ダニエル・パイプス博士は、アメリカのシンクタンクである中東フォーラムの設立者兼所長で、中東とイスラーム、特にイスラーム主義やイスラミストのテロに関する、世界で主要な専門家の一人である。レーガン大統領のソヴィエト関連のトップ・アドヴァイザーとして奉職した、著名な歴史家でソヴィエト学のリチャード・パイプス教授のご子息だ。ダニエル・パイプス氏は昨年、ブッシュ大統領によって、「国際紛争の防止、管理、平和的解決」に従事する米国平和研究所の理事に指名された。戦闘的イスラームの脅威を早期に理解した数少ない分析家の一人で、1995年に「大半の西洋人達に気づかれないまま、欧州と米国に戦争が一方的に宣言されてきた」と警告していたのである。パイプス博士は、アメリカ国防総省のテロ技術に関する特別タスクフォースに奉職されている。12冊の本を執筆し、『ニューヨーク・サン』紙や『エルサレム・ポスト』紙のコラムニストだ。彼の著述はまた、オーストラリアの新聞にも頻繁に掲載され、オーストラリアや米国その他の多くの場所で、たくさんのテレビやラジオ番組に出演してきた。同様に、世界中で多くの異なった公開討論の場で語ってきた。
独立研究センターのゲストとして最近オーストラリアを訪問したパイプス博士を捕まえることができて、私は大変幸運だった。
イスラーム主義者のテロの脅威は、2001年9月11日に西洋人の多数派にとって驚くべき唐突さで露わになったが、多くの西側政策の結果の最前線であるように思われるかもしれない。だが、ダニエル・パイプス氏にとっては、より棘のある問題もが前方に立ちはだかっている。
西洋の我々にとって、より大きな挑戦は、非暴力的なイスラミストの筋書きです。テロに対抗する情報機関はありますが、我々の社会を転換することを欲する過激なモスクやイスラミストのイデオローグに由来する脅威に対する備えができていません。以前には、これに遭遇したことがありませんでした。政治、教育、メディアであれ、あらゆる分野が何をすべきか不確かです。アメリカの表現で、合法的に憲法をコーランに置き換えることが公然の目標である人々と、どのように戦うのでしょうか?テロリストと戦うことよりも、民主的で多元的で法を遵守する社会の内部から我々を侵食しようとする人々と戦うことは、ずっとより困難かもしれません。事実、テロリスト達は、非暴力的なイスラミスト達の立場を減じたと言えるかもしれません。我々が危険な敵と直面していること、そして、彼らの戦術はどこでも人々を不和にするという現実に、西洋を目覚めさせたのです。爆破犯人達の鎮圧を論じることは、たやすいことです。我々の社会で開放性と寛容を搾取しつつ、白蟻のように侵食する人々を止めるために論じることは、それほど簡単ではありません。そして、彼らに対してどんな方策が取れましょうか。これは、学校、モスク、移民などを監督することを意味します。多くの政策形成者は、この状況を巡って苦悩しています。大変に懸念されることです。なぜならば、これらの非常にデリケートな問題に関して正しい行程の舵取りをすることが、とても困難だからです。
一つの主要な問題は、西洋の多くの人々が、目的感覚と自文化が体現しているものの理解を喪失してしまったことだ、と彼は述べる。
西洋には幾つかの国々がありますが、私に言わせるならば、特に英国です。何でもありのようですが、ロンドニスタンとして知られることもあります。対照的に、フランス人は、エネルギーを使って非暴力的なイスラミスト達の問題と格闘しています。最近、これと対処しようとする兆候を示しました。例えば、リヨンの近くにアブデルカデール・ブジャンヌ(Abdelkader Bouziane)という一人のイマームがいました。あるインタビューで、妻を殴る夫の権利に賛同したインタビューのため、4月に国から追放されたのです。もっとも、短時間後に再入国を認められたのですが。これにも関わらず、その傾向は明らかです。時々、もっと挑発的に私が悲観する瞬間、ノートル・ダム大聖堂がモスクに転換されるか、それとも、ジャーヒリア(無明時代)の形跡として爆破までされるのが見えます。
他の諸国でも、問題があります―例えばオーストラリアでは、ギャングの陵辱が存在しますが、ムスリム諸国からの移民達が、同化傾向にではなく、むしろ、性的そして政治的な態度を保持する傾向にあることが、特にその種の問題を示唆するのです。そして、彼らにとってもオーストラリアにとっても悪く役立ちます。一人は政府側で、もう一人は反体制派なのですが、高い地位にある二人の政治家が、今回の旅ではっきりと私に語ったのは、この問題に対する政府の応答は、意図的にオーストラリアへのムスリム移民の人数を減らすことでした。
左派の多くがイスラーム主義の脅威を誤解していると、彼は論じている。
極左と極右は常に破壊的な革命の側にあり、国家を転覆してきました。それ故に、西洋社会に対するイスラミスト達の側に彼らがいるのがわかることは、予期できないことではありません。例えば、極左は常に西洋でのマルクス主義革命を期待しました。そして、これが来なかった時、ひどく失望しました。イスラーム主義は、西洋を破壊する代替の道を提供します。それ故に、しばしば声援を送るのです。危険な右派も等しく、あるがままの西洋社会を破壊することを欲しましたが、それはイスラミスト達にとっての好みなのです。私を驚かせ仰天させたことは、穏健左派の多くが、この態度とどのように歩調を合わせているかということです。イスラミスト達のうちに、敵対者の敵対者を見出します。だから、どれほど彼らの計画が異なっていようとも、少なくとも彼らは正しい対象を持っているのです。例えば、過去には社会の常軌を逸していると考えられたであろう、あらゆる種の奇妙な理論や概念を穏健左派が歓迎する世論で、これがわかります。
中東で非常に広まっている陰謀論の心的傾向(この主題に関するパイプス博士の二冊の優れた書『隠れた手:中東が恐れる陰謀』『陰謀:パラノイアの由来と隆盛』を参照)は、西洋で増加中のように見えると私は観察した。我々の社会にとって、これが主要な問題を表出していると、彼は考えているのだろうか?
西洋で増加中だと言いそうになる誘惑もありますが、まず、二つの質問に答える必要があると考えます。その一は、これらの意見は本当にもっと周囲にあるのか、それともただそのように思われるだけなのか?その二は、もっと効果的なのか?例えば、結果として陰謀にもっと人々が苦しんでいるのか?ただ本当にふざけたがっているだけの、多くのひどい陰謀論を割引する必要があります。つまり、本当の結果を持っていないのです。例えば、UFOやアトランティスやケネディ暗殺に関する説です。その他は―そうですね、増加中です。中には、騒々しくさせるかもしれないものもありますが、それがもっと衝撃を与えるかは確かではありません。この頃では、西洋の陰謀論者と非西洋世界の陰謀論者との間に興味深い相違があります。西洋では、ある一定の人格のタイプが陰謀論者であると受け留められています。非西洋世界では、普通の市民が陰謀論者なのです。中東では、陰謀論を信じることよりも、陰謀論を信じない方がもっと稀です。そして、その説は西洋の幾つかのいたずら好きな側面のいずれをも欠いているのです。
多くの中東の陰謀論の中で主要な存在であるイスラエルは、大悪党だと見られている。多くの論客は、特に非常に多くの欧州諸国が、これを理解できないように思われるので、これはイスラエルにとって最も危険な時代の一つだと観察してきた(「イスラエルが欲することは何でも単純にすることができないのだ、とイスラエルを説得するために」アラブ諸国に核兵器を与えることは素晴らしいアイデアだと考えた、フランスの国会議員のポール・マリ・クトの証言)。多くの論客がイスラエルの将来について非常に悲観主義を表明してきたので、この見地に同意するかどうか、ダニエル・パイプス氏に私は尋ねた。
確かに、今起こっているユダヤ人の非人間化において、イスラエルにとって大きな危険があります。1930年代のナチ・ドイツとの気にかかる対比も出されています。ユダヤ人の組織的な非人間化が、1940年代の強制収容所に基盤を置いた時のことです。今日、比較できるユダヤ人の非人間化は、イスラエルに対する大量破壊兵器をムスリムが使用する前触れかもしれません。ヨーロッパ人達は特に、イスラエルに対するムスリム世界の全く本当の憎悪、そして地上からイスラエルを消し去りたいという願望を無視することに熱心ですが、米国政府でさえ、時々それを軽視します。例えば、マレーシアの前大統領(ママ)(訳者注:正しくは「マレーシアの前首相」)マハティール・モハマドが、昨年、イスラーム会合でユダヤ人について煽動的な声明を出した時、米国国家安全保障の補佐官であったコンドリーザ・ライスは、このコメントについて「それがムスリム世界に象徴的だとは思いません」と言いました。実は、彼が仲間のムスリム指導者達に拍手され、歓声を挙げられた時なのです。事実、それが主流のムスリムの見解です。
パイプス博士は、サッダーム・フセインを絶滅させる戦いを支持したものの、イラク戦争後に関してなされる想定を懸念している。数ヶ月前のABCテレビ『レイトライン』のインタビューで、彼はイラクの将来について悲観主義を表明した。だが、私がこの件について尋ねた時、最近は状況がよくなっていると彼は述べた。
ここ数週間、私はもっと楽天的になってきました。イラクのイヤド・アラウィ(Iyad Allawi)首相が正しいことをしているように見えるからです。彼は治安に集中しています。そして、ゆっくりと成功しているように思われます。ひとたび国が安定すれば、政府は政治的に開かれるだろうと私は思います。そして、その方向へ押すことが、外部にいる我々の義務です。これは、イラク自身のためのみならず、地域全体にとって関わりがあります。イラクは多分、中東がどのように展開するかについて、主要な衝撃を与えるだろうからです。もし、そこで実験が成功すれば、中東にとっての転換点になるでしょう。そして、それが巨大な派生効果を持つでしょう。もし失敗するなら―そうですね、それもまた同様に、大きな派生効果を持つでしょう。確かに見たくないものですが。
イスラミストの過激主義における現在の高揚や暴力について、ほとんど全ての責任をサウジアラビアに置いた論客もいるが、ダニエル・パイプス氏は、それは事例を誇張していると考える。
イスラーム主義は、サウジの多様性に限定されるべきではありません。ワッハーブ主義は、恐らく今日最強の動力でしょうが、他のものもあります。例えば、エジプト由来のムスリム同胞団や、イランのホメイニー派や、インド・パキスタン由来のデオバンディ派です。そうは言っても、イラン人が広く革命に食傷しているので、イランの要素は弱いです。
イスラミストの高まりは、どれほど歪曲化されていようとも、ムスリム諸国における近代化の一症状である、と彼は信じている。
その根源は伝統から派生すると主張していますけれども、実は、伝統を壊しつつ、国民人口に過激なユートピア的見解を強制する意図で、革命におけるファシズムと共産主義を熱心に見習っているのです。その後、世界全体にこれらを拡大します。精神や野心や方法において、イスラーム主義は西側の我々に全くなじみがあり、他の全体主義プログラムに気づいています。行程の一つの大きな相違は、ナチのドイツやソヴィエトのロシアという種類の権力を持つイスラーム主義国家がないということです。これは、現代の敵の拡散である―上意下達ではありません。だからイスラーム主義は、グローバル化の自己像幻視なのです。