イスラエルは小国で、12年は短い時間だ。この主題に関する標準的な長さの本は、非常に詳細な叙述を示唆し、それがホワード・M・サチャーが我々に与えたものだ。そうではあっても、その話の多くは馴染みがある。ニュースを追っている誰にとっても、ここで語られた説明の概略を知っているだろう。上昇する石油価格と対処しているイスラエルの困難な年月、労働党の低下、メナヘム・ベギンの選出、エジプトとの和平条約、レバノンでの失敗した戦争、そして、1984年以来の国民統合政府のありえない成功である。
たとえこれらの出来事がアメリカのメディアで顕著に考えられたとしても、『イスラエルの歴史』第二巻(第一巻は初期シオニスト達からカバーし1973年戦争で終わった)を読むことは、「熟練した政治交渉家であると同時に才気ある言語学者、詩人、そして成功した脚本家」について遙かにもっと意味が通じる。対照的に、彼は野党の政治家ディヴィド・レヴィを、二、三行後に「不充分に教育されたシェルート」(換言すればリクード)党の「右翼のポピュリズムの認知された声」になるために上昇した「切り傷」だと紹介している。リクード党の行動は「突飛」で「挑発的」であり、その軍事政策は「誇大的」で、その信奉者達は「逆撫でするよう」だ。そのような用語は労働党にさえ当てはまらない。
彼の形容詞よりずっと一層不公平なのは、リクード党批判の幾つかである。1984年にイスラエルが1000人の住民につき学校に15人の生徒しかいなかったことは、ヨルダンの17人やパレスチナ人の20人と対照的に、確かにアラブ人のより高い出生率を反映している。サチャー氏が含意するような、リクード党の教育文化大臣が、世俗学校よりも宗教学校を好んだ正統派ユダヤ人だったという事実ではない。
リクード党支持の大半を提供する東洋系ユダヤ人を、彼は特に厳しく批判する。サブラとシャティーラ虐殺に対するイスラエルの咎の東洋系の否定は、「間接責任という微妙な点が、それらを超えていた」という観察へサチャー氏を促す。輸入された消費者項目の洪水が続いた外国通貨の歳入における急速な低下を心配する感覚さえ、彼らは欠如している。この耽溺について「ベギンのありがたい東洋系選挙民は....遠大な含意にほとんど反応していないようだった」。
本書で最もオリジナルで挑発的なテーマは、イスラエル人が自分の国家を分裂させるであろうという著者の関心である。民主主義とそのまさに存在を、彼は恐れている。イスラエルの入植者に対するリク―ド党の微弱な反応について書き、1982年初期に勝手に制裁を加えつつ、「増大する自暴自棄ムード」について語る。そこでは、もし国家の存在がまだ危険に曝されなかったならば、「実行可能な民主主義としての特徴は...疑いもなく最も鋭い傷つきやすさという敷居に近づいていたのだ」。
もっと期待外れだったのは、国家の将来がまだ疑いに開かれているとサチャー氏が見ていることだ。多くのアラブ人がイスラエルの存在を永遠の現実だと受け入れつつあった時でさえ、彼はシオニスト事業全体の儚さを記している。鍵となる箇所において、イスラエルの多くの脆弱性を彼は記す。
自由な西洋諸国にいるユダヤ人の多くは、ユダヤ人の郷土に移住することを望まなかった。ユダヤ民族にとって確かで確実な安息地としてのイスラエルの約束は、それそのものに疑問があった。イスラエルは、結局のところ、そのまさに体制派が背けるはずだった「もう一つのホロコースト」という脅威から救うために、その他の地にいるユダヤ人に要求していた、世界で唯一のユダヤ共同体だった。ユダヤ人国家の地位もまた、ユダヤ人の経済的な自給自足と生産性の保証として心に描かれていた。今やその反対が事例だったようだ。イスラエルの経済は修羅の巷だった。その国家は「発展した」世界の慢性的な物乞いの一つとして浮上していた。ユダヤ人国家というものが、ユダヤ人の職業転換に影響するだろうと裏付けられた史的仮定もなかった...離散の民の事業や専門職パターンは、ますますイスラエルの土地で複製されていた。(初期シオニスト達に)衝撃を与えたであろう程度まで、十九世紀のシュテトルの超正統派のリバイバルもそうだった。
多くのイスラエルの知識豊かな学徒のように、サチャー氏は最大の危難を内部的だと見なしている。アラブ人ではなくユダヤ人が、イスラエルの運命を脅かしているのだ。
深く洞察力に満ちてはいるものの、この分析は『イスラエルの歴史』に対する私の一つの主要な批判を指し示す。サチャー氏はあまりにも全くユダヤとイスラエルの事柄に没頭してきたので、地域的な背景を無視している。その結果は、奇妙な世間知らずだ。最近の中東政治の暴虐性になじんでいる誰が、イスラエルの自然保護用に草を食んでいる地域のベドウィン充当をどのように「残酷な悲惨さ」と呼べようか?同様にサチャー氏は、西岸の状況を「脆弱な無法」の一つだと称する時、守られた彼の見地を露わにしている。中東生活の学徒にとって、西岸は、よりずっと秩序整然に見える。
これはイスラエル研究に関する、もっと一般的な観察へと導く。イスラエルの中東文脈を、もっと真剣に取る時が来たのだ。イスラエルの文化政治制度が究極的には西洋的だというのは本当だが、国家は中東に位置しているし、その人口は圧倒的にそこで生まれているし、その運命は中東の出来事に促されている。これらの理由のために、イスラエルはその地域の枠組みで、最もよく理解されるのだ。