ムハンマド・ヒシャム・カバニ氏は、1997年に設立された宗教組織のアメリカ・イスラーム最高評議会の議長である。オフィスは、ワシントンとミシガンにある。学者でナクシュバンディ教団のスーフィーの長老だ。彼は、レバノンのベイルートで1945年に生まれた。ベイルート・アメリカン大学で化学の学士号を受け、ベルギーのルーヴァン大学で医学を研究し、ダマスカス大学でイスラーム法の学位を得た。1991年、伝統的なイスラームの教えとナクシュバンディのスーフィー教団を設立し、イスラーム・センターを開設し、人道援助組織を作り、宗教間対話に従事するために合衆国へ移住した。カバニ長老はカリフォルニアとミッドウェストに住んでいる。『季刊中東』は、ワシントンで1999年7月にインタビューをし、2000年3月に追跡議論を行なった。
アメリカとイスラーム
季刊中東(以下「MEQ」):アメリカ人に対するあなたのイスラーム・メッセージについて、その特徴は何ですか。
ムハンマド・ヒシャム・カバニ(以下「カバニ」):恐らく、最も特徴的な資質は、私が愛、平和、寛容を強調することと関係があります。他の人達は政治や行動主義を強調できますが、我々は歴史的に真のイスラーム版を表しています。預言者ムハンマドは常にあらゆる人々に、信仰に関わりなく、手を差し伸べていました。ですから、我々もそうしています。
MEQ:アメリカにおける他の信仰とムスリムの関係について、どのようなご見解ですか。
カバニ:我々すべては同じ目標を熱望しています。我々を満足させ、主を喜ばせる方法で神を礼拝することです。この方法で共通の原因を見つけ、調和に到達して働くやり方を見つけるために、あらゆる人々の信仰にとっての基盤を提供します。我々は、外側にたくさんの小さな穴を持つ大きな黒箱の内部で、皆が一緒にいるようなものです。外を見ると、光の小穴が輝いているのがわかります。各人が、光の源の一つを取り上げて言います。「それが、私が従うものだ」。でも、箱の外では、ただ一つの太陽が輝いているだけなのです。
MEQ:非ムスリムや非ムスリムの信仰を尊重されていますか?
カバニ:もちろんです。どうして閉ざされるべきなのですか?私達は合衆国で暮らしているのですよ。一般的に、他の信仰や文化について学ぶことに非常に開かれた国です。我々ムスリムは、他者が理解し賞賛するかもしれないような方法で、我々の信仰を分かち合うことによって返礼しなければなりません。他者に対して閉ざされた心や無神経にならずに。
MEQ:合衆国におけるイスラームの適切な役割は何だとお考えですか。
カバニ:我々ムスリムは今ではこの国の民です。ですから、政治制度の一部で、その中で働く必要があります。憲法の庇護と、全市民に賦与されている信教の自由の下で、他の人達が彼らの宗教を実践するように、我々も自分の宗教を実践します。
MEQ:1998年8月にお宅の組織が主催した会合で、次のように引用されました。「アメリカは、イスラームを広める主な理由である。合衆国が提供する自由なしに、イスラームはその方法を拡大することはできないだろう」1 。ご説明ください。
カバニ:多くの事例の一つを与えるために、合衆国は、宗教的迫害に関する委員会を作った世界で唯一の国です。一人のムスリムとして、その他の何にもまして、この中にある深いイスラームの根源がわかります。預言者は、都市で誰をも-ユダヤ人でも、クリスチャンでも、偶像崇拝者でも-誤った扱いをされることを決して望みませんでした。彼はいつでも皆に手を差し伸べました。ここ非ムスリムの国が、世界中で宗教的に迫害されているムスリムを支援するのを我々は見ています。例えば、アメリカはボスニア、コソボ、アルジェリアのムスリムを支援しています。それが示すのは、アメリカが人権、言論の自由、信教の自由、報道の自由をどのように尊重しているかです。これは他の国々では見られません。
MEQ:この国に存在する自由は、新たな、もしくは特別な方法で-モスクと国家の間の新たな関係へと導くかもしれない方法で、イスラームが発展することを可能にしますか?
カバニ:西欧のムスリムの経験となぞらえることができるものの、合衆国におけるムスリム経験は先例がありません。明白な宗教的自由と市民的寛容に基づいた、ここ非ムスリム国では、我々が少数派の宗教であることと関係しています。ムスリムの経験にとって、ここでの状況は新しいものです。これが、イスラームのアメリカ的経験を特に重要にするのです。
ムスリム諸国では、ほとんど誰もがムスリムですが、宗教間対話を誰とすることができますか?誰ともできません。そして事実、対話がないのです。
イスラ-ムを広めること
MEQ:合衆国内でイスラームを広めることに対する態度はいかがですか。
カバニ:豪州、欧州のある地域、アメリカ、イスラームが今まで達したことのない国々では、霊的な空洞があります。イスラームについて人々を教育する必要があります-ですが、彼らを改宗する必要は必ずしもありません。もし人々が改宗したいならば、それは彼ら次第です。改宗しないならば、誰も傷つけようとはしません。アッラーが預言者に仰せになったように、「お前はただのメッセンジャーなのだ。メッセージを与えよ」です。もし、彼らがそれを受け取れば、受け取るでしょう。もし受け取らないならば、それもまた素晴らしいのです。我々ムスリムは、イスラームの穏健について、よりよき人生へのイスラームの道について語るべきです。そして、後は人々自身に委ねるべきです。我々は、政治的風景であるイデオロギー的な議題を強制しない責任があります。
MEQ:この国が、今はイスラーム国家ではないし、多分イスラーム国家になることさえないだろうということを受容されていますか?
カバニ:アメリカは、教会と国家の分離の原則に基づいて建国されました。それ故に、私が推測するには、この国の憲法の徳によって、それは法的に可能ではありません。
MEQ:ここに存在する宗教的な「思想の自由市場」は、どのようにイスラームに影響しますか。
カバニ:アメリカの宗教環境は、自由にいかなる宗教も説教できるのですが、ムスリムにとっては新しいのです。この自由は、この国の市民組織にとって高度の敬意で始まるという、ある一定の責任を含意することを理解しなければなりません。
MEQ:この国の自由が問題であると心配されていますね?誰もがイスラームを取り上げて話し始めることができる、と。
カバニ:そうですね、それは何かとても違うことです。ムスリム諸国では、ダアワ(イスラームへの改宗)に従事するためにはアリム(教育のある宗教指導者)である必要があります-それは、数冊の本を読んだ後でちょっとできるものではありません。イスラーム科学の学者であるためには、少なくとも、医学か工学の課程のようなコースを追究することが要請されます。博士号に相当するものを得ます。研究からモスクへと進みます。その後、諸問題について話し始めます。ムスリム諸国では、モスクのイマームはその信認性を知っている宗教団体によって指名されます。
ムスリム諸国は自由を与えますが、ここで実践されているものと同等ではありません。アメリカは信教の自由という環境について新奇な経験を提供するのみならず、誰もが多かれ少なかれ何でもすることができるという状況をも提供するのです。ここでは、必須の背景なしに非営利組織を作ることもできるし、ムスリムの「指導者」にもなれるのです。アメリカの自由はそうする権利を与え、それはよろしいが、正しい方法でそれを使わなければなりません。
MEQ;ここで利用できる深い自由は、責任をも伴うということですか?
カバニ:まさしく。時々考えるのですが、我々ムスリムはその備えができていない、と。もし子どもにダイアモンドの指輪を与えるなら、理解しませんよね。もし飴玉を与えるなら、ダイアモンドの指輪と交換するでしょう。自由を与えられる時、知的に成熟し、教育がなければなりません。この自由を、政治的獲得やそのようなもののために乱用することはできません。
MEQ:政治と宗教を混同しないと?
カバニ:本質的に異なる文化や宗教信条を持つ人々で構成された国家では、宗教的な人は、宗教的価値を政治に織り込みますが、宗教はその外に保持します。イスラームは政治運動ではありません。
MEQ:お宅の雑誌は、最近、次のような声明を掲載しました。「アメリカ憲法は、権利章典と言論、報道、信教の自由の保障を含めてイスラームから取ったものである」2 。確かに、建国者達が憲法を書いた時、イスラーム的な霊感を持っていたとは意味していませんよね?
カバニ:いいえ。その記事の意味は、アメリカ憲法は概念的にイスラームと合致するということでした。建国者達は、預言者がイスラームについて説教したことを本能的に感じたのです。信教の自由、言論の自由、誰もが平和に暮らす自由という信念です。
MEQ:合衆国の本質は、イスラームと合致しますか? それはまた、イスラームにとっても好ましい風土をつくることを意味しますか?
カバニ:確かに。幾つかのイスラーム諸国では、ただ宗教義務に取り組むことが、困難に陥らせることにもなり得ます。例えば、ある国では、祈祷時間に絨毯を広げるならば、狂信者として逮捕される危険があるかもしれません。別の国では、モスクで祈祷を抜かしたら、極端な見解の人々によって困難に陥るかもしれません。宗教は、まさしく問題なのです。自由の環境がないからです。
MEQ:どうして合衆国ではスーフィズムが弱いのですか。
カバニ:思っていらっしゃるよりは強いですよ。ただ、査定はもっと難しいですがね。スーフィズムの成功を測定する一つの方法は、預言者の生誕日の祝祭に注目することによってですよ。特徴的なスーフィーの実践です。1990年に私が合衆国に到着した時、30か40以上のモスクが預言者の生誕日を祝いました。我々の仕事の結果として-講演、通信、出版、インターネットで、アメリカの多くのモスクが、今では預言者の生誕日を記念し、祝います。
この国で、自ら指名したイスラームの多くのスポークスマン達にとっての問題は、預言者によれば、正確には、スーフィズムがイスラームのまさに本質だということです。精神性が、イスラームに興味を持つ非ムスリムにアピールする唯一の魅力です。
MEQ:その方向性はよいものですか?
カバニ:えぇ、インシャ・アッラー、神がお望みならば。もしスーフィズムがうまくやれば、ムスリム達は否定的な報道をされることが止むでしょう-イスラームないしはムスリムについて何か悪いことを聞くことはなくなるでしょう。スーフィズムは愛のメッセージです。もし、ムスリムの指導者層がこのメッセージを受けたならば、世界中のムスリムは、彼らの中で、そして隣人達とも平和に暮らしたでしょう。
アメリカ化したイスラーム?
MEQ:アメリカにおけるイスラーム実践でどんな展開が起こっているとお考えですか。
カバニ:特にアメリカのムスリム文化と見地の明確な表現です。それは時間がかかります- 恐らく二世代か三世代はかかるでしょう。特にアメリカのムスリムは移民メンタリティを超えて移動するでしょう。同時に、改宗者達は数において増え続けます。レバノンやパキスタンやエジプトの方法よりもむしろ、アメリカのやり方で世界を見る指導性が発展する時、文化的にアメリカ化されたイスラームを持つでしょう。これは、どの国にも異なったイスラームがあるという意味ではありません-ただ、その文化は、どのように宗教が実践され、見られるかに影響を与えます。この過程は既に進行中です。もしあなたが、うちの息子にレバノン人でしょうと言ったら、答えますよ。「いえ、僕はアメリカ人です」と。
MEQ:それについては、どのように感じていらっしゃいますか。
カバニ:私はうれしいです。預言者はおっしゃいました。「国への愛は信仰から来る」と。これは私の息子の国です。ここで育ったのですから。息子と仲間達はこの国を故郷だと思っています。もし何かがまずく行けば、彼らは故郷に固着しなければなりません。新たな世代は、移民の子もイスラーム改宗者も、周囲の政体にムスリムのアプローチを変えるでしょう。
MEQ:合衆国は宗教変化の歴史を有しています。例えば、カトリシズムやユダヤ教は、この国に辿り着いて変化しました。イスラームはアメリカ化するとお考えですか?アメリカのイスラームというものがあるでしょうか?
カバニ:イスラームは完全な宗教で、アメリカ文化に合わせるために「変化する」必要はありません。進展可能です。拡大します。前に言及したように、文化が実践に影響するという意味で、既に「アメリカ的な」イスラームがあります。
MEQ:もっと特化させてください。現代期におけるムスリムにとっての最大の挑戦の一つは、イスラーム法つまりシャリーア法を適用する呼びかけです。アメリカで何が起こると期待されていますか。シャリーア法によって生きることなしに、ムスリムの暮らしを十全に生きることが可能なのでしょうか。
カバニ:イスラームの義務と条件は変化しませんが、義務と条件の施行法は変化するかもしれません。アメリカのイスラームで活発な討論が既にあります。あるものは、アメリカのユダヤ教あるいはアメリカのカトリシズムの展開となぞらえることができるでしょう。もし仕事に支障を来すならば、金曜日の集団礼拝義務であるジュマを廃止することはよろしいと主張する人々もいます。あるいは、あるムスリムは、仕事の後で夕方に祈祷を延ばしてもよいと。しかしながら、このようなファトワ(法的規則)はイスラーム規範と矛盾します。
例えば、あるアメリカのムスリム組織は、一人の秘書を解雇しました-三人の子を育てているシングル・マザーです-その理由は、実はイスラームの義務であるスカーフをしていたことです。南カリフォルニアのイスラーム・センターが女性達に言っているのを、私は聞きました。「頭をスカーフで覆ってはいけない。それは必要ではない。スカーフは預言者の妻達だけのものだ」と。これは、環境への別の適応です。
イスラーム改宗するアメリカ人
MEQ:お宅の組織では、アメリカの改宗者達はどのぐらい重要なのでしょう。
カバニ:とても大変に重要です。事実、私共の組織は主に改宗者達で構成されていると言ってもいいぐらいです。私が会い、奉仕しようとしているのは、主に改宗者達です。彼らは移民達よりも、合衆国にずっと多く焦点を当てています。移民達は共に、もし何か好まないことがあれば、家を売って自分の国へ飛んで戻れます。彼らは、アメリカに対して改宗者と同じ感情を持っていません。アメリカ人改宗者達は、イスラームの発展に重要な役割を果たすでしょう。なぜなら、移民メンタリティを克服する必要がないからです。
逆に、改宗者達は国際問題にほとんど関心を持ちませんし、これらの話題に通ずる必要性もありません。彼らは私の所へ来て尋ねます。「アフガニスタンはどこですか?」このような場所について何も知らないし、尋ねるのです。「これらの場所における問題と私達に何の関係があるのですか。ここは私達の国なのです」と。改宗者達は、ムスリムであることを誇りにしたいのですが、外部からの諸問題を受け継ぎたくはないのです。中東その他の地域の諸問題と関連されたくないのです。彼らは、中立で穏健に統合されていたいのです。私は彼らを責めることはできません。
MEQ:改宗者達は特別な問題に直面しているはずですが。
カバニ:全くその通りです。恐らく最も劇的なものは、家族の中で唯一のムスリムかもしれないことです。
MEQ:イスラーム文化とアメリカ文化は共に強力な勢力ですが、全く違ったものでもあります。アメリカのムスリムは和解できますか?
カバニ:はい、それは今の世代か次の世代に達成するでしょう。ここで生まれ育つムスリムが尋ねるでしょう。どうして私は議員になれないのか?または、政治制度をうまく設立できないのか? 今、キャピトル・ヒルでこの始まりを見ているところです。多くのムスリムのスタッフが、議員にリクルートされています。
聖クルアーンでアッラーは仰せになられました。「神に従え、預言者に従え、指導者達に従え」3 -それらの人々は権威にあるという意味です。これに違った意味を与えようとする学者達もいます-ムスリム権威者である人々に従え、と。でも、その節は「ムスリム指導者達」とは言っていません。一般的に「指導者達」のことを語っているのです。それで、もしアメリカにいるならば、私はアメリカの法律を遵守しなければなりません。なぜ、従うべきではないのか。一人の移民として、私はまだ制度と共に働くべきですし、その制度の一部であるべきです。アメリカで育つ少年は、この国の生活に参加したいでしょう-少なくとも、もし移民の両親に洗脳されていないならば。一世代以上かかるかもしれません。移民の指導者層が、第一世代と接触して、その影響を伝えます。しばらくは力をまだ持っているかもしれませんが、事実上、完全に去ってしまうでしょう。
そして、記すべきですが、ここの状況は欧州のようではありません。大半のアメリカ生まれのムスリムは充分教育を受け、社会政治的分野で極めて活発です。向こうでは、あまり普通ではありません。
「極端なイデオロギー」
MEQ:昨年、米国国務省が支援したあるフォーラムで語られました。もしアメリカ人達が「染み込んでいる極端なイデオロギーの種を速やかに止め」なければ「脅威は増大するだろう」4 。その脅威とは何ですか。
カバニ:これは微妙な点ですから、二、三の導入的なコメントだけをすることでご勘弁ください。まず、我々が覚えておくべきは、極端主義の問題はムスリム共同体だけに限定されないことです。極端な人達は、多様な伝統からやって来ます。そして、多様な問題に焦点を当てます-連邦政府の増大についての偏執狂、中絶の強迫観念など、二つのよく知られた問題が、ある種の極端主義へと個人を導きました。私が話しているのは、そういうことです。時々は暴力を伴う結果です。
第二に、イデオロギー的な意味で、「極端な人」(extremist)という語を使いました。指導者層の多くが暴力行為に従事しているとか、テロリストとして描写されうるということを含意する意図はありませんでした。私の母語であるアラビア語では、極端主義とテロリズムは大変異なった意味を持ち、互換的に用いることはできないのです。
MEQ:極端主義をどのように定義されますか。
カバニ:極端主義とは、自分自身以外の観点を受け入れたがらないことです。それは非イスラーム的です。アラビア語で'ghulu'とは、中心から逸れる知見を意味します。預言者ムハンマドは特に述べられました。「汝の宗教において極端に行ってはならぬ」。極端な考えはそれ自身では暴力的ではありませんが、時々は暴力行為へと導きます。それが、アメリカ中のイスラーム・センターで現在表現されている知見を描写するために私が「極端主義」という語を使った文脈です。
個人が自分の所見をあまりにも極端に追求するので、自分の考えのみが正しくて、それ故に他の皆にも強制しなければならないと考える時、イデオロギー的な極端主義は暴力行為という結果になり得ます。
MEQ:この極端主義にとって、特にイスラーム的な資質というものはありますか?
カバニ:いいえ、そのような極端主義は、あらゆる宗教やイデオロギーに見出されます。事実、イスラームにおいては「宗教には強制がない」と特に述べられています。
もちろん、ムスリムの多数派は極端主義者ではありません。アメリカの他のグループのように、全体としてムスリムは平和的な人々です。単に、自分達の暮らしを追い求め、誰にとっても脅威を構成してはいません。でも、イスラーム教義は、他者を傷つけることを正当化するイデオローグによって悪用されることもできます。目標を追求するために暴力を喜んで使う人々によって体現された脅威は-爆弾を投げたり、無辜の人々を殺したりすることによって人々をテロ化することです-ムスリムであろうと非ムスリムであろうと同様に、平和を愛好する全ての人々にとって危険です。このような行為は、私は付け加えるべきですが、イスラームにおいて表現的に禁止されています。
MEQ:この脅威から身を守るために、アメリカ人は何をすべきでしょうか。
カバニ:アメリカのムスリム共同体については、極端主義を拒否することと、いかなる暴力行為をも非難することが責任です。穏健な路線を守らなければなりません。預言者はおっしゃいました。「私達は穏健な民である」と。
ムスリム組織
MEQ:お宅の組織とムスリムを体現していると主張する他のアメリカの組織の間にある、顕著な違いは特に何ですか。
カバニ:ムスリム多数派を代表していると主張する合衆国内の他の組織と、私の仕事の間には多くの相違があります。他人のことを代弁できませんが、海外の自警集団という政治目的のために主に働かなければならないと信じている人々もいます。米国政府の官僚や一般社会でこれらの集団の議題を促進するために、彼らは人々や人材を動員しています。鋭い対照として、我々は主に、非ムスリムに信仰の真の本質について教育し、アメリカのムスリムに宗教的な指針を提供するために、伝統的なイスラームの教えを普及することに焦点を当てています。
MEQ:ここのムスリム指導者層のこれほど高い比率が極端な傾向にあると、なぜ示唆されるのですか。中東あるいはイスラーム改宗するアメリカ人達と何か関係があるのですか。
カバニ:それはよい質問ですが、答えはわかりません。戻って行って、アメリカ移民のパターンを研究する必要があります。徐々に中東出身のムスリム指導者層が立ち上がっていることを理解するために。それは、事実上、合衆国へ問題をもたらしました。合衆国に到着してすぐ、初めて出席した金曜礼拝の一つはニュージャージーのモスクでしたが、説教者が宗教的な説教をしているのか、政治的な長広舌をしているのか、私にはわかりませんでした。今日多くの人々が、まさにその問題について苦情を言っているのを聞きます。特に改宗達からです。彼らは海外の政治とは何も関係したくないのです。
MEQ:非民主的な、とりわけ宗教から政治を分けない制度を持つ国々から来た説教者達は、アメリカの習俗に適合しないと示唆されていますが。
カバニ:世界中からこの国へ移住した何百万人もの平和的なムスリムは、この社会のやり方や習俗に適合してきました。そして、我々の多文化社会という構造に積極的に貢献しています。その後、アメリカで誰がモスクを建てたか見てください。誰が最初に来ましたか。1950年代末と1960年代初期には、海外から大勢のムスリムが政府の奨学金でやって来ました。インド、パキスタン、アラブ諸国の何ヶ国かです。彼らは主に知識人です。多くは滞在する決心をし、アメリカを自宅にしました。
インド・パキスタン系共同体は、最初は合衆国におけるムスリム多数派を構成していました。彼らは問題がありましたが、中東の諸問題ではありませんでした。彼らは善意でやって来たのです。彼らはここへ来て、祈る場所を望みました。お金を集めて、共同体内でモスクを建てました。ある中東の集団がこれらのモスクをゆっくりとつかんで、彼らの母国の諸問題に根付いている政治的なイデオロギー的な議題を促進しています。そこでは、イスラームが政治と絡み合っていたのです。このような集団は、多くのモスクを、直接的に、または見えない圧力によって、徐々に乗っ取っていきました。穏健な理事メンバーだったのが、今では敵対的なメンタリティが彼らを管理しています。極端な人々-普通の信者ではありません-が、アメリカのモスク利用を、礼拝よりもむしろ不寛容な政治的教義のセンターへと変えました。
MEQ:もちろん、アメリカの礼拝所は、伝統的に市民的あるいは政治的なアジテーションのセンターとして奉仕してきましたが。
カバニ:えぇ、ですが一般的に言って、アメリカの教会は、共同体に市民的あるいは政治的な事項をもたらす一つの方法として機能してきました。例えば、教会指導者達は、アメリカが法に沿い、理想に沿って生きるよう要求します。モスクも同様に、この役割を果たすことができ、果たすべきです。でも、我々が見ているものは何か全く異なったものなのです-反米的観点を説教するために幾つかのモスクを利用しています。それは、この国における成功と繁栄にとって逆効果です。
MEQ:指導者層が政治制度の中で働いているとしても、アメリカの主流と統合することに関心がないということですか?
カバニ:ここで身を立てるためにやって来た指導者達もいます。そして、もっと極端な人々は、ある厳格なイデオロギーに従うかもしれません。自分達自身の利益のために、自分達の種の指導性の下で耳を傾ける人々を動員するために、自分達の管理下でモスクを使うかもしれないという可能性はあります。それが今続いていることなのです。その結果は、継続的な脅かしに直面して、穏健な多数派が沈黙するようになることです。それ故に、権力で反対することができません。
極端な諸活動
MEQ:「(合衆国にある)大きな国内の(ムスリム)組織はある一定の議題を持っている」5とおっしゃる時、何を心に抱いていらっしゃるのですか。
カバニ:誰かを知りたい時、彼が何を言っているかを聞きなさい。これらの組織の場合、単一の計画を明瞭にしているそうです。例えば、ヤーセル・アラファト率いるパレスチナ自治区の合法性を支持するよりもむしろ、または、ハマスがアラファトと問題を解決するために呼びかけ、和平談話を通して一つの意見に統合するようになるよりも、ただハマスの意見のみを合法化するのです。
MEQ:それは中東でのことでしょう。この国で極端な人の議題は何を含意していますか。
カバニ:人の心に本当に何が宿っているのかは、アッラーのみ、神のみぞ知ることです。でも、もし私におたずねならば、認知を求めるでしょう。
MEQ:どんな目的のためですか。
カバニ:イスラームのイデオローグとしてどこでも同じ理由のために-イデオロギーを、政府も含めて誰にでも強制することです。もしかしたら、彼らの一人が米国大統領であることを欲しているかもしれません。そして、合衆国をイスラーム国家に転換するのです。
MEQ:それは馬鹿げていますよね?
カバニ:もちろん、全く非現実的な意味です。でも、これらの人々が用いる知的政治的枠組みの内部では馬鹿げていません。彼らの何人かは、大きなエネルギーと野心を持つ国際運動の一部です。実践的な事柄として、彼らはイスラーム法であるシャリーア法の狭い解釈を最終的な目標として強制しようと思っています。多数派がシャリーア法を求める国では、それが適切である一方で、シャリーア法は多数派によって強制されるべきものではありません。
MEQ:それで、彼らはシャリーア法の適用を強制するのでしょうか?
カバニ:この提案が正しいと想定しているとしても、業務計画レベルで他者の代弁をすることはできませんし、あるいは、彼らが目標の追求においてどこまで行きたがっているかもしれないかを言うことはできません。でも、概念的に語るならば、はい、彼らは信じています。ムスリムがいる所ではどこでも、シャリーア法を強制するための手段を取らなければならない、と。そして、もちろん合衆国にはムスリムがいます。でも、ムスリムの多数派は、このイデオロギーに属していません。
MEQ:存在するようなアメリカの公共生活に、彼らは参加したがってはいないのですか?
カバニ:いえ、何人かの極端なイデオローグ達は言っています。この政治制度と関係する何かを議論するか、政治制度と共に働く前に、結婚や遺産などのために強制されたシャリーア法を見なければならない、と。換言すれば、彼らは要求しているのです。彼らが参加する前に、アメリカによって受容されなければならない日常生活と全民法が関与しているかどうかを。
MEQ:彼らの中で国内のイスラーム組織が調和して機能しているのですか?
カバニ:えぇ、そうです。それは、私が個人的に知っていることに関してです。
MEQ:彼らのうち7人6が結集して、1999年初期にあなたに反対する書簡に署名したことを意味されているのですね?
カバニ:そうです。でも、私に対する合同の努力は、もっと早くに始まりました。8年前、私がこの国で講演を始めてまもなく、彼らは決定しました。「この人に反対しよう」と。私に対する攻撃が始まった時、私はすぐに悟りました。最初は個人的な組織による攻撃のように思われるものが、実は協同していたのだ、と。青年協会やその他の国内協会は、非常に似た方法で私を攻撃しました。私に対するメディア・キャンペーンでこれがわかったのです。そしてまた、年中、主要な会合を支援した時、彼らは私を妨害したのです。建物に入ることさえね。
これらの集団による申し合わせた行動は、その役員会は誰なのか、誰がオフィサーなのか、我々にリサーチを促しました。わかったことは、彼らが事実上、単一の機構のようだったことです。幾つかの示威行動を持つ、ちょうど一つの組織のように見えるのです。
MEQ:国務省でのスピーチで、何に基づいて、合衆国内の「ムスリム人口の80パーセントまで極端主義が広まってきている」とおっしゃったのですか。
カバニ:指導者層のために、その人口の大きな比率が極端な知見に曝されてきているという基盤です。これは、曝されてきたムスリム人口の多数派が、これらの知見を受容しているということを意味していません-事実、彼らのほとんどは、信仰とはあまりにも逆なので、それを拒絶するのです。私が思うに、多くのムスリム指導者達は、この種の非妥協的な強硬派のメンタリティを有しています-「我々に従いなさい。さもなければ、我々と一緒ではない。従わなければ、共同体から拒絶されますよ」と。これは、主流のイスラーム精神や実践とは全く対照的です。私が知らせようと試みている伝統的な教えに、彼らが敵対する一つの理由です。その一方で、ムスリム共同体そのものの多数派は平和的で愛すべきで、衝突なしに通常の暮らしを送ることを欲しています。
不幸にも、過激な知見に向かい、極端主義に惹きつけられる傾向のあるのは、しばしば若い大人達です。幾つかの強硬派の極端な集団は、「ムスリム問題の面倒を見る」という前提で、礼拝者達の間からこのような人々を探し出し、極端な考えに彼らを洗脳するために、私的な秘密会合に招くのです。彼らは、4つか5つの小さなセルを組織します。これらのセルにリクルートされた人々は、お互いを知りませんが、リーダー達はお互いに知っているのです。これらのセルは極端な思考のネットワークになっていき、アメリカで大問題になり得ます。国中を旅行しているので、私がわかるのは、祈祷の場所-モスク-が、ますます政治の場、極端な政治の場に転換されていることです
MEQ:合衆国内の「多くの」イスラーム組織がお金を集めて「合衆国外の極端な人々」へ送っていると述べられました。もっと特化してください。その組織のことをおっしゃっているのですか?この主張を支持するどんな証拠をお持ちですか?
カバニ:合衆国や欧州のムスリム組織に送金された多数の人道援助が、中東へ行ってしまっています。この援助の大半は、ブラック・マーケットで売られ、それらの国々に基盤のある個人ないしは自警集団を益します。調査することは政府の義務ですから、そのようにしてきたのは、ここアメリカでどの組織なのかを特定して申し上げることはできません。でも中東で受け取ったものは知っています。
MEQ:それ故に「数億ドル以上」が遙かにこの方法で頒布されてきたとおっしゃっています。その額の90パーセントが、人道的な目的よりも、むしろ武器のために行ってしまっている、と。このことを、どうやってご存じなのですか。
カバニ:中東で見たことを、私は知っているのです。我々は、合衆国のムスリム組織によって送られたたくさんの人道援助をもらっていたものでしたが、他の目的に使われていたのです。
MEQ:そのお金は何のために使われていますか。
カバニ:個人や自警集団を益しています。
MEQ:ここの寄付者達は、彼らのお金が何の目的で使われているか知っていますか。
カバニ:知っている人もいるかもしれませんが、大半は知りません。ムスリムの義務をしているのだと確信させておくのです。そして、指導者層がしていることを知っていると自ら言うのです。移民達は、特に物質的な状況が実質的によくなると、合衆国で通常するように、故郷の貧しい民を助けたいだけだと主張する活動家達にとって、容易にマークされる傾向にあります。
MEQ:指導者層は率直ではないのですか?
カバニ:それは噂です。指導者層がしていることと、平均的なアメリカのムスリムが知っていることの間には、ギャップがあります。
MEQ:ムスリム組織の極端なイデオローグは、彼らの会員の代表ではないのですか?
カバニ:全然。彼らは秘密裏に事をなします-いや、彼らの執行部でさえ-知りません。例えば、彼らが私を非難した時、中心人物の一人から私が発見したのですが、協議会(Majlis ash-Shura) に位置している男が、1999年2月にオハイオのヒルトン・ホテルで、非難を発布するために会合を要求したのです。でも、私にはどこにでも支援者がいて、彼らの行動を暴くであろう人々がいることを見つけた時、彼らは後さずりしました。その決定にも関わらず、何人かの個人はまだ一緒になって、私に対する声明を発したのです。推測されるには、彼らのそれぞれの組織を代表してでしょうが。
MEQ:1999年初頭に、あなたに対して署名された「組織の多く」について、お持ちの「非常に妥協している情報」7のことを、教えてください。
カバニ:まだ明らかにしていない、たくさんの情報があります。彼らは我々を傷つけることを躊躇していないものの、我々はそれが適切だろうとは感じていません。
MEQ:あなたを攻撃した「一つ一つの組織を暴く手段を持っている」8とおっしゃる時、何を意味されているのですか。
カバニ:まだ公にされていない多くの高度に詳細な情報を持っています。
内部のコミュナルな論争
MEQ:昨年の国務省でのフォーラムの後、合衆国内の百を超えるイスラーム組織が、「誤った情報」がムスリム達の「安全と幸福を危険に曝す」かもしれないと主張しながら、あなたのコメントを非難するために結集しました。どのように応答されますか。
カバニ:まず初めに、実質的に、それらの百の組織のどこも、実はボイコットに署名しませんでした。イリノイにある一つの傘下組織は、誰とも協議せずに、メンバー全員に署名するよう買って出ました。これらの組織の大多数を我々が呼んだ時、ボイコットと関連付けられていることを憤慨し、非イスラーム的行為だと思いました。実は、それらの組織の幾つかは、それをあまりまことしやかにさえしない、我々の最大の支持者です。さらに、私は「誤った情報」を出しませんでした。私が顕著だと思うことは、これらの人々が、アラビア語の資料も情報も読まないのに、どのようにアラブ系アメリカ人の指導者だと主張できるのかということです。
MEQ:この国のムスリム共同体の「安全と幸福」をあなたが危険に曝すことについては、いかがですか。
カバニ:どのように私が、ムスリム共同体の安全を危険に曝すことができたかだって?もし誰かがムスリム共同体を危険に置くならば、それは、何人かのいわゆるイスラーム的なアラブ系アメリカ人の指導者達の行為です。彼らの破壊的な叫び、彼らの争い、彼らの政府官僚に対する叫び、あらゆる種の戦闘的な暴力行為に対する彼らの支持、自由の闘士について語ること、ここかしこに送金すること-ムスリム共同体を危険に曝すのは、そういう事柄なのです。私は、このような行為と関連することから、ムスリムの多数派を守ろうとしています。
私の批判者達は、彼らが飛び跳ねて叫び、自警団運動や知見を支持する時、ムスリム共同体を危険に曝しています。それは典型的な中東人の行動です-中東だけではありませんが。その代わりに、彼らは敬意を持って座り、建設的な方法で語り、対話に関与しなければなりません。もし彼らがこれらの習慣をやり通すならば、我々の共同体は、全ての信認を失う危険をおかします。
MEQ:あなたが情報を提供したと彼らは信じているようですが...。
カバニ:誰かを危険に置く可能性のあるような情報は何も持っていません。信じてくださいよ、 テロ防止対策の専門家達は私を必要としていませんでした。私のようなイスラーム教師が大っぴらに言うことよりも、米国安全部門はもっといい情報源を持っています。国際テロと闘うために、クリントン政権によって約100億ドルが配分されています。悲しいことですが、そこには、過激なイスラーム諸集団も含まれています。1999年1月の国務省での私の声明の前に始まった継続中の調査は、他の多くと同様、グローバル・リリーフ基金、テキサスのワディー・エル・ハージ、ニューヨークのアリ・モハメドを含んでいました。
私が誤った情報を出したと、具体的なことを出さずに彼らが非難することに注目してください。他の人達が既にそのようにし始めましたけれども、具体的なことを与える責任は私にはありません。『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事を例に取りましょう9 。私がしたのとまさに同じ話題を、そして、調査中の幾つかのムスリム組織を名指したことまで報じていました。私の目的は、幾つかの集団の不幸な無法行為と、法を遵守するムスリム多数派の間で区別をつくることだけだったのです。
その後、私がCIAやモサドの代理人であるとか、その他何でも言うことによって、どのように彼らが私を疑おうとしたかに気づいてください。結局は真実が常に出てきます。アメリカのムスリム共同体全体が、彼らの最善の権益のために誰が働いているかという現実がわかるように、私は祈っています。
MEQ:その証拠に、『アトランタ・ジャーナルと憲法』誌は、FBIがあなた自身に対する電話や電子メール経由の「死の強迫という報道を再調査して」10いると報告しています。そしてまた、あるイスラーム組織の従業員が、国務省であなたを「怖じ気づかせ、辱め、虐めようと試みた」11と、あなたは報じました。何が続いているのですか。
カバニ:これらの攻撃者達が何を欲しているのか、私はわかりません。ひょっとしたら、私を止めさせ、怯えさせるために死の脅しを送ったのかもしれません。もしかしたら、他の人々によって動員された個人からの無責任な行為かもしれません。FBIの代理人は調査していますし、我々もFBIに全面協力してきました。
MEQ:何が、あなたやお宅の組織を「ボイコット」12する要求をイスラーム組織にさせていると思われますか。
カバニ:ボイコットはありません。もしあるとするなら、我々の政治的成功と共同体が、ボイコットでこの試みを支持しました。彼らは広告主達に、我々の定期刊行物『ムスリム雑誌』をボイコットするようにさせました。この雑誌は穏健な声を体現していて、アメリカでは最良のイスラーム雑誌だと考えられています。でも、神は偉大なるかな、その努力は実りませんでした。私達は今、国内の売店で頒布し、日々、より多くの購読者がいます。
MEQ:「ムスリムの反テロリスト協議会」を結成する意図を発表されていましたね13。これは何ですか。
カバニ:その目的は、この国でイスラームのために善き穏健な声をつくり出すことです。
MEQ:この組織は存在しますか?
カバニ:まだですが、将来には希望しています。
中東政治
MEQ:サッダーム・フセインを含めるか、あるいは倒しさえするアメリカの努力を支持されていますか、それとも反対されていますか?
カバニ:私達が信じるのは、いかなる政権であっても独裁的になる時、そして民や取り巻きの人々を管理したがる時、この政権が実際の、そして将来の犠牲者達にとっての善を求めて行くために、努力が参集されなければならないということです。我々が信じるのは、アメリカが他の国々と共に、サッダーム・フセインを管理するためにしようと努めているのは、大変よい努力だということです。ただイラクの人々がこれらの制裁の犠牲者にならないことを確かにすることが、重要ですね。
MEQ:あなたが対イラク制裁に反対されている記録がありますが、もし米国政府があきらめるならば、バグダッドを巡って、どんな影響力がありますか。
カバニ:外交政策の専門家では全くありませんので、戦略を提供することはできませんが、わかっているのは、現存するものに何か間違いがあることです。本当に知っているのは、これらの制裁措置でイラクの人々が死んでいることです。その一方で、サッダーム・フセインはすばらしく健康ですがね。
MEQ:イスラエルとアラブ人達の間の交渉について、どのように査定されますか。
カバニ:和平プロセスが前進するよう皆が努めていますし、2001年11月までには完了するでしょう。もし、全ての側が対処法で道理をわきまえるならば、この問題は終わるでしょう。
MEQ:これらの努力を支援されますか?
カバニ:もちろんですとも。和平協定と平和的な解決で終わる、あらゆる努力を支持していますよ。シリア、パレスチナ、レバノン、イスラエルが、それぞれに諸権利を得てね。
MEQ:エルサレムのために係争中の主張の解決は、どうご覧になりますか。
カバニ:エルサレムが大問題になるだろうとは思いませんね。両者が合意に証明すればすぐに、エルサレムは容易に解決されるでしょう。この対決がまもなく終わるよう、皆が平和と幸福のうちに暮らすよう、強い関係をつくり上げるよう、神に祈ります。
1 1998年8月12日放送『アメリカの声』エド・ワーナー「イスラームの将来」
2 1419年シャワル月/1999年1月号『ムスリム雑誌』
3 4:59
4 1999年1月7日米国国務省における公開フォーラム「イスラームの極端主義:合衆国の国内治安にとって存続可能な脅威」
5 1999年5月1日付『サンノゼ・マーキュリー・ニュース』
6アメリカ・ムスリム政治協同協議会(AMPCC)、アメリカ・ムスリム同盟(AMA)、アメリカ・ムスリム協議会(AMC)、アメリカ・イスラーム関係協議会(CAIR)、ムスリム公共問題協議会(MPAC)、北米イスラーム・サークル(ICNA)、北米イスラーム学会(ISNA)、米国カナダ・ムスリム学生協会。
7 1999年夏号『ムスリム雑誌』p. 94
8 1999年夏号『ムスリム雑誌』p. 95
9 2000年2月19日付 『ニューヨーク・タイムズ』
10 1999年3月13日
11 1999年3月2日付 『ワシントン・タイムズ』
12 1999年4月2日付「100のムスリム組織がムスリムとイスラームに関する攻撃を続けたカバニを非難する」(1999年2月25日声明で地元の多くの組織と同様に同じ署名者によって発布された)。
131999年4月15日付『ロサンジェルス・タイムズ』