以下のフォーラムは、2003年11月13日から16日まで、例年の「レストレーション・ウィークエンド」期に、大衆文化研究センターで開催された。出席者は、ジョージア州のジャック・キングストン議員、アメリカ青年基金のロン・ロビンソン会長、中東フォーラム所長のダニエル・パイプス、『フロントページ誌』のディヴィド・ホロヴィツ編集長である。元教育省のラニー・グリフィスがフォーラムを司会した。
ダニエル・パイプス:(ジャック・キングストンさん)ありがとうございます。皆様、おはようございます。ここにいてうれしく思います。そして、もう一度、大学に焦点を当ててくださったディヴィド・ホロヴィツさんに感謝申し上げます。大学をひっきりなしに訪問するだけでなく、多様な機関における仕事の重要な一側面として身を置いていらっしゃいます。左派に乗っ取られたことに関して、大学が米国における最悪の機関の一つだということは、私がラニー(グリフィス)さんに同意する点です。左翼達に獲得されてしまっている四つの機関をただ簡単に申しますと、それは、主流派教会、メディア、大学、そしてハリウッドです。
私がお話するのは、中東とイスラーム研究というキャンパス問題のニッチの話題です。例えば、人類学あるいはラテンアメリカ研究あるいは英文学よりも格別に悪いわけではありませんが、もっと顕著であり、政策形成で、より大きな役割を果たしています。専門家達が特殊な役割を担う国として対処しなければならない話題です。例えば'ジハード'とは何ですか?これは、ハリウッド、教会、メディアを求めて政府を頼れないものです。何がジハードかという理解を得るために、宗教、歴史、またはそのようなものの専門家を本当に注視しなければなりません。我々に対して何が宣言されたのか?この話題に関して、専門家達による実質的な異口同音の応答が、護教的で不明瞭であることは興味深いものです。
ジハードとは、非ムスリムに対してムスリムが管理する領域の拡大を意味します。人々を改宗することに関してではありません。権力を拡大することについてです。でも、学究人達が言っていることを見るならば、知っているべきである人々が、あるべきものを否認するのです。彼らは時々、そうではないのに、それは防衛戦争だ、と認めるでしょうが、大半は、道義的な自己改善だと言うでしょう。私の大好きな定義は次のようなものです。怒りを制御し、フェミニズムのために働き、アパルトヘイトをなくそうと戦うことだ、と。これは、専門家達が我々に語っていることです。そして、これは重要です。なぜならば、ジハードは今、外交政策における重要な要因だからです。
私の焦点は、実は大学教員についてです。なぜならば、私の理解では、その問題の根源は、中東やイスラームに関して働いている専門家達と共にあるからです。例えば、余技としてこれを捉えている生物学者ではなく、学生でもなく、行政者達でもありません。
この分野における五つの問題を見ています。他の分野にも当てはまることを期待するものです。
第一に、ちょうど今言及した護教論は、困難な問題に直面することに気が進みません。学究人によるオサマ・ビン・ラディンに関する充分な研究は全くありません。サッダーム・フセインのイラクに関する抑圧を理解していません。スーダンで、ジハードの結果として200万人が亡くなったことも決して深く研究されてきませんでした。ムスリムの反セム主義は、卓上にありません。その代わりに見出されるものは、好ましい光で、例えばパレスチナ解放機構やイランあるいはリビアを描きながら、護教家達が扱っていることです。
過ちは第二の問題です。分析が非常に不均衡なので、討論はなく、総意として見出すものもありません。左派の総意は、ご想像のように誤っています。例えば、戦闘的イスラームが中東や海外で民主化勢力として役立つだろうとか、パレスチナ自治政府が民主的になっていくだろうという主張です。
それから、極端主義があります。反米の事例を挙げる必要はほとんどありません。遍在です。
反対の見地への不寛容があります。再び、標準的な問題です。皆が同一の見地を持つことを申しているのではありません。もちろん相違はありますが、すべては大討論の一方なのです。
そして最後に、この議論にとって最もふさわしいのは、学生に対する権力乱用です。何度も何度も、学生達が教授の見解に異議を許されないことが見出されます。そして、これについては、奇妙な種の方法だと聞いております。なぜならば、一ヶ月に一度程度、私は学生達と接触しているからです。学生がレポートに私を引用すると、引用してもよい資料ではないと教授がレポートに書き返すと報告してきます。
物事はそれほど悪くなっているので、国家危機に際して、一般の必要に答えることにおいて、貧弱で不効率で不能であるともっぱら特徴付けられる状況にあるのです。これは、真に傲慢さによって占められた分野で、知的覇権の典型的な一例です。
解決のつもりで、同僚とあるものを作り出しました。以前お聞きになったように、「キャンパス・ウォッチ」と呼ばれるものです。中東研究の教員に焦点を当て、二つのことをします。よりよい仕事をするよう刺激することを期待して、教授達と論じ、教授達がしていることと意見を戦わせます。第二に、学生や父兄や卒業生や議員や教育省や州議会や議会にとって、それは一種の『消費者レポート』です。
一年前の2002年9月にウェブサイトで始めました。かなりささやかなウェブサイトです。単に、我々が気づき、興味深いと思った他者による論考を掲載したものです。そして、好奇心をそそられたことには、中東とイスラームの専門家達がひどく興奮した反応で、我々のささやかなウェブサイトに応答しました。我々に向けられた最小限の敵意はマッカーシーと呼ばれたことでした。もっと攻撃的なものをご想像になれるでしょう。
これを巡る興味深い結果は、我々に討論の場を与えたことでした。我々の小さなウェブサイトは、全国的な―事実、国際的な―話題になりました。例えば、ドイツの四つの新聞は、我々について全面記事を書きました。我々は物の数に入り、これが今度は、我々の言い分を聞いてもらえる手段を与え、資金をもたらしました。それでスタッフを増強し、一連の研究に従事してきました。その多くは、『フロントページ誌』に掲載されました。
調査の仕事さえ入りました。例えば2003年10月のみで三つの調査研究をしました。ミシガン大学では、ワッハーブ派のウェブサイトを支援した中東センターのウェブサイトを見つけました。ペンシルヴェニア大学では、過激な反ユダヤ主義者のウィリアム・W・ベーカーによる講話に行政部が資金を出したことを見つけました。ここからそれほど遠くはない、フロリダのジュピターにあるフロリダ大西洋大学では、合衆国政府がスポンサーのフルブライト・プログラムのムスタファ・アブ・スウェイという名の交換教授がハマスの活動家で、その大学を特に狼狽させなかったということを見つけました。
我々は、合衆国政府が中東研究(もっと一般的には地域研究プログラム)への資金援助を停止するよう提案しました。我々の前提は、納税者のお金がこのようなプロジェクトへ行くことは、明らかに国家防衛を支持するために企図されたことでした。我々が知るために、これらは重要な言語、重要な文化である、と。ですが、多くの中東センターは、明らかに政府に奉仕するという考えを拒否してきましたし、基本的に学生に言いました。「お金を受け取れ。そして、自分の目的のために使え」と。だから私達は考えているのです。なぜ、納税者のお金が、間違って使われることを欲する機関に費やされるのか?なぜ、このお金が軍事機関に与えられないのか?
そして最後に、我々はアメリカ合衆国下院3077号決議を支持しました。地域研究に合衆国の連邦資金が費やされることを監督するために諮問会議を要求するものです。Title VI.と呼ばれるものです。ちょうど今、政府がお金を手渡した後は、何がそれで起こっているかを見ていません。我々が言っているのは、何が起こっているかを誰かが見るべきだというものです。これもまた、激しい反応を引き起こしました。我々が時々大人の監督と呼ぶものが、大学にいる友人達を非常に当惑させ、そのように理解できるというのです。
ですから、大学の同僚達の注目を得て、健全な発展だと私は考えています。彼らは今や、学生達が我々の所へ話を持って向かってくるかもしれないと気づいています。そして、彼らが語ったかもしれない馬鹿げたことを見るために、学生新聞を我々が観察していることにも気づいています。彼らの研究も見ていますし、観察もしています。そして我々は、それを投稿するかもしれません。それをからかうかもしれませんし、一般の注目を生み出すかもしれません。それについて書くかもしれません。そのことでテレビ出演するかもしれません。
そして、識別できる効果があったと私は思います。3月と4月のイラク戦争に対するかなり控えめな学界の応答は、部分的には我々の仕事のためだったかもしれないと、自慢じゃありませんが、恐らくは考えております。ありがとうございました。