ダニエル・パイプス氏は最近になってやっと、自国内で幾らか有名人になってきた。彼は決して無名のまま骨折ったのではないものの、1990年代の間、彼の見解が世間一般の通念や一般の期待とは不調だったという事実は残っている。
政治家や分析家が、アラブ・イスラエルの和平プロセスの成功の極致と、相互依存に特徴づけられたグローバル空間における国際テロリズムの低下を予知した一方、パイプス氏はアメリカの深部への流血崩壊とテロリスト達の打撃を予告していた。この全てが予測した通りに見事に起こり、ハーヴァードで教育を受けた中東専門家は、突然、名声を博するようになった。今や彼は一般大衆向けの『ニューヨーク・ポスト』紙に週刊コラムを書いており、彼のウェブサイトは訪問者が急激に増加している。そして最近、新著『戦闘的イスラームがアメリカに到着』を完成した。
オーストラリアでは、独立研究センターのゲストとして、三度目(過去二回は1984年と1998年)の訪問中である。目覚ましい変貌と分水嶺に関して、パイプス氏は独特の保守的な警告を発している。
「アメリカ人が戦時下にあると認識することにおいて、重大な変化がありました」とパイプス氏は始める。「あの日以前、合衆国の応答は、これらが犯罪的な暴力行為だと考えることでした。もちろん犯罪的な暴力行為である一方、今では理解されていることですが、戦争というもっと大きな文脈に合致しているのです」。
9月11日は、知らされていない人にとっては新たな時代の夜明けを示しているかもしれないが、パイプス氏にとって、それは単に1979年のイラン革命に遡るイスラーム主義者の反米キャンペーンにおける、最新かつ最大の劇的行為である。だが、それを戦争と呼ぶよう誰も準備していなかったようだ。そしてここが、パイプス氏が強調する、その変化は限られているというものなのだ。
アメリカのイスラーム主義者という砦の内部の敵が浮上する感覚があるのかどうか問われて、パイプス氏は答える。「いいえ、概してそういう理解というものはありません。テロリストがいること、計画に関与しているか暴力を実践している人々がいるという気づきはあります。しかし、彼らがもっと大きな文脈に合致し、あるイデオロギー運動の一部で、合衆国にとってのこの過激なイデオロギーをもたらす試みの一部だという理解はありません。基本的にまだ、そこにはないのです」。
パイプス氏は、本物の変貌が起こる前に、もっと大きな恐怖が全部起こる可能性がまだ続くだろうと信じている。
「時が経つにつれて、戦争努力はますます本筋を離れると考えています」とパイプス氏は続ける。例えば、政府オフィスを再編成することで、国土安全保障省が真剣に当該問題を扱っているようには、私はほとんど思えません。我々が必要とするものは、政策変化です—移民政策の変化、警察の変化、例えば飛行機に対するセキュリティの変化、誰が敵かの理解や研究展開における変化です」。
幾らかの変化が起こっているが、大半は遅まきながら、躊躇しながらであると、パイプス氏は認めている。
「例えば、2001年5月にサウジアラビアで試行的あるいは実験的に始まった『エクスプレス査証』と呼ばれる悪名高いプログラムがあります。『エクスプレス査証』は、サウジ人と、サウジアラビアに暮らしている他国籍の人々もだと思いますが、合衆国へ来る査証が旅行代理店で身分証明書類を下ろして申請することを許可しました。旅行代理店が書類事務を扱い、査証を得て、サウジ人が合衆国に現れるものです。15人のサウジ人の自爆ハイジャッカーのうち3人は、このプログラムで合衆国へやって来たのです。
「それは明らかに間違いでしたが、特にサウジアラビアにとって間違いでした。国務省はそれを閉鎖しませんでした。その後、閉鎖するのにノラクラしました—事実、議会での宣誓証言において、私個人にとってはそうでした。領事問題担当長が辞職しましたが、まだ変更しませんでした。(先月)やっと変えました。10ヶ月後に、後を追い回した一人のレポーターがいたからだけなのです。(さもなければ)それは通常の業務でした。彼らにとって何も変わらなかったのです。」
早期理解の方法に関してもっと特別であるためにと問われて、パイプス氏は義務を負わせる。「潜在的訪問者と移民は背景チェックをされるべきだと私は考えます。彼らが誰なのか、どのように合衆国のことを政治的に考えているのか、彼らの目標が何なのかを見出すべきです。合衆国へ来たいと望む人々全てが、犯罪歴を持っていない限りは、悪意から出たのではない意図を持っているという、素晴らしくもナイーブな仮定で我々は働いてきたのです。それは変える必要があると私は考えます。変化が起こっているとは見えません」。
だが、時宜にかなった探偵業務でさえ、パイプス氏が見ているように、始まったばかりだ。その脅威の本質を巡る一般人の理解は、「対テロ戦争」のような政治的に正しい婉曲法によって妨げられてきており、合衆国政府と一般大衆が充分に対処できる前に、戦闘的イスラームが敵だという率直な認識が必要だ、と彼は語気を強める。しかし、これはまさに起こっているものではない。
「テロリズムは、戦術であって敵ではありません」と、多くのインタビューやフォーラムで扱ってきたテーマを繰り返しながら、パイプス氏は言う。「それは潜水艦や塹壕に戦争宣言しているようなものです。誰が敵なのかという充分な理解があったならば、誰が我々の同盟なのかの輪郭を描くことが可能だったでしょう。そしてそれは、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドだけではありません。同胞ムスリム達にとっての議論をし、イスラーム理解の別の方法があると彼らに指摘する中で、とても特別なこの役割を持っている穏健なムスリム達もです。ですが、これが'対テロ戦争'と示されている限り、穏健派ムスリムに向かう本当の見込みはないのです」。
パイプス氏は「殺人による教育」に似た遅い理解を、躊躇した動きと呼んでいる。
どれほど事態が陰鬱であろうとも、パイプス氏は最終的には悲観的ではない。「私の最大の念願は、人々が殺害された後ではなく、その前に適切な変化を起こすことができるよう、物事を推し進めることです」。
「動きがあると思います」と彼は自信を持たせる。「物事が動いている方法に総体的に満足しています。ただ、それをもっと早く行かせたいですね。えぇ、理解という点で、絶対に一年前よりも事はましです。この戦争に勝利するだろうと、私は自信があります。私の心配は、我々が充分に賢くなく、充分に素早くないので、あまりにも多くの不必要な死傷者があるだろうということです」。
パイプス氏の判断におけるアメリカで充分素早く起こっていない一つの展開は、非ムスリム社会に対して遂行されたイスラミストのテロが関与している幾つかの紛争を統合することだ。イスラエルの自爆テロ者に対する戦いがアメリカの戦いでもあると、ブッシュ政権がうすうす感じていることを示したのは、やっと最近になってからだ。
イスラエルの事例を引用しつつ、パイプス氏は応答する。「私はその混交にインドを加えます。えぇ、単一の全体としてこれを見ていない、戦闘的イスラームを敵として見ていないという事実の、もう一つの災難だと私は考えています。もしそうしたならば、パキスタンとパレスチナの集団が、合衆国を攻撃している集団との同盟に似ていると我々は見るでしょう。この戦争で我々が同盟を必要とすることは不幸です。そして、インドとイスラエルは我々にとって重要な他者の間にいます。界隈でこの問題の一部に参加することで『ありがとう』を言う代わりに、我々は彼らを閉じ込めようとしています。するべきことをするために、私なら彼らを解放させるでしょう」。
イスラエルとパレスチナの戦争において、パレスチナ人達は、テロや暴力を通してイスラエルから深刻な利得を引き出していると信じたし、信じることが正しかったのだ、とパイプス氏は過去に考えている。今やその振り子が揺れてきた。
「昨年11月に起こった転換があり、その時以来、イスラエル人が勝利していると私は考えます。彼らが決心したというシグナルを送っていると、私は思います。そうすることができますし、そうするでしょう。パレスチナ人は、後になってからよりも、むしろ早いうちに暴力を止めた方がいいのです。パレスチナ人の中で自爆テロ者を見つけることは、もっと大きな困難へと導くと私は考えます。それに何の善があるかという意味です。えぇ、何人かのイスラエル人を殺しますが、パレスチナ人に本当の難儀をもたらします。パレスチナ自治政府の当局とさらなる腐食が、目標のいずれにも近づいてはいないのです。パレスチナ人に対して、暴力は機能していないこと、暴力は逆効果で無駄だということを、イスラエル人にはっきりさせるよう、私は促しますが」。
しかしながらそれは、パレスチナの目標が変化したと示唆することと同一ではない。パイプス氏にとって、イスラエルとの継続的な合意にも関わらず、パレスチナ人達は常にそうであったものに留まっている。「何にでも署名するかもしれませんが、彼らは何を本当に欲しているのですか?常に同じです。彼らはイスラエルを破壊したがっています。現在失いつつある彼らの戦略が伝えるかもしれないものは、自爆テロやその他の型の暴力は効果がなく、再考するかもしれないということです。(でも)私は、彼らが野心を放棄することに近づいているとは思いません。それは数十年かかるだろうと思います。平和は、我々が使うべきではない言葉です。我々が希望できるかもしれない最善のことは、幾分かの静謐の型です。この修羅場の終わりに、これらの残虐行為はパレスチナ人が実行しました」。
今日、多くの政策専門家達は、ただあまりにも熱心過ぎるために、交渉された入植地用に新たな様相を考案できず、それ以前かそれ以降、あたかも何事も起こらなかったかのようにクリントン計画に回帰することができない。対照的にパイプス氏は、パレスチナの民主化と新鮮な指導層という最新の渇望から生じるかもしれない利益には、徹底的に懐疑的である。民主主義が社会で深く染み込むようになる前に、パレスチナ人がイスラエルを根絶する野心を放棄する必要があると、彼は信じている。ちょうど民主主義がドイツ社会で定着する前に、ドイツが欧州制覇の夢を放棄しなければならなかったように。
「パレスチナ政府の改善と経済強化は、より困難へと導くかもしれません。 イスラエルを破壊するという同じパレスチナの決心を持つことができたかもしれませんが、今はイスラエルと戦う上で、よりよい軍需工場、より強力な助力があります。鍵は—数十年かかるでしょう—、イスラエルを破壊するという彼らの目標が無駄だということ、そして彼らがイスラエルと折り合いをつけ、イスラエルを受け入れ、我が道を行く必要があることを、長期にわたってパレスチナ人に確信させることだと、私は考えます。
「ところで、パレスチナ人がイスラエルを本当に受け入れる時という点でのみ、礼節にかなった社会を築き始めることができます。経済が発展し、政治的自由と文化が栄える社会です。それが可能な領域内部の全てですが、イスラエルを破壊したいというこの悪魔にパレスチナ人がつきまとわれている限り、そうではありません。 その悪魔は、イスラエル人達を傷つける以上にさえ、彼らを傷つけるのです。始終攻撃されずに品格ある暮らしを持つために、パレスチナ人に対する勝利をイスラエル人が必要とするのと同程度に、パレスチナ人は、品格ある暮らしを築けるように、もっと敗北する必要さえあると、私は結論します」。
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関係書目―「殺人による教育」に関する私の著述
「殺人による教育」という表現が、私の議論を要約している。路上で流血が発生した時に、ようやく賢くなれる民主主義制の中で我々は暮らしているのだ。 その主題に関して、必要に応じて著述を追記する。
- 2002年9月『論評』(メルボルン)ダニエル・マンデル「殺人による教育」。インタビューの中で基本的な考えを提示している。
- 2004年11月16日付『ニューヨーク・サン』紙「(テオ・ファン・ゴッホと)オランダにおける『殺人による教育』」。殺人による教育のパラダイムをオランダに当てはめている。
- 2004年11月16日付ダニエル・パイプス公式ブログ「テオ・ファン・ゴッホとオランダにおける『殺人による教育』に関するさらなる展開」。ファン・ゴッホ殺人についての追加点。
- 2005年8月23日付『ニューヨーク・サン』紙「テロがどのように過激なイスラームを遮断するか」。テロ事件なしに合法なイスラーム主義がよりよく機能することを論じている。
- 2006年8月28日付「ムスリム多数派諸国で合法なイスラーム主義が上昇中」。あるムスリム多数派国における同現象を見ている。
- 2006年8月29日付『ニューヨーク・サン』紙「英国のテロに関するピギーバック」。殺人による教育が、結局は起こっていないかもしれないことを懸念している。