イランの狂気じみた指導者層が核兵器を持つか、その核施設を先制爆撃するかという、硬直した不味そうな選択の代案をアメリカ人達が見つけようとするにつれて、一人の分析家が説得力のある第三の道を提出している。興味深いことには、異なった敵に対する昔の政策に鼓舞されている―レーガン政権がソヴィエト連邦を扱ったやり方―だが、これは有益なプロトタイプを提供するモデルではありそうにない。
米国国務省の元地方裁判所の判事で法律顧問のアブラハム・D・ソファーは、今ではフーバー研究所の上級フェローであるが、『イランの相手をする:強さ・外交・イランの脅威』(フーバー研究所 2012年)で論じている。カーター政権の間にシャーが崩壊して以来、ワシントンは「イランの攻撃に対して、効果のない制裁とむなしい警告および非難で応答してきた」と。
1988年以来、米国政府は、特に国のイスラーム秩序を保護し、最も頻繁に海外を攻撃する、ペルシャ語で'Pasdaran'ないしは'Separ'、英語ではイランの革命防衛隊ないしは'IRGC'とさまざまに呼ばれているイランの軍事力に集中してきたのではない、と彼は記している。この凡そ12万5千人強の先鋭部隊は1980年に創設されたのだが、イランの政治経済生活において巨大な役割を有している。自前の陸軍と海軍と空軍の編成を所有しており、弾道ミサイル計画を制御している。また、国内の核計画を巡る管理を分担している。一般のイラン人に厳しいイスラーム的慣習を強制する民営部隊バスィージを運営している。その軍事力は、通常の軍隊よりもさらに重要である。約1万5千人の特殊部隊は侵入と暗殺を通してホメイニーの革命を海外で広めている。その修了生はイラン政府内で要職を占める。
フーバー研究所のアブラハム・D・ソファー |
革命防衛隊の攻撃は、総計1000人以上の米兵や他の軍隊の多くの隊員および非戦闘員の死の原因となった。米国政府はテロの国家スポンサーとしての革命防衛隊を非難し、大量破壊兵器の増殖因子だと指名した。
ソファーは対テヘランにしなやかな両面作戦アプローチを唱道している。「直接的に革命防衛隊の攻撃と対峙し、イランと交渉せよ」。
「対峙」とは、「原子力事業所に対する革命防衛隊の抑止攻撃の不足を抑えるために可能な全選択肢」をワシントンが利用することを意味する。彼が論じているのは、工場や武器貯蔵施設や防衛革命隊の関連施設(基地、港、トラック、飛行機、船)、輸出されそうな武器輸送、そして革命防衛隊の編成単位に対して、米軍が権利を有し、それらを対象とすべきだということだ。ソファーの目標は、革命防衛隊の暴力阻止だけではなく、核兵器計画を巡って「革命防衛隊の信用性と影響を傷つけ、イランに本気で交渉するよう確信させる手助けをする」ことである。
「交渉」とは、超然として罰しようとするよりも、むしろ突出した問題についてテヘランに語ることを意味する。ソファーは、元米国アフガニスタン特使ジェームス・ドビンスが次の見解を表明したと引用している。「冷戦に勝利し、ワルシャワ条約機構を放免し、欧州を再統合した諸政策を、イランに適用する時だ。緊張緩和と封じ込め、可能な限りのコミュニケーション、必要な時ならいつでも対峙である。我々はスターリンのロシアに語りかけた。毛沢東の中国に語りかけた。両者とも、もっと大きく相互に触れ合うことで、我々の制度ではなく、彼らの制度が変化した。無条件かつ包括的にイランに語りかける時である」。より広範には、もう一人の元アメリカ外交官のチェスター・A・クロッカーと共に、ソファーは外交を「原エネルギーと実体のある権力を意味ある政治結果へと転換するエンジン」と見なしている。
1996年にサウジアラビアで米軍隊員19名を殺害した革命防衛隊 関与のホバル・タワー兵舎爆破 |
対峙と交渉の協調は、「もしその他の全てが失敗するなら」利用可能な先制攻撃を棚上げする一方で、(例えば、テロに関して)一般に行為を改善し、恐らくは核計画を閉鎖するよう導くため、テヘランに大きな圧力をかけるだろうとソファーは期待している。
元国務長官のジョージ・P・シュルツは、『イランの相手をする』の序文で、ソファーの考えを「ずっと前に施行されるべきだった代案」と呼んでいる。事実、イランの指導者層のみが理解できる力の言語で革命防衛隊の残虐行為に応答し、そして、ことによると、もっと大きな敵意を避けるという追加利便を有するには、時既に遅しである。