中東フォーラムの設立者兼会長であるダニエル・パイプス氏は、中東と政治イスラームの仕事で広く知られています。『ナショナル・レビュー』誌と『エ ルサレム・ポスト』紙の受賞コラムニストであるパイプス氏は、BBCやアル・ジャジーラや『ニューヨーク・タイムズ』紙や『ウォール・ストリート・ジャー ナル』紙や『ワシントン・ポスト』紙のような主流の報道組織で、中東について論評や論説文を書いていらっしゃいます。12冊の著書とイスラーム、シリア、 中東に関する多数の論説文をお持ちのパイプス氏は、先月のトルコ訪問後、『電子版ナショナル・レビュー』に「トルコを語る」と題する論説文を公表されまし た。(12月中旬に)私共は、トルコの印象や中東への期待について氏とお話しました。
・最後にトルコにいらっしゃったのはいつですか。
二週間前にトルコにいました。2007年にも訪問しました。最初にトルコを訪問したのは1972年でした。1973年夏には、イスタンブールのウスクダル地区で暮らしながら、トルコ語を学ぼうとしました。でも、あまりうまくいかなかったね。
・「トルコを語る」という最新の論説文を書く前に、トルコにどのぐらい滞在されましたか。政府の誰かとお会いになりましたか。
トルコには5日間滞在しました。お願いしたのは、公正発展党の党員と会うことでしたが、うまくいきませんでした。ですが、共和人民党とギュレン運動の代表とは会うことができました。
・トルコ訪問に関して、今と当時とでは、どのような相違をご覧になりますか。
過去40年間に二つの大きな変化が起こりました。第一は経済発展です。特にイスタンブールにおいてです。非常に多くの新しいビル、ビジネス、グロー バル・ブランドがあります。国際ビジネスからかなりかけ離れていた、40年前に私が見たトルコとは全く違います。第二はイスラームです。トルコの人々の宗 教性は、当時、かろうじて見える程度でした。それを見るならば、モスクや他の場所へ行く必要があったのですが、今ではどこにでもあります。
・スカーフをしている女性を意味されているのですか。
えぇ、ターバン(スカーフ)はこの現象を象徴しています。多くの観察者達は、トルコを異なった言語を持つ欧州の一国だとかつては考えていたものでし た。ムスリム史に関心のある者として、私は常にトルコをムスリムの中東国だと考えていました。アタチュルク革命は印象的でしたので、日本の明治維新と比較 する本を書き始めました。ただ領土の小さな一部が欧州にあるというだけで、トルコをヨーロッパと見なすことは奇妙だと私は思います。モロッコがジブラルタ ルを管理すると、モロッコを欧州の一国とするでしょうか?私はそう思いませんね。
・トルコは正確には中東に合致しますか。
はい、歴史的、文化的、宗教的、商業的、政治的に、トルコは中東の一部です。
・イスラームの可視化は否定的だとお考えですか。
人々が祈り、断食をし、メッカ巡礼を欲しているならば、私は何ら見解を持ちません。しかしながら、シャリーア法を施行する試みには意見を持っていま す。シャリーア法はひどい苦しみ、悲しみ、痛みを引き起こします。(ネジメッティン)エルバカンの過去と(レジェップ・タイイップ)エルドアンの今は、イ スラーム法へ動いていて、私はこれをひどい展開だと考えています。
・エルドアンはシャリーア法へ向かっていると本当にお考えですか。
トルコで私が話しかけたほとんど全ての人が私に言いました。「トルコは、手を切り落とし、ブルカやジハードをする国には決してなりませんよ。エルド アンやギュルやダウトオールやアルンチ、そしてギュレンは皆、80年から90年前のアタチュルクが施行した秩序を知っていて受容しています。その秩序内で もっと宗教的な環境を作り出そうとしているだけです」と。私が話しかけた中で、アレヴィ派だという人だけが、この見解に与しませんでした。彼によれば、エ ルドアンやギュルはイスラーム法を適用する抱負がある、と。「それは非常に長い時間がかかるでしょう」「でも、それが彼らの目的なのです」と、彼は言いま した。私はこの見解に同意します。
・トルコに暮らす者として、どのようにシャリーア法の施行をご覧になれるのか理解するのに、困難な時があります。公正発展党の目標について、なぜそれほど懐疑的なのでしょうか。
ギュルとエルドアンは、1990年代にエルバカンの美徳党の党員でした。軍によって権力から外されたので、彼の目的を達成するのに失敗したものの、 エルバカンには明らかにシャリーア法を適用する意図がありました。今の問いはこうです。ギュルとエルドアンは、彼よりもうまい巧妙な措置のために戦術を変 えただけなのか。それとも、彼らは本当に目的を放棄したのか。私は彼らが目標を変えたとは思いませんね。彼らの心が読めないので、ここでは臆測しているこ とを出しますが、ただ戦術を変えただけだと結論することは、もっと意味をなします。
私の見るところ、これらエルバカンの補佐役達は、彼の過ちから教訓を学び、今ではもっと知的に彼の諸政策を施行しています。エルドアンは、もっと有 能で洗練されたエルバカン版です。公正発展党が権力に留まるならば、イスラーム法の施行が始まるでしょう。その結果はタリバン支配下のアフガニスタンやイ ランのイスラーム共和国やサウジアラビアのようには見えないでしょうが、シャリーア法は社会秩序への方向性を与えるでしょう。
長期間、公正発展党が支配することを期待しています。部分的には、トルコでは野党があまりにも弱いからです。ギュルとエルドアンあるいはギュレンと公正発展党の間の分裂を望みつつ縮小されます。人民共和党や他の政党の知的基盤は弱いのです。
・最近の論考文の中にあるコメントを明確にしていただけますか。公正発展党は「反アタチュルク秩序というものよりも、ポスト・アタチュルク秩序を創り出す」野心を持つ、とお聞きになられたと。
公正発展党の指導者層は、アタチュルクによって打ち立てられた秩序を本当に受け入れいれていますか。私は疑念を抱いています。指導者達の心の深く で、アタチュルクが達成したものを段階的に消そうとしたがっていると思います。この意味で、エルドアンは反アタチュルクです。壁や引用や祝祭からアタチュ ルクを取り除くことは問題がないと付け加えさせてください。75年前に死んだ人がユビキタスであり続けることは奇妙に思えます。合衆国でジョージ・ワシン トンがどこでも見られることを歓迎はしませんね。
・トルコは中東のためにリーダーシップにおいて苦闘しています。トルコは中東で最大の権力になれるとお考えですか。
トルコは絶対に、中東のリーダーシップにとって、まさに今では最高の候補者です。人口、与党の展望、経済的強さ、知的能力を考慮すれば、トルコは中東を統率するのに最も近い国です。
・ギュレン運動の何が非常に論議を招くとお考えですか。
フィラデルフィアで近くに暮らしているものの、私はギュレンに会ったことがありません。その運動出身の多数の人々を知っています。大変に洗練され、 知的で印象的です。特に数百の学校です。私見では、その目的は、人々の暮らしの規則化のためイスラームを主要な要素にすることです。そして、このために非 常に注意深く賢明に働いています。
トルコのイスラーム主義は、例えばエジプトよりも遙かにもっと知的です。モハメド・モルシをご覧ください。二、三ヶ月で、彼は公正発展党が10年で 試みたこと以上をしようとしました。そして、その理由のために、彼は大きな危険のうちにいるのです。沈みゆく経済から路上での暴力的抵抗まで、エジプトは あまりにも多くの問題に直面しています。対照的に、ギュレンは学校を建て、メディア帝国を持ち、それはムスリム同胞団やホメイニーあるいはタリバンよりも 遙かにもっと印象的です。私にとっては、トルコにおけるイスラームを他の国々から分かつ最大の力強い特徴は、有能な指導者性です。
・アラブの春は高い抱負と共に始まりました。この時点で、アラブ人にとって春をもたらしたとお考えですか。
私は一度も「アラブの春」と呼んでいません。「アラブの反乱」という用語がずっとより正確です。担当する独裁者の変化をほとんど伴わず、アラブの中 東は1970年から2010年の間、驚くほど安定していました。これらの政権はイデオロギーや展望というものに欠けていました。ですから、シリアを除い て、彼らは米国政府と良好な関係を築いたのです。2010年12月のチュニジアでの事件に引き続いて、イスラーム主義者達が権力を増しました。あの地域の 人々にとって、これは事を悪化させていると私は信じています。独裁者は充分悪いのですが、イスラーム主義者はさらにもっと悪いのです。独裁者は数十名の 人々を殺害しますが、イスラーム主義者は何百あるいは何千人もの人々を殺すのです。
・なぜイスラーム主義者とアメリカ人を対照させているのですか。
イスラーム主義は第三の全体主義運動です。我々はファシストと共産主義者の脅威を打負かしました。今ではイスラーム主義者を敗北させなければなりません。
・サウジアラビアは米国の非常に密接なパートナーですが。
いえ、カナダが密接なパートナーです。サウジアラビアは、ただ戦術上のパートナーだけです。合衆国とサウジ政府は協働していますが、生活方式から長期間の野心まで何もかも異なっています。
・サウジアラビアを批判されていますか。
はい、サウジアラビアの政府はひどいです。ワシントンでサウジアラビアに与えられた特権の程度は不愉快です。
・イスラームについて、非常に否定的で融通のないお考えをお持ちですね。
いいえ、私はイスラームについて否定的ではありませんが、イスラーム主義については否定的です。イスラーム法を十全に施行する方法を求めている政 府、運動あるいは人々は、ほとんどどの国でもかなり小さな少数派です。彼らは多数派ではありませんし、えぇ、私は彼らについて否定的です。過激なイスラー ムは問題だが、穏健なイスラームは解決だ、が私のモットーです。
・中東でイスラームの穏健版を施行できるのはどの国々だと思いつかれますか。
イスラームの穏健版に従ったイラン、トルコ、チュニジアのような政府は行ってしまいました。この頃では、最も接近した例はアルジェリアです。公正発 展党やギュレン運動は穏健なように見せようとしていますが、そうではありません。なぜならば、両者ともシャリーア法を施行したがっているからです。
・ご自身が設立者である中東フォーラムの法律プロジェクトの指針声明では、「イスラームや過激派イスラームやテロやテロ資金を自由に議論する ために、西洋における権利を保護することを業務とする」と書かれています。ですが、イスラームは中東における唯一の宗教ではありません。では、なぜキリス ト教やユダヤ教に関する関心をお示しにならないのですか。
イスラーム主義は、ユダヤ教ないしはキリスト教におけるどんなものとも比較できるとは考えていません。先に申しましたように、イスラーム主義は共産 主義やファシズムに比較しうると、私は考えています。イスラーム主義は、ユダヤ民族主義あるいは原理主義のキリスト教よりも遙かに大きな脅威だと考えてい ます。ユダヤ人やユダヤ教、クリスチャンやキリスト教は、危機に直面せずに批判できます。しかしながら、イスラームを批判すると命を危険に曝すのです。