最近では2012年に、イスラーム主義者達が多くの内部不同性―宗派(スンニー派とシーア派)政治(君主制と共和制)策略(政治的と暴力的)あるいは現代性への態度(サラフィ派とムスリム同胞団)―を克服し、協力できたように見えた。例えばチュニジアでは、サラフィ派とムスリム同胞団の型が共通項を見出した。当時私が述べたように、これら全集団間の相違は本当だが派生的だった。なぜならば、「すべてのイスラミスト達は同じ方向へ、イスラーム法(シャリーア)の十全かつ厳格な適用を目指して牽引する」からである。
よりよい時のアリ・ハメネイとマームード・アフマディーネジャード |
イスラーム主義者の血なまぐさい敵意は、多くの他のムスリム多数派諸国で燃え上がってきた。スンニー派対シーア派の緊張は、イスラーム主義に対する異なったアプローチのためでもあるが、トルコ対イランで見られる。レバノンでは、スンニー派対シーア派のイスラーム主義者達とスンニー派のイスラーム主義者対軍隊がある。シリアではスンニー派対シーア派のイスラーム主義者、イラクではスンニー派対シーア派のイスラーム主義者、エジプトではスンニー派のイスラーム主義者対シーア派、イエメンではハウチ派対サラフィ派である。
かつては密接な同盟だったレジェップ・タイイップ・エルドアンとフェトフッラー・ギュレン |
表面上は極小の相違が複雑な特徴を担い得る。ベイルートのある新聞がトリポリという北レバノンの街における敵意を難解に説明しているが、ちょっとそれに従ってみよう。
3月8日から3月14日までに政治運動が分裂したトリポリの種々のイスラーム主義集団間の衝突は、上昇中である.…。3月14日の諜報部門長のウィッサム・アル=ハッサン准将という人物の暗殺以来、10月のトリポリのイスラーム主義集団間の論争が、大火災へと向かっていった。特に、ハッサンの死後たった数時間で、イスラーム・タウヒード運動の役員であるシェイフ・アブデル=ラザック・アスマー殺害が続いた。国民イスラーム主義集会と関連する独立イスラミストのカナアン・ナジの支援者達がイスラーム・タウヒード運動の本部を乗っ取ろうと試みた時、爆発した武器衝突の間でシェイフは撃たれて死んだ。
この粉砕パターンは1950年代の汎アラブ民族主義者達の分裂を思い起こさせる。彼らは、当時の表現「(大西)洋から(ペルシャ)湾まで」のように、アラビア語を話す人々全員を統一する抱負を抱いた。しかしながら、その夢をアピールする際に、指導者達は、運動が権力内で増大するにつれて仲違いした。汎アラブ民族主義が、変幻自在で永久に微細な衝突の重圧を受けて、事実上崩壊する点まで運命づけられたのだ。これらは以下を含んだ。
- エジプトのガマール・アブドゥル・ナーセル vs. シリアとイラクで支配中のバース党
- シリア・バース党vs.イラク・バース党
- スンニー派シリア・バース党員vs.アラウィ派シリア・バース党員
- ジャディード運動のアラウィ派シリア・バース党員vs.アサド派のアラウィ派シリア・バース党員
オマール・アル=バシールとハッサン・アル=トゥラビもまたかつては密接な同盟だった |
深い中東パターンを反映して、イスラーム主義者間の意見衝突も、同様に協働することを妨げている。その運動が波打つように押し寄せるにつれ、そのメンバー達が権力に近づき実際に支配するにつれて、その裂け目はますます分裂的になる。イスラーム主義者達が権力を振るう時に反対派が浮上し、イスラーム主義者達が衰える時、対抗意識が取り繕う。
分裂繁殖の傾向を持つならば、イスラーム主義運動は、ファシズムや共産主義のように、莫大な損害を負わせる文明上の脅威に過ぎないが、決して優勢にはならないと運命づけられている。イスラーム主義者の権力が可能なこの限界は、2013年にのみ可視的になったのだが、楽観主義の基盤を提供するものの自己満足のためではない。状況が一年前よりもっと明るく見える時でさえ、その傾向は再び速やかに変節し得る。イスラーム主義を打ち負かすという長く困難な仕事は、前方に残ったままだ。
2013年7月22日補遺:1950年代の汎アラブ民族主義の一部は、アメリカ人コメディアンのエモ・フィリップスによるスキットを想起させる。(読みやすさのために少々改変した。)
ある時私は、男が橋から飛び降りようとするのを見た。
私は言った。「おい、やめろ!」すると男は言った。「誰も俺を愛していないんだ」
「神は愛している。神を信じているか?」男は言った。「うん」
「俺もだ!お前はキリスト教徒かユダヤ教徒か?」男は言った。「キリスト教徒だ」
「俺もだ!プロテスタントかカトリックか?」男は言った。「プロテスタントだ」
「俺もだ!どこの教派だ?」男は言った。「バプテストだ」
「俺もだ!北部バプテストか南部バプテストか?」男は言った。「北部バプテストだ」
「俺もだ!北部の保守バプテストかリベラルなバプテストか?」男は言った。「保守バプテストだ」
「俺もだ!北部保守バプテストの五大湖地域か北部保守バプテストの東部地域か?」男は言った。「北部保守バプテストの五大湖地域だ」
「俺もだ!北部保守バプテストの五大湖地域の1879年協会か1912年協会か?」男は言った。「1912年の方だ」
私は言った。「死ね、異端者め!」そして私は男の背中を押した。