧州医学の到来を「植民化されたイスラーム社会における社会統制のメカニズム」だと解釈する。
この例が示唆するように、政治的公正さが『オックスフォード百科事典』には行き渡っている。それ故に、アラブ文学に関する項目を形成する二本の記事のうち、一本は梗概であり、もう一本は「アラブ文学のジェンダー」分析である。「女性とイスラーム」という項目のエッセイは、イスラーム法における女性の役割と地位に関して知らせることになっているが、その法について著者のフェミニスト再解釈よりずっと少なく語っている。「聖典の中で、ある社会経済規則は、表面的には男性に好ましいけれども」と彼女は我々に語る。「啓示の時に優勢だった諸条件は、この非平等性を正当化するように思われたのだが、衰退してしまっている」。何度も何度も我々は、いかにあるかではなく、物事はかくあるべしという一学者の見解を学ぶのだ。
政治的公正さは神学領域にも拡張する。『死に関するムハンマドの思想:クルアーンのデータを巡るテーマ研究』という1969年の本を引用して、執筆者は「不幸な題目と背後の想定」について謝罪する。(その題目が含意するのは、イスラーム教義に反して、クルアーンは神からではなくムハンマドに由来するというものだ。)
期待されたかもしれないように、シオニズムとイスラエルは、客観性が目標ではない参考書では乏しい。テロリズムの項目で我々は知る。「論証できることだが、その地域における現代の政治テロの最初の行為は、1947年のキング・ディヴィド・ホテル爆破だった」。論証できることだが、そうではない。多くのテロ事件がそれに先行した。最も有名なところでは、1896年8月にイスタンブールで、一定の要求が満たされない限り捕虜を殺すと脅迫しつつ、アルメニア系のダシュナク党がオスマン帝国銀行を攻略した。この事件の直接の結果として四人が亡くなり、六千人ほどのアルメニア人が、その結果起こった虐殺で命を落とした。アラブ・イスラエル紛争に関する記事は、偏見なしに見せることさえ試みないで、パレスチナ解放機構からの長たらしい報告のように読める。イスラエルの手で苦しんでいるパレスチナ人(差別や死)について弁舌さわやかに語るが、決して逆の問題は語らない。主要な反シオニストの一人であるイスラエル人の著者シムハ・フラパンのみが、その参考文献表に許されている。
しかしながら、この百科事典で最も重要な専横は、護教的なものである。ムスリム世界の危機―その主題のどの真剣な分析家によっても証明された―は、『オックスフォード百科事典』にほとんど見出されない。その代わりに、これは、よい印象を抱いて離れることを希望している、アウトサイダーのための公式発表である。ゲームやスポーツの項目は、ある展望のあまりにも容赦ない陽気さ(「女性達は自宅の私生活で、確かにテレビでスポーツ観戦している」)を提供する。その主題について何も知らない者でさえ、ある商品を売られていると悟らなければならない。
悪名高いパレスチナ指導者のハジ・アミン・アル・フサイニは、『オックスフォード百科事典』で体裁良くごまかされている。フサイニの項目は、例えばこう述べる。彼は「ヒトラーにアラブ独立支援を固く約束するよう説得を」努めた。本当か?ヒトラーに宛てた1941年1月20日付書簡で、フサイニはアラブ人がシオニストと戦うために援助をアピールしたのだ。これは特に合衆国で「ユダヤ人が落胆する原因になる」だろう、そしてそれが今度は、英国に対する支援をルーズベルトが放棄するよう促すだろうという理由である。換言すれば、アラブ人と枢軸国がその戦争で勝利するように、助けを願ったのだ。それは、アラブ独立援助のアピール以上である。
再三再四、執筆者達は批判から主題をかばう。アルジェリアの過激な原理主義のイスラーム救済戦線(FIS)の設立者アッバシ・マダニは「穏健さで知られ」ている。チュニジアの過激な思想家ラシード・アル・ガンヌーシは、残忍な計画を批判されるのではなく、「西洋とイスラームの哲学の見事な理解と、現代性および進歩と、イスラームの基本教義との和解のための正真正銘の関心」で褒め称えられている。もっといいことには、彼は「独裁性と西洋化とのつながり」における「重要な知的貢献」のために褒め称えられているのだ!もし不幸な現象が単に隠され得ないならば、うまく言い抜けられるかもしれない。暴力的な原理主義集団の場合を取り上げると、以下のようである。
ジハード組織の数はアラブ世界で増加中であり、実際、イスラーム世界の多くでそうである。この事実は、西洋においてしばしば推測されているのと同程度に多くを、イスラームについて述べてはいない。政治的にイスラームを搾取するための絶望的な試みについて述べているのだ。
イスラームの名における殺人者達は、換言すれば、ムスリムにではなく西洋をひどく反映している。
あまり深刻ではないがまだ暴露的なことは、政治的に正しくないとされた情報が、単純に参考文献に現れていないという事実である。ハジ・アミン・アル・フサイニに関する最近の三本の英語の参考文献のうち、二本の好ましいもの(タイシール・ジュブラとフィリップ・マタール)が列挙されている反面、批判的なもの(ツヴィ・エルペレグ『大ムフティ』)はない。アヤトッラー・ホメイニーの項目は、アミール・タヘリの『アッラーの精神』による349ページの参考文献表を省略している。思うにそれは、イランの「聖人」に非友好的だからだろう。主観性という類似の精神を乗っ取って、イライジャ・ムハンマドの息子はマルコムXの伝記を書いた。さらに奇妙なのは、特定のイスラーム組織(ムスリム少数派の事情研究所あるいはクアラルンプールの国際イスラーム大学)と関連のある人物を、自身に関する項目構成のために招いていることだ。その見出しは報道発表のように読める。これらの項目は暗黙のうちに、客観的知識のようなものは全くないというメッセージを合図している。それでは、なぜやってみる振りさえするのか?
(著者が自著に言及する)虚栄心の文献目録は、望まれない情報は除外するというパターンをさらに確証する。ある執筆者は、十冊の参考文献表に自分自身の文献を五冊引用している。六項目のうち三項目、五項目のうち三項目、四項目のうち三項目までも自身に言及する執筆者もいる。ある著者は自著の中から七冊も列挙する。ある場合には、一人の執筆者が自著を「叙事詩」と呼ぶ、楽しげな厚かましさを持つ。第11版『ブリタニカ』では、このような耽溺を想像することが困難だ。
言い訳やごまかしという大海の中で、時折の率直な言葉が一つの安堵となる。金融利子の項目は、輝かしい打開策としてイスラーム銀行を褒め称えるのではなく、懐疑的にその主題を扱う。イランとパキスタンの外で「イスラーム銀行が存在する場では、その運営はカモフラージュされた利子にほとんど専ら依存する傾向にある」と我々は学ぶ。マルヤム・ジャミーラは原理主義イスラームへの熱心なユダヤ系改宗者だが、西洋借用の深さを悟った時、その運動から距離を置いたと認められている。
かつて護教学はイスラーム論争家の領分だったが、大学を侵略してしまっている。それが『オックスフォード百科事典』の不幸なメッセージである。基本知識は恐るべきだが、政治束縛は息詰まる。編者が執筆者達から政治じみた服従を除外する叡智と訓練を持ってさえいたならば、『オックスフォード百科事典』は優れた大著だろうに。だがその後、実際にあるものよりも、非常に異なった学会を求めることだろう。
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2009年3月1日追記: オックスフォード大学出版は、明らかに1995年のエスポジトの百科事典に関する否定的な私見に同意しなかった。というのは、再びエスポジトが編纂した第二版を出版したばかりだからだ。今回は「現代」の語が題目から欠けている。『イスラーム世界のオックスフォード百科事典』では、四巻ではなく六巻を満たし、395米ドルではなく750米ドルかかる。
第一版に関する広範な労を思い出して、読者が私を許してくれるように、そして第二版を繰り返して読み査定することを要求しないように、私は希望する。