2009年11月にテキサスのフォートフッドで発生したニダル・マリク・ハサン少佐による虐殺後、三年以上、彼の犯罪分類は論争であり続けている。その英知において、警察組織、政治家、ジャーナリスト、学究人によって支持された国防総省は、13人の殺害と43人の負傷を「職場の暴力」だと見なしている。例えば、繰り返されたエピソード防止に関する86ページの研究『軍の防衛:フォートフッドの教訓』は「職場の暴力」に16回言及している[1]。
2013年春号の『季刊中東』誌の表紙 |
対照的に、議員達は「職場の暴力」の特徴化をからかい、犠牲者と遺族160人の連合は最近「フォートフッドの真実」という行政批判ビデオを公開した。虐殺の三周年記念に、犠牲者と遺族148人は、その事件をテロと認識しないことにより法的および金銭的に責任回避したとのかどで、米国政府を告訴した[3]。
軍指導者層は、何が彼らの顔を凝視するかを故意に無視した。つまり、ハサンの疑問の余地なき明らかなイスラーム主義者の着想である。『軍の防衛』は、脚注で「ムスリム」と「ジハード」に一度も言及せず、「イスラーム」は一度のみ言及している[4]。 その虐殺は、公にはまだ、テロないしはイスラームとは無関係のままである。
この例は、もっと大きなパターンに合致する。エスタブリッシュメントが否認するイスラーム主義―極端で全体主義的で厳格なイスラーム法であるシャリーアの適用を通してムスリムを優勢にしようと求めるイスラームの一形態―があまりにも明確な時、テロの主要なグローバル原因を体現するのだ。イスラーム主義は、人間性を支配するカリフ制を創設する野心のうちに中世の基準へと逆戻りする。「イスラームは解決だ」が、その教義を要約している。イスラームの公法は、非ムスリムよりムスリムを、女性より男性を高め、ムスリム支配を広げるために力の行使を是認すると要約できる。最近の数十年では、イスラミスト(イスラームのこの展望の信奉者)がテロの未曾有の記録を打ち立ててきた。一つの目録を引用すると、「平和の宗教」というウェブサイト(TheReligionOfPeace.com)は、9.11事件以来、イスラームの名における2万件あるいは一日に約5件の急襲を計上している[5]。西洋では、イスラーム以外の動機に鼓舞されたテロ行為は、ほとんど登録されない。
この否認を記録し説明することや、その意味するところを探究することは重要である。その事例は、イスラエルを除いて、事実上、いかなる西側諸国からもあり得るけれども、圧倒的に米国由来である。
否認を記録する
『軍の防衛:フォートフッドの教訓』の表紙 |
- 1990年 ニューヨークでラビのメイル・カハネ暗殺「鬱症状...用の処方薬」[6]
- 1991年 シドニーでメイキン・モルコス殺害「強盗が道を踏み外した」
- 1993年 西オーストラリアでダグ・グッド牧師殺害「意図せぬ殺害」
- 1993年 カイロのホテルで外国人を攻撃し10人殺害:精神異常[7]
- 1994年 ブルックリン橋でハシディズムのユダヤ人殺害「路上の逆上」[8]
- 1997年 エンパイアー・ステート・ビルの頂上で銃撃殺人「彼の心にとても大勢の敵」[9]
- 2000年 パリ近郊でユダヤ系学校に通う子ども達のバス攻撃「交通事故」
- 2002年 オサマ・ビン・ラディンをあがめるアラブ系アメリカ人(だが非ムスリム)によるタンパ高層ビルの飛行機衝突「痤瘡薬アキュテイン」[10]
- 2002年 ロサンジェルス国際空港で二重殺人「仕事の口論」[11]
- 2002年 環状道路の狙撃者達「激動の(家族)関係」[12]
- 2003年 ハサン・カリム・アクバルの同僚兵士2人を殺害攻撃「態度の問題」[13]
- 2003年 セバスチャン・セラムの切断殺人「精神病」[14]
- 2004年 イタリアのブレシアのマクドナルド・レストランの外で爆発「孤独と憂鬱症」[15]
- 2005年 ヴァージニアの退役センターで暴走「容疑者と別のスタッフの間の不一致」[16]
- 2006年 大シアトルのユダヤ連盟で殺人的暴走「女性に対する憎悪」[17]
- 2006年 北カリフォルニアで多目的スポーツ車による殺害「最近のお見合い結婚が彼にストレスを与えたかもしれない」[18]
この否認のパターンは、かえってますます印象的である。なぜならば、自殺使命、首切り、名誉殺人、女性の顔の外観損傷のようなイスラーム形態の暴力と識別的に関与するからである。例えば、名誉殺人のことになると、フィリス・チェスラーは、この現象が家庭内暴力とは異なると確証した。そして西洋諸国では、ムスリムによってほとんど常に犯されているのである[19]。しかしながら、このような証拠はその立証を納得させない。重要項目からイスラームを除外してフィルターにかける傾向にあるからだ。
一般化された驚異は、もっと否認を鼓舞する。政治家その他は、イスラーム、イスラーム主義、ムスリム、イスラミスト、ムジャヒディーンあるいはジハード者に言及することを避ける。その代わりに彼らは、悪事を働く人、戦闘者、過激な急進派、テロリスト、そしてアル・カーイダを非難する。ちょうど9.11の一日後に、コリン・パウエル米国国務長官が、次のように主張することによってトーンを設定した。犯されたばかりの暴虐は「アラブ人やイスラーム教徒によってなされたものと見られるべきではありません。それは、テロリストによってなされたものです」[20]。
もう一つの戦術は、冗長という濃霧の下でイスラミストの現実を曖昧にすることである。ジョージ・W・ブッシュはかつて「今や中東の国境を超えて送り出している急進主義に対する最大の苦闘」[21]に言及した。また、別の時には、「自由社会を信じず、自由世界の意識を揺るがそうとするために武器としてテロをたまたま使う、イデオロギー的な急進派との苦闘」[22]にも言及した。「イスラームは平和を説教する偉大な宗教です」[23]と主張することによって、彼はいかなるイスラーム要素をも却下さえした。
2010年にイスラーム主義に関していかなる言及も回避している エリック・ホルダー米国司法長官 |
スミス:昨年の3件の全(テロリスト)試行の場合、...過激なイスラームと絆を持っていた個人の1件は成功しました。これらの個人は、過激なイスラームのために行動するよう搔き立てられていたかもしれないと感じていらっしゃいますか?
ホルダー:何のために?
スミス:過激なイスラームです。
ホルダー:これらの行動をなぜ人々が取ったかと私が考える、さまざまな理由があります。一つは、各個人の事例を見なければならないと考えます。つまり、今我々は(フェイサル)シャーザドに語っている途中です。彼にその行為を取らせたものは何かを理解しようとするためです。
スミス:はい、でも過激なイスラームがその理由の一つだったかもしれませんが?
ホルダー:さまざまな理由があります、なぜ人々が...。
スミス:しかし、過激なイスラームはその一つでしたか?
ホルダー:人々が事をなすには、さまざまな理由があります。彼らの何人かは、潜在的に宗教的な...[25]。
そして、スミスが事実上あきらめるまで、ホルダーは固持し続けた。これは例外ではなかった。2011年12月に、国防総省の上級官僚によって、ほとんど同じ否認が起こったのだ[26]。
あるいは、単純にイスラミスト要素を無視できる。国土安全保障省が発行した研究『米国のテロ脅威の展開』は、たった一度だけイスラームに言及している。2010年9月にオバマは国連で語ったが、受け身構文を用いつつ、9.11に関連してイスラーム言及の全てを避けた。「9年前、世界貿易センターの破壊は、尊厳あるいは品位の境界線を尊重しない脅威の前兆となりました」[27]。同じ頃、ジャネット・ナポリタノ国土安全保障省長官は、テロに関与したアメリカ人の分析結果では「地元で育ったテロリストという'典型的な'プロファイルはありません」という示唆を述べた[28]。
米国下院のニュート・ギングリッチ前議長は、このメンタリティを正しく非難している。「2たす2は4以外の何かと等しくなければなりません」[29]。
否認の例外
このパターンの例外は確かに存在する。体制派の人物は、時々守りを落として、文明世界に対するイスラミストの脅威を認知する。ギングリッチ自身は、2010年にシャリーア(イスラーム法)に関する格別に博識な演説をした。「これは対テロ戦争ではありません。テロリズムは、ある一活動です。これは、戦闘的および内密型の両方における過激派イスラミストとの闘争です」[30]。
トニー・ブレア英国首相は、2006年に感動させる雄弁な分析を提出した。
これは戦争です。しかし全く型破りな種類のものです...。世界の将来を支配する諸価値は何でしょうか? 寛容、自由、相違や多様性の尊重、あるいは反応、分裂そして憎悪でしょうか?....部分的には、私が反動的イスラームと呼ぶものと、穏健な主流派イスラームの間の闘争です。しかし、その含意はずっと広がっています。我々はある戦争を戦っていますが、テロリズムに対するのみならず、21世紀初期に、グローバルな諸価値について、どのように世界を自ら司るべきかについてもです[31] 。
ディヴィド・キャメロン英国現首相は、現職に就くずっと前の2005年に素晴らしい分析を出した。
今日のテロリスト脅威の背後にある原動力は、原理主義イスラミストです。我々が関与している苦闘は、根本においてイデオロギー的です。前世紀の間、イスラーム主義思考の性質が発展してきました。例えば、ナチズムや共産主義のような他の全体主義のように、その信奉者達に暴力を通じてある型の救済を提供するのです[32]。
2011年、キャメロンは首相として、このテーマに戻った。「我々は絶対に、このテロリスト攻撃がどこに横たわっているかの源泉に関して明確にする必要があります。それはイスラミスト急進主義という、あるイデオロギーの存在です」[33]。
チェコのアレクサンドル・ヴォンドラ前外務大臣が稀な虚心坦懐さで心の内を語った |
過激派イスラーム主義者は、実質的に、西側の諸政策が何であり、何であったとしても、我々の社会が表象を主張する何事にも挑戦します。これらの挑戦には、普遍的な人権と言論の自由という概念を含みます[34]。
ジョージ・W・ブッシュは2005年10月の後の期間に「イスラーム・ファシズム」と「イスラーム的ファシスト」について語った。コネティカット州のジョセフ・リーバーマン上院議員は「この戦争における我々の敵、暴力的なイスラミスト急進主義のあるがままの同定化を」拒否する人々を批判し[35]、ハサン少佐に関する優れた上院研究を支援した。ペンシルヴェニア州の当時上院議員だったリック・サントラムは、顕著な分析を出した。
第二次世界大戦中、我々はナチズムや日本帝国主義と戦いました。今日、我々はイスラーム的ファシストと戦っています。彼らは9月11日に我々を攻撃しました。なぜなら、全世界を彼らの狂信的な支配に服従させると公に宣言した使命に対する、最大の障害だからです。イスラーム・ファシズムの脅威は、ちょうどナチズムとソヴィエト共産主義由来の脅威と同程度に威嚇的だと私は信じています。今では当時のように、我々を支配するために何物も止めないであろう狂信者達と我々は対峙しています。今では当時のように、出口はない。勝つか負けるかのどちらかです[36]。
米国連邦最高裁判所のアントニン・スカリア判事は「アメリカは過激派イスラミストとの戦時下にあります」との観察を表明した[37]。ニューヨーク警察局の研究『西洋における過激化:地元育ちの脅威』は、冒頭で「イスラーム基盤のテロリズム」を議論し、決して緩めない。また、イスラーム主義との明示的な関連を含んでいる。例えば「究極的にジハード者は、ジハード・サラフィのイスラームが支配的な世界とそれを基板とする政府を心に描いている」[38]。
現実は時折、否認と冗漫という霧を通して実に突き出るのだ。
否認の不可解さ
これらの例外を除き、何がイスラーム動機の一貫した否認を説明するのか?なぜ、知らないふりをしている大問題の見せかけが部屋を満たしているのか?真実と対峙することに気が進まないのは、婉曲法、卑怯さ、政治的公正さ、宥和の、変わることなき匂いである。この精神において、ギングリッチは論じている。「オバマ政権は、我々の敵の本質およびアメリカを脅かす勢力に対して意図的に盲目です....無知なのではありません。(現実を)回避する決意ある努力なのです」[39]。
この諸問題は絶対に否認に貢献するが、この躊躇を説明するためには、もっと基本的で合法的なものがさらに先を行く。一つのヒントは、メルボルンのモナシュ大学にガエタノ・イラルディが提出した2007年の政治学の博士論文から来る。題目は「アイルランド共和国軍(IRA)からアル・カーイダへ:テロリスト使命における合理的な行為の測定としてのインテリジェンス」で、頻繁にイスラームおよび関連トピックに言及している。イラルディはまた、過激化というトピックに関する報道でも引用されてきた。だがなお2009年に、彼はヴィクトリア警察の上級巡査代理として、20名の警察組織の同僚の中で、警察はテロリズムを議論する時、いかなる方式でも公にイスラームに言及していないと私に主張し続けて、最も声高だった。換言すれば、イスラームに言及したくないということは、イスラームの役割を充分によく知っている者由来であり得るのだ。
ダニエル・ベンジャミン国務省テロ対策 調査官 |
アル・カーイダのイデオローグがどのようにイスラームのテクストと概念を専有してきたか、彼らの流血の惨事のために宗教的合法性という覆い隠しへと形作ってきたかを、政策形成者は充分に認識している。どのようにアル・カーイダやその先行過激派集団が、しばしば聖なるテクストの全文脈を外して拾い出し選んだかに関して詳細に書いてきた者として、同僚達がその脅威の本質を理解していることを私は疑っていない[40]。
イラルディとベンジャミンはその資料を知っている。彼らは、政治的公正さや無知や宥和よりもっと深い理由のために、テロ関連でイスラームを議論することを回避している。その理由とは何か?二つの要因が鍵となる重要性を持つ。ムスリムを疎外したくないということ、あるいは社会の再秩序である。
否認を説明する
ムスリムの気分を害したくないという真摯で理性的な目標は、公に最も頻繁に引用された理由である。イスラーム、イスラーム主義ないしはジハードに焦点を当てることによって、西洋で「対イスラーム戦争」に関与するムスリム恐怖が増加中だということに、ムスリムは抵抗する。例えばジョセフ・リーバ―マンは、敵に言及する時、オバマ政権が「暴力的なイスラミスト極端主義者達」という用語を使わないことを好むと記している。なぜならば、そのような明示的な語を用いることは、「西洋がイスラームと戦時下にあるという我々の敵のプロパガンダ主張を補強する」からである[41]。
「対テロ戦争」という用語を一度だけ使用したことについてインタビューで質問されて、バラック・オバマはこの点を確証した。「この状況における用語は重要です。なぜならば、この闘争で勝利しようとする方法の一つは、心と精神の闘いを通してだからです」。「それでは、将来多く使うつもりの用語ではないということですね?」と尋ねられて、彼は応じた。
あのね、私がしたいのは、私が一貫してアル・カーイダその他の関連組織について話してきたことを確かにすることですよ。なぜならば、私が考えるに、あの種の破壊やニヒリズムは究極的に袋小路へと導くことを認識する穏健なムスリムを巡って、我々が勝てるからなんです。そして、皆がもっとよい暮らしを得たことを確かにするために協働すべきだということです[42]。
ダニエル・ベンジャミンはもっと明晰に同じ点を突いている。
「暴力的な急進主義者」の代わりに「イスラミスト」に強調を置くことは、我々の努力を切り落とすことになる。暴力をぞっとするほど嫌う、十億以上の人々の信仰における核の問題を、誤って根付かせるからだ。政府内研究が次々と示したように、そのような発言は、ムスリム穏健派を疎外しつつ、グローバルなメディアにおいて、変わることなく歪曲されて緊張させる[43]。
この懸念は、実は二種類のムスリムにとって二つの下位部分を持つ。そうでもなければテロと戦う手助けをするだろう人々が侮辱されたと感じて(「真のムスリムは決してテロリストであり得ない」)前進しない一方、巻き込まれないであろう人々が過激化し、テロリストにさえなる人もいるということだ。
イスラームについて語ることを抑制する第二の理由は、どのように世俗的な西洋社会が命じられているかということから、大きく望ましからぬ移行をこれがどのように含意するかという懸念と関わっている。テロ攻撃の非難は、西洋人達がイスラームに関する諸問題と対決しないことを許す、薬物で身を誤った、路上の逆上、お見合い結婚、精神的な事例で狂暴になっている、あるいは一風変わった業務災害だというのだ。もしジハード説明が広くもっと説得的であるならば、それもまた遙かにもっと厄介だ。
イスラミストのテロが、イスラームの確信から行動する、ほとんど排他的なムスリムの仕業だということに気づく時、その含意はムスリムが特別な精査のために選り分けられなければならないと続く。恐らく2003年に本執筆者が示唆した路線に沿ってである。
警察組織、軍隊、外交団のムスリム政府職員は、刑務所と国軍のムスリム・チャプレンのように、テロ関連で監視される必要がある。ムスリムの訪問者と移民は、追加的な背景チェックを受けなければならない。モスクは、教会と寺院に適用された以上の精査を要する[44]。
そのような政策施行は、宗教で定義されるある共同体に、警察組織の留意が集中することを意味する。これは、リベラルで多文化的で政治的公正さの諸価値に直面して、逃げ失せる。それもまた、不法で恐らく違憲だと描写されるだろう。ある個人の集団特徴を基盤に識別することを意味する、プロファイリングを含める。これらの変化は、今日の一般環境ではキャリアを崩しかねない「人種差別」と「イスラーム恐怖症」の告発だとして非難されるであろう、動揺させる意味合いを持つ。
イスラーム関連の説明は、加害者を犠牲者へ転換するよりも、もっと説得力ある説明を提供するかもしれないが、現存する社会習慣を切り札に、テロ対策を変更しない緊急事だ。これは、イスラミスト攻撃の背後にある実際の要因を回避し、その代わりに種々雑多な平凡な動機を見つけている警察、検察官、政治家、教授達を説明する。それらの宥めと不正確なブロマイドは、武器に対する警戒以外に何ら変化を含まないという利点を有する。不愉快な現実との対処は延期され得るのだ。
最終的に、否認は機能しているように見える。警察組織、軍隊、諜報機関が、一般大衆に語るに際して、実際にはイスラームとムスリムに静かに焦点を当てるのを止めない時、この同じ諸機関が、イスラーム的な動機と不釣り合いなイスラミストのテロという双子の話題とを、注意して避けるからである。本当に、まさにこれをする多くの証拠があり、9.11以来、モスクから非公式のムスリム金融両替(hawala)までの全てに関する密接な精査で、効果的なテロ対策の努力へと導いた。その結果、(フォートフッド襲撃のような)稀な例外と共に、イスラミストのテロリスト・ネットワークを窮地に追い込む傾向にあり、成功した襲撃は、突然のジハード症候群によって特徴づけられた加害者から、どこにも出て来られない傾向にある。
否認に対して論ずる
ムスリムの繊細な感覚を悪化させないよう促すことを尊重しつつ、イスラームを巡る率直な議論が秩序ある社会にとって主要な結果を持ち得ると認識する一方で、本執筆者は、イスラームに言及する必要を主張している。第一に、イスラームに関して語ることが、実際にどれほどの害を与えるのかは明らかではない。本物の反イスラミストのムスリム達は、イスラームが議論されることを主張する。イスラミスト達を穏健だと見せかけるのは、「対イスラーム戦争」やそれに類するものに関して腹を立てるふりをする人々だという傾向がある。
第二に、イスラーム主義を議論するだけでは、過激化しているムスリムを指摘する証拠がほとんどない。全くその反対に、通常、アメリカ女性の服装の方法からソマリア、イエメン、パキスタンにおける遠隔攻撃まで、ムスリムをその方向へ向ける特別なものである。
第三に、イスラーム議論は費用がかかるとしぶしぶ認める反面、それを無視することはもっと費用がかかる。敵を定義する必要は、軍議内部のみならず、一般大衆にとっても、他の考慮全てを切り札とする。古代中国の戦略家の孫武が観察したように、「敵を知り己自身を知れば、百戦して殆うからず」なのだ。カール・フォン・クラウゼヴィッツの全戦争理論は、敵の正確な判断を当然のことと考えている。ちょうど医者が、治療前に病気の本性を明確にして名付けなければならないように、政治家も一般人も、敵を打ち負かすために本性を明確にして名付けなければならないのだ。
自己検閲は、戦争遂行のために己の能力を制限することだ。敵の本性の言及回避は、混乱の種を蒔き、モラルを傷つけ、強さを浪費する。要するに、敗北のための処方箋を提供するのだ。歴史年代記は実に、敵のまさに名前と本性が発せられないかもしれない時、勝った戦争はないと記録している。これは、敵の定義が先行しなければならず、軍事勝利を補強しなければならない時、現代でもなお一層そうである。もし敵を名付けることができないならば、彼を打ち負かすことはできない。
第四に、警察組織などは、公的には一つのことを言う一方で、私的な仕事では別のことをしているものの、この不正直さは、野心ある政治家達の言葉とテロ対策という時折むさ苦しい現実との間の断絶を作り出すという高い代償となる。
- 危険にある政府職員:一方で、暴露される恐れから、公務員達は活動について隠したり嘘をついたりしなければならない。他方、効果的に業務をするために、念入りに公平な政府規約という法律などに逆らわなければならない。あるいは、法を破ることさえしなければならない。
- 混乱した一般大衆:政策声明はイスラームとテロリズムのいかなる関係をも、もっともらしく拒絶する。テロ対策が、まさにこのような関連を暗黙のうちに作っている時さえもである。
- イスラミストへの利便:彼らは、(1) 対イスラーム戦争とは本当に何なのか、政府の宣言がただ誇大宣言を隠していることを指摘する (2) 彼らが、真っ直ぐに語っているイスラミストか、不誠実な政治家達のどちらを信じているか尋ねることによって、ムスリムのリクルートに勝つ。
セキュリティ劇場の一例
- 立腹と偏見の増加:人々は口を閉ざし続けるが、精神は働いている。穏健なムスリムを支援する一方で、イスラミスト達を非難できるかもしれない公の一般議論は、その問題のよりよい理解へと導くだろう。
- 奨励されない警戒:「何かを見たなら、何かを言いなさい」というキャンペーンは素晴らしいが、無辜の人だったと判明することになる隣人あるいは乗客による不審な行為を通告するコストは何か?油断なく警戒する隣人達はテロ対策を導く重要な源泉であったものの、懸念を通告する誰もが、人種差別者あるいは「イスラーム恐怖症」だとして、中傷や自分の経歴損傷、あるいは訴訟へさえ、自らを開くことになる[46]。
それ故、大半のテロの背後にあるイスラミスト動機を認識したがらないことは、効果的なテロ対策を遮断し、もっとあり得ることには、さらなる暴虐をさせるのだ。
否認が終わる時
否認は、代価があまりにも険しくなるまで、恐らくは続くはずだ。結局はそうなっているのだが、9.11の三千人の犠牲者達は、西洋の自己満足を揺るがすには充分ではなかった。十中八九、三万人の死でも充分ではないだろう。多分、三十万人ならば充分だろう。三百万人は確かに充分だろう。その時点で、ムスリムの繊細な感情に関する懸念と「イスラーム恐怖症」と呼ばれることの不安は、命を守るための一途な決心に置き換えられ、無関係なものへと溶解するだろう。いつの日か、現存の秩序が明らかな危機であるならば、今日の緩慢なアプローチは即座に放り出されるだろう。そのような方法に対する一般の支持は存在する。早くも2004年に、コーネル大学の世論調査が示したことには、44パーセントのアメリカ人が「ムスリムのアメリカ人には市民の自由の幾ばくかの削減が必要だと信じている」[47]。
イスラエルは管理事例を提供している。あまりにも多くの脅威と直面しているので、治安となると、政体はリベラルな恭順と共にある忍耐を欠く。皆を公平に扱う抱負を持つ一方、政府は明らかに社会で最も暴力的傾向を持つ要素を対象としている。他の西側諸国が比較し得る脅威に直面しているとしたら、恐らく同じこのアプローチを採択するよう強制する状況だろう。
逆に、そのような大規模な危機が起こらないならば、多分この移行は決して発生しないだろう。大規模な災難が襲うまでは、襲わなければ、否認は続くだろう。西洋戦術は、換言すれば、イスラミストの敵という暴虐性と適性に全く依存している。皮肉にも西側は、テロリストにテロ対策への接近を駆り立てている。同様の皮肉として、巨大なテロリスト暴虐が効果的なテロ対策を可能にするのだろう。
否認を処理する
その間、イスラームの役割を認識することによってテロ対策を強化しようと望む人々には、三つの課題がある。
第一に、己と議論を知的に準備することだ。そうすれば、惨事が起こる時、ムスリムに不正義をすることなく焦点を当て、充分に詳述され、注意深く公平なプログラムを所有しているだろう。
第二に、イスラーム議論は価値があると言及することに反対する人々を説得し続けることだ。この手段は、中傷で乱打するのではなく、彼らの関心を語ることを意味する。彼らの躊躇の合法性を受容することを意味する。心地よい理由を使い、矢継ぎ早のイスラミスト攻撃を彼らの成果にさせることだ。
第三に、イスラーム主義に関して語ることは、次のことを証明する。イスラーム主義について話すことは、敵を名指さず、一要因としてのイスラーム主義を同定しないコスト設定によっては破滅へと導かないこと、サウジ政府を含むムスリム諸政府に気づくこと、イスラーム主義はテロへと導くことを認識すること、イスラーム主義に反対する穏健なムスリムが公にイスラーム主義を議論したがっていると強調すること、イスラームについての率直な語りがムスリムを遠ざけ暴力に拍車をかけるという恐れを語ること、そして、憲法上、承認される方法でプロファイリングがなされ得るよう論証することである。
要約すれば、政策変更に影響を与えるという期待さえなしに、なされるべき多くの仕事があるのだ。
中東フォーラム会長のパイプス氏 (www.DanielPipes.org)は、イスラエルのヘルツリヤにあるテロ対策研究所で、最初にこの論文内容を講演した。
[1] 2010年1月 ワシントンD.C. 国防総省『軍の防衛:フォートフッドの教訓』
[2] 2009年11月7日付『オーストラリア人』紙
[3] 2012年11月5日付 A P通信
[4] 『軍の防衛:フォートフッドの教訓』p. 18, ftnt. 22.
[5] 2012年12月19日閲覧 ウェブサイトTheReligionOfPeace.com 「イスラーム・テロ攻撃のリスト」
[6] 1990年11月9日付『ニューヨーク・タイムズ』紙
[7] 1997年9月19日付『インデペンデント(ロンドン)』紙
[8] 2001年夏号『季刊中東』誌掲載のウリエル・ヘイルマン「ブルックリン橋での殺人」 pp. 29-37.
[9] 1997年2月26日付『ヒューストン新聞』紙
[10] 2002年1月21日付『タイム』誌
[11] 2002年7月8日付『正直な報道(トロント)』 「ロサンジェルスでテロ?」
[12] 2002年10月26日付『ロサンジェルス・タイムズ』紙
[13] 2003年3月25日付『ニューヨーク・ポスト』紙掲載のダニエル・パイプス「101番目の機上装置で殺人」
[14] 2010年1月21日付『エルサレム・ポスト雑誌』掲載のブレット・クリン「フランスの二人の息子」
[15] 2004年3月30日付『ジハード・ウォッチ』「イタリア:マクドナルドのジハードは失敗」
[16] 2005年1月11日付『ワシントン・ポスト』紙
[17] 2006年7月30日付『ロサンジェルス・タイムズ』紙
[18] 2006年8月30日付『サンフランシスコ新聞』紙
[19] 2009年春号『季刊中東』誌掲載のフィリス・チェスラー「名誉殺人は単に家庭内暴力なのか?」 pp. 61-9.
[20] 2001年9月21日放送NBC『デイトライン』
[21] 2007年6月27日 ワシントン・イスラーム・センターでの所見
[22] 2004年8月6日 ワシントンD.C.の「2004年統合会議」での所見
[23] 2007年10月5日放送『アル・アラビーヤ・ニュース・チャンネル』(ドバイ)
[24] 2009年2月3日放送『アンダーソン・クーパー360°』
[25] 2010年5月13日 合衆国下院司法委員会での証言
[26] 2011年12月13日合衆国下院国土安全保障委員会での証言
[27] 2010年9月23日 ニューヨーク国連総会での所見
[28] 2010年9月22日 合衆国上院国土安全保障と政府事項に関する委員会「9.11の9年後:国土に対するテロリストの脅威と直面して」声明
[29] 2010年7月29日 アメリカ・エンタープライズ研究所でのニュート・ギングリッチ「アメリカは危機下にある」
[30] 同上
[31] 2006年8月1日 ロサンジェルス世界事情協議会での演説
[32] 2005年8月25日 ロンドンの外交政策センターでの演説
[33] 2011年2月5日 ミュンヘン安全保障会議
[34] 2007年夏号『季刊中東』誌掲載のアレクサンドル・ヴォンドラ「過激なイスラームが欧州に大挑戦を持ち出す」pp. 66-8.
[35] 2010年6月15日付『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙掲載のジョセフ・リーバーマン「対テロ戦争では誰が敵なのか?」
[36] 2006年7月20日付『電子版ナショナル・レビュー』掲載のワシントンD.C.のナショナル・プレス・クラブでの演説「今世代の大試問」
[37] 2008年6月12日『スカリア・Jが異議表明 ラフダル・ブミディーン等 申立人および合衆国最高裁判所対合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ等 ファウジハリード・アブドッラー・ファハド・アル・オダー等の近友ハレード・A・F・アル・オダー 申立人対合衆国等...』
[38] 2007年 ニューヨークp. 8.
[39] 2010年7月29日 アメリカ・エンタープライズ研究所でのニュート・ギングリッチ「アメリカは危機下にある」
[40] 2010年6月24日付『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙掲載のダニエル・ベンジャミン"Name It and Claim It, or Name It and Inflame It?"
[41] リーバマン「対テロ戦争で誰が敵なのか?」
[42] 2009年2月3日放送『アンダーソン・クーパー360°』
[43] ベンジャミン "Name It and Claim It, or Name It and Inflame It?"
[44] 2003年1月24日付『ニューヨーク・ポスト』紙掲載のダニエル・パイプス「内部の敵にプロファイルが必要」
[45] 2010年1月6日付『エルサレム・ポスト』紙掲載のダニエル・パイプス「セキュリティ劇場が今や空港で上映中」
[46] 2008年冬号『季刊中東』誌掲載のM.ズフディ・ジャッサー「空飛ぶイマームを暴露して」pp. 3-11.
[47] 2004年12月17日付『恐れの要因』