11月10日から21日までの第二次ハマス・イスラエル戦争は、決めかねている大きな超党派層(CNN/ORCによればアメリカ人の19%、ラスムッセンによれば38%)へのアピールを各側とも伴いつつ、是非を巡る威力ある議論を促した。イスラエルは、存在する権利、いわんや軍隊を配備する権利を持たない犯罪国家なのか?それとも、イスラエルは無辜の市民を正当に保護する法の支配を持つ現代的な自由民主主義国家なのか?この議論を駆り立てるのは道義性である。
どんな敏感な人にとっても、イスラエル人が無茶苦茶な攻撃から自分自身を守ることを100%正当化するのは明らかである。2006年のヒスボラとの戦争を描いたある風刺画は、乳母車の正面のイスラエル兵士に向かって乳母車の背後から発射しているパレスチナ人テロリストを象徴的に示した。
両者の最も鮮明な相違 |
もっと大変な問いは、さらなるハマス・イスラエル戦争を防止する方法である。幾らか背景を挙げよう。もしイスラエル人が自ら100%正当防衛するなら、その政府もまた、この自業自得の危機を作り出した完全な責任を担うのだ。特に2005年には、二つの心得違いの一方的撤退をした。
・ガザから:2003年1月にアリエル・シャロンが首相として再選挙に勝った。部分的には、ガザから全てのイスラエル住民と兵士達を一方的に撤退することを要求したライバルを嘲ることによってである。その後、不可解にも2003年11月に、彼はこの同じ政策を採用し、2005年8月に実行に移した。当時、私はこれに綽名をつけた。「民主制によって今までになされた最悪の過ちの一つ」。
・フィラデルフィ回廊から:合衆国、特にコンドリーザ・ライス国務長官の圧力下で、2005年9月にシャロンは「合意した取り決め」と呼ばれる契約に署名した。ガザとエジプトの間の長さ14キロで幅100メートルの地域であるフィラデルフィ回廊からイスラエル軍が撤退したのだ。不運な「ラファ欧州連合国境管理援助ミッション」(EUBAM Rafah)がその場所を占めた。
2005年11月まで存在していたフィラデルフィ回廊 |
厄介なのは、エジプト当局がイスラエルとの1979年の平和条約(Ⅲ:2)で「交戦状態、敵意あるいは暴力の行為ないしは脅威」の防止を約束したのだが、実はトンネル経由でガザへ大量武器密輸を許可したことだった。イスラエルの元南方軍長だったドロン・アルモグが2004年初期に書いたものによれば、「密輸は戦略的な特質を持っている」が、それは「イスラエル本土に対する一層深い攻撃用の発射台にガザを転換するため」充分な量の武器と軍需品を含んでいるからであるという。
この諸政策は、ムバーラク政権による「危険な賭」で「イスラエルとエジプトの和平合意を危機に曝し地域全体の安定を脅かす」かもしれない「全くの戦略的危険」だと、アルモグは考えた。官界の反シオニスト見解とエジプトの世間一般の反シオニスト感情の捌け口を与える準備との混交で、エジプトの態度が緩んだことに帰したのだ。
イスラエルの治安機関の強い反対とは裏腹に、シャロンは傲慢にも「合意した取り決め」に署名した。もちろん、イスラエル保護というこの層の除去によって、今月テル・アヴィヴに到達したファジュル5ミサイルを最高潮として、ガザの軍需工場の「急激な増加」が予想通りに続いた。
ガザに武器が届くのを事実上イスラエル兵士達が防止することを許可するために、『最新防衛』のディヴィド・エシェルは2009年に、これがたとえ約5万人のガザ住民を移動させる必要があると意味していたとしても、イスラエル国防軍のフィラデルフィ回廊の取り戻しと「約1,000メートルの充分に再生不能な安全ライン」までの拡大を論じた。興味深いことに、パレスチナ自治政府のアフメド・クレイが2008年に同様の手段を密かに是認した。
2004年初頭には、イスラエルのドロン・アルモグ陸軍少将(予備役)が今日の諸問題を見越していた |
それに対して、イスラエル国防省の高位官僚だったマイケル・ヘルツォークは、イスラエルがフィラデルフィ回廊を取り戻すのは遅過ぎる、と私に語っている。ガザへの武器流入を止めるためのエジプトに対する国際的な圧力が、その解決である、と。同様に、ドーア・ゴールド元大使は、新たな兵器類を閉め出すために、米国とイスラエル合同の「手配」を後援している。
軍事であれ外交であれ、効果的なアメリカの役割というものについて、私は懐疑的である。イスラエル人だけが、武器運搬を閉鎖する動機を持っているのだ。フィラデルフィ回廊を奪い返して拡大し、それにより、さらなる侵略攻撃や人道的悲劇や政治危機を防止することによって、次のミサイル攻撃に応酬するようエルサレムを励ますだろうと、西側政府はハマスに合図すべきだ。
2013年1月1日追記:驚いたことには、『イスラエル防衛』というサイトの報告によると、ガザへ「エジプト軍が有意量の武器を運ぶために、少なくとも三例(リビア発の二例とスーダン経由イラン発の一例)を失敗させた」という。