アンヌ=マリー・デルカンブル(著)Desclée de Brouwer社 2007年 21,00
http://www.amazon.fr/Soufi-mufti-Quel-avenir-lislam/dp/222005859X
過激なイスラームの挑戦である「対テロ戦争」と、西洋中のムスリム少数派が強壮に主張する存在の間で、安全や政治や文化、あるいは基本的に西洋文明の将来に関心のある誰にとっても、イスラーム理解は優先的になってきている。
ムハンマドやコーランやイスラームやイスラーム主義や関連事項についての議論は、この文脈で、可能な限り広範囲で自由である必要がある。もしこれらのトピックの理解を改善すべきならば、言論の自由が真に必要とされる。それに関する情報あるいは知見を持つ誰もが、理性的な賦与という保証付きで提供できると感じることが必要だ。2005年の合衆国での論争中に私が述べたように、「特にエスタブリッシュメントの諸機関が、あまりにも臆病か欺きでさえある時には、この討論に立ち入り禁止であり得るものは何もないし、彼らの見解を表現する人々にペナルティがあってはならないのである」。
鋭い政治的公正さという脈絡で―西洋と同じくフランスの一問題―この機会にアンヌ=マリー・デルカンブルの仕事に対して、私は賛辞を表明したく思う。展開中の彼女の全作品は、我々のイスラーム理解において常に重要な要素を提供している。本書『スーフィーかムフティか?』は、鍵となる特徴を明確に説明しつつ、中心概念とイスラーム実践の幾つかを組織的に経由して、彼女が集成したものを追加している。
アンヌ=マリー・デルカンブルと私は、当該問題の本質について広く合意するが、一つの主要な領域で不一致である。彼女がイスラームとイスラーム主義の間に相違を見出さない一方で、私は見出す。彼女の展望は、以下のページで詳細に続く。要するに私の理解は、イスラーム主義は格別で極端で現代版のイスラームだということだ。彼女とは違い、私は時代と共に変化を強調する。ムスリムは今日のように常に攻撃的だったのではないのみならず、前方を見据えれば、現在の危機の終焉は、今日広まっている敵意に満ちた種が、イスラームの穏健な型に置き換わることを要請する。
これは、政治用語で西側政府がイスラーム主義と穏健なイスラームを区別すべきだということを含意する。前者を打ち砕き、後者を奨励することだ。 本書を読むにつれて、その問題を解釈するのにどちらの方法をより好むか、自分で決めることを私は読者に促す。
しかしながら結局のところ、デルカンブル博士と私の相違は、我々の生活様式を守るために悪意ある危険なイデオロギーと戦う必要性の合意ほど、問題ではない。これが我々の時代の大いなる闘いを構成するのだ。彼女と私は同じ塹壕に立っている。そして、親愛なる読者よ、そこで我々に加わるよう私は希望する。
2007年8月
アメリカ合衆国ペンシルヴェニア州フィラデルフィア
ダニエル・パイプス