『オリエンタリズム』は、英語でよく打ち立てられた意味を有している-つまり、エドワード・サイードが時々採用する意味の、西洋人による東洋文化や言語や人々についての学究研究のことである。しかし、彼は主にその語を二つの他の方法で使用しており、両方とも彼にとってオリジナルである。
- 詩文、散文、哲学、政治理論、経済学、帝国主義行政の思い出を含める、東洋/西洋の区別をする全ての著述
- 「東洋について、占有し、再構築し、権威を持つ西洋の型」「東洋を支配する意志という一種の西洋の投影」あるいは最も単純に「東洋への西洋アプローチ」というメンタリティ
換言すれば、サイードの主題は、西洋人とその他の人々との間の関係構築における西洋人の態度や役割より、西洋の学術研究とはあまり関係がない。東洋そのものに関してよりも、東洋にまつわる欧州と米国の権力に関してもっと述べていると、彼は論じる。彼の見解では、アカデミックな知識でさえ、この欧州占有「によって、どういうわけか染まり、印象づけられ、侵害されて」きたのだ。政治的な帝国主義は、欧州と東洋の間の関係のあらゆる側面に、油断のならない、しかし巨大な影響を与えてきている。この政治的な文脈が西洋人の東洋見解を無効にするが、それは、ある不真実な状況を描いているのだ。
アカデミックで想像的で政治的な著述における資料から事例を引きながら、サイードは欧州の優越感、東洋が不変のものだと欧州が見ていること、東洋人に対する権力行使の特権を打ち立てている。彼が強調するのは、西洋の見解の永続性と三章に分けている彼の批評である。多かれ少なかれ、19世紀以前に対応する「オリエンタリズム」の始まりは、19世紀の評価と20世紀の継続である。
西洋人達は固定観念の傾向があり、他の諸民族を誹謗するという彼の基本的な仮説は、論駁できない(サイードのスタイルが誇張され、彼の組織が滅多切りされるにつれて、それが理解されうる限りにおいて)。実際、サイードはその問題に焦点を寄せることで奉仕を演じている。というのは、気づきが修正に先行しなければならないからだ。西洋のメタファーは変化しなければならない。固定観念は解かれなければならない。そして、自己満足は除外されなければならない。もし正確にオリジナルでなければ、この洞察の心髄は健全で重要である。
だが、彼の証拠のごまかしが、その深い不備と同様に、その本の劇的な効果を創り出す一方で、サイードの議論は歴史と常識を犯す。より特別には、『オリエンタリズム』における議論は誇張され、その説明は誤っている。これら二つの批判は、結局は二部になった。私は、全体として『オリエンタリズム』に対する4点を論じよう。
Ⅰ.学問を除外する「オリエンタリズム」
「東洋学」は、一般には文献学、言語や言語に伴う文化の修得で始まると理解されてきた。東洋学者達は、写本を入手して校合し、本文を編纂し、説明を比較し、諸版を跡づけ、最終的に知的構築を創り出す。東洋学は、遠隔の歴史や文化についての知識体系を構築する、詳細な努力を含む。
サイードは、ヨーロッパの学者達による長く大規模で印象的な努力を無視し、凝視を一般化、要約、特徴化、思いつきの悪口に限定している。それはしばしば、学術事業とは何ら関係もなく、東洋学者の体系のほんの小さな部分を形成していることだった。この偏狭な要素を「オリエンタリズム」と呼ぶ時、彼は不当にも、崇高で永続的な学術伝統を酷評している。
II. 英国人、フランス人、アラブ人以外の全てを除外する「オリエンタリズム」
サイードは英国人とフランス人の作家のみを取り上げ、他の欧州諸国の作家達を無視している。彼はオリエンタリズムを「東洋への西洋アプローチ」と定義するが、彼の本はただ、アラブ・ムスリムに対する英国人とフランス人のアプローチだけを見ている。その一方で、ドイツ人、ロシア人、イタリア人は数えられていない。まるで、彼らの著作が単に英国人とフランス人の模倣であるかのようだ。他方、彼は、欧州の著述にある中国人、インド人、アフリカ人を、まさにアラブ・ムスリムとして見られたことを含意しつつ、無視している。
彼はこの狭いフォーカスを二つの理由で正当化している。英国人とフランス人の「パイオニアの資質」という思想と「本物の資質、一貫性、大衆」である。だが、これら二つの理由は、実は、サイードのスキーマに合致する不徳な仕事で、文化を避ける不十分な言い訳である。ドイツ人は、「初のセム系言語」と称せられた文献学的な非常に多くの仕事で、パイオニアであった。19世紀を通して、ドイツの学問は、オリエンタリストの学問の多くの分野で顕著だった。それで、それを省略することは、サイードの知見の適用性の多くを減ずる。彼は、ドイツは帝国的なネットワークを全く持たなかったので、「オリエンタリスト」の型に合致しないと認めさえする。
サイードの東洋は、より部分的でさえある。というのは、英語で、通常セネガルから日本までのすべてを指す用語であるのに、彼は中東のアラビア語を話すムスリムに限定しているからだ。本書中で脱線したインド、イランあるいはトルコについての参照は、アラブ系ムスリムについての発展概念をただ強化するのみだ。なぜ、これらの人々だけなのか?多分それは、サイード自身が(ムスリムではないものの)アラビア語話者だからだろう。そして、ヤーセル・アラファトのパレスチナ解放機構の支援者だからだろう。恐らくそれは、アラブ系ムスリムが、彼のスキーマに最もよく合致するからだろう。欧州の彼らとの関係は、他のどの非西洋人達との関係よりも、より長く、より大きな苦悩と共に続いてきた。
1500年よりも前に、キリスト教の欧州人達は、欧州外の人々について唯一の主要なブロックを知っていた。大半はアラビア語を話すムスリムである。二つの宗教は比較できるが競合する世界観を持っていた(両方とも、ユダヤに根源があり、普遍的な熱望を持つ倫理的な一神教主義である)。イスラームをキリスト教の詐欺あるいは異端と見なして、(多くのキリスト教徒達がイスラームに改宗した)その成功を恐れて、キリスト教徒達はイスラームに対して巨大な敵意を持った。そして、ムスリムと陸や海で戦った(十字軍、スペインの失地回復、オスマンの脅威は、これらの中で最も可視的なものだけである)。
対照的に、非ムスリムの東洋人達に対する欧州人達の態度は、特に南アジアと東アジアの人々に対しては、1500年の後に始まり、より善意が関与していた。欧州人達がヒンドゥ教徒、仏教徒、神道の人達と遭遇した時、彼らは高度に文明化した非ムスリム達を見出してワクワクした。これらの他民族との関係は、特にもし彼らがキリスト教を受容したならば、卓越したものであったかもしれない。
サイードは、ムスリムに対する英国人とフランス人の態度の特例を選別した。そうすることで、彼は典型的な欧州と東洋の関係ではなく、恐らくは最も極端に憎悪的な関係を選択してしまっている。彼が、その他の全ての関係がこの関係を模倣したと仄めかすことは誤っている。彼の知見が正しいとしても、欧州の少数派のみと東洋の小さな部分のために奉じるだけだ。恐らく、ドイツ人達は中国を、ちょうど英国人がエジプトを理解したように見なしたが、そのように推測する理由は何もない。
それ故に、サイードはその話題に関して読者を誤導している。彼は主張することよりも少なく扱っている-どっしりとした文献学的な事業ではなく、霞のかかった一般化を、「東洋への西洋アプローチ」ではなく「英国人とフランス人のアラブ・ムスリムへのアプローチ」 を。彼の分析は、だから、なぜ英国人とフランス人が優越感の態度を発展させたかという説明に失敗している。
III. 西洋の興隆を無視
サイードは、アラブ・ムスリムに対する英国人とフランス人の態度は、傲慢、人種差別主義、目的論、誤った二項対立、誤った提示の悪臭を放ったと打ち立てる。学者達が何か言ったことは、ナイーブな行政者達と同等だ。そして、品位を落とした態度はあらゆる著述を浸透した-常軌を逸した人達によるものでさえ。
しかしながら、ホーマーの時代まで遡って、優秀性という欧州人の大風呂敷と同様に、欧州人と東洋人の間の欧州の二項対立を記す時、彼はこの合意を説明し損ねている。もし、この態度が数千年間存在したならば、彼が授けた『オリエンタリズム』は、その自負心の強い19世紀の欧州人の態度をどのように格別に説明するのだろうか? そして、顕著には中国人であるが、優越心をも感じている他の諸文明についてはどうなのか-なぜ彼らもまた、「オリエンタリスト」見解を奉じなかったのか?現代の英国人とフランス人がアラビア語を話すムスリムを劣等で不変だと考えることを引き起こしたものは何だったのか?
多くのことが起こったが、サイードは何も言及していない。要するに、鍵は、事実上、人間の努力の全分野における、欧州の驚くべき優越性だった。1850年から1914年までのヴィクトリア朝のクライマックスの建物は、英国とフランスは、ほとんどどこにおいても侵略し、ほとんどあらゆる生活空間で優勢となった。欧州の競争相手なしの経済力と軍事力は、新技術、機械、組織と共に、日本、中国、東南アジア、インド、アフリカ、そして(もちろん)中東における政治的な権威と伝統的な方法を転覆させた。数世紀という期間に及んで、他者をめぐる彼らの激しさがこれまでになく広がるにつれて、ヨーロッパ人達は、ますますより多くのことをすることができた。
特に英国人とフランス人は、彼らが正しくしたことを説明するために、グローバルな成功に対する説明を必要とした。しかしながら、彼らの畏怖の念を起こさせる権力は、 その成功を説明する試みを傷つけた。権力と富の愚かなアンバランスが愚かな知見へと導いた。彼らは、一次的な現象としてではなく、永続的な事実として、自らの卓越を見るようになった。だから彼らは、欧州の成功を説明するために、静的な文化的、宗教的、民族的な理論を募った。ギリシャの遺産、キリスト教、欧州の地理、冷たい気候、より大きな脳などである。 そのような知見は強調するに耐えるものだが、独自に、あるいは手当たり次第に発展しなかった。新たな束の間の物質的な環境(高くそびえる優越性)や知的伝統を持続しないこと(時代遅れの東洋/西洋の二項対立)が『オリエンタリズム』を説明する。
IV. 最近の変化を無視
だが、20世紀が経過するにつれ、特に第二次世界大戦以来、西洋の無敵の力は、永遠の優越性という自身と共に、色褪せていった。非欧州人が欧州の技術を利用するにつれて、その権力と富を共有する。西洋に影響を与える諸決定が、東京、ハノイ、テヘランにおいてさえ、もっとなされるので、非西洋諸文明がより印象的に見える。サイード自身パレスチナ人であり、コロンビア大学の英語比較文学のパール教授職を占めていること自体、欧州文化を採用し、それに成功した非西洋人を例示している。そして彼の『オリエンタリズム』は、これらの技術がどのように欧州に敵対しうるかをきれいに要約している。
西洋の権力が比較的低下したことが確証するのは、欧州の現代の成功が特定の歴史的状況の結果であり、先天的な優越性からではないことだ。この低下が、文化相対主義をまことしやかにする。欧州は今や、最も近時にかつ最も素晴らしくその時を享受した、幾つかの大文明の中のただ一つのように見える。日々、東洋対西洋の二項対立はあまり意味をなさなくなる。(日本はどこに適合するのか?)
このような諸変化が、サイードの呼ぶ「オリエンタリズム」が低下したことを意味するのだ。もし全く絶滅するなら、その前提は一世代全体が低下し、そして全ての体面あるいは重要性を喪失してしまう。他の諸文明を専門とする学者達は、宗教的民族的な至上主義を否認する先陣に立っている。非西洋の歴史は、(「東洋の専制政治」という概念は機能しない)大きな諸理論なしに経験的に研究され、 (かつてはそうだったように、動かずに、それそのものが循環するよりもむしろ) 発展すると見られている。非西洋諸文化は尊敬され、名誉でさえある。
サイードは、どういうわけかこの変化を見逃した。19世紀の態度は今日でもいまだに広まっている、と彼は主張する。この馬鹿げた仮説を証明するために、彼の結章は、今日、英語で書いている多数の人物を引用する。ほとんど全ての場合、その意味が幾分きわどい引用を意気揚々と探し当てながら、サイードは自分の「オリエンタリスト」のスキーマに合致するよう歪曲する。ムスリムの民について著名なプリンストン大学の歴史家であるバーナード・ルイスの場合、この問題を例証する。ルイスは' thawra'について書いた。アラビア語の「革命」である。
古典的なアラビア語の語根'th-w-r'は、(例えば駱駝が)立ち上がることを意味した。扇動されること、あるいは興奮させられること、従って、特にマグリブの使用法では、反逆することである... 名詞'thawra'は、第一義的に興奮を意味する。その表現において、中世の標準的な辞書の"Sihah"で引用されたように'intazir hatta taskun hadhihi'l-thawra' 「この興奮が静まるまで待て」-非常に適切な提案である。
上記の二文で申し立てられた性的な暗示を巡るサイードの発作は、充分に引用する価値がある。
ルイスの'thawra'と、駱駝が立ち上がることと一般的な興奮との連想(そして諸価値に変わる闘争との連想ではない)は、ルイスにとってアラブ人がめったに神経症的に性的な存在以上ではないことを、普通以上にずっとより幅広く暗示する。革命を描写するために彼が使う語彙表現のそれぞれが、セクシュアリティに染まっている。奮起させ、興奮させ、立ち上がることである。だが、大部分、ルイスがアラブ人に帰すところの「悪い」セクシュアリティである。結局、アラブ人達が本当に真剣な行為のために準備されていないので、彼らの性的興奮は、駱駝の立ち上がりが高貴ではないのと同じなのだ。革命の代わりに、アラブ人達は、前戯、自慰、膣外射精しかできないというものだ。それと同程度に、扇動、ささやかな主権の樹立、そしてより多くの興奮がある。
サイードの歪曲は露わにされている。皮肉にもサイードは、自分が呼び起こす「神経症的に性的な」アラブ人であることを、自身で暴露している。
何事も時と共に変化しなかったと主張することによって、『オリエンタリズム』で正しくもサイードがけなす非歴史性は同じく有罪である。彼もまた類型を構築してしまい、変化に動じず、歴史の外にそれが存在すると主張する。「オリエンタリスト」の知見は、現実の代わりに書物に依存する「原文固執」と彼が呼ぶもののために、何世紀間も生き延びたと、彼は主張する。東洋人達が実際にすることを誰も確認することに煩わされないので、それによって、特権化された知見が自ら不朽にし、自己確証するのだ。別の皮肉では、サイードは自らテクストに制約された人であり、彼を取り巻く世界秩序の大変化を無視した。サイードが正しくも、東洋人達は静的で不変だと欧州人達がみなしていると責める一方で、彼はこの罪を犯す人である。彼の努力が「原文固執」そのものを始めているのかどうか、疑う。
結論
『オリエンタリズム』は痛みで叫んでいる。サイードが暴いているものは、飾りっ気のない不満であり、彼の著作は僅かに恨みを晴らしている(証拠として、反ルイスの段落を再読せよ)。悲しみよりも怒りでもっと多くのことを書きながら、サイードは、彼の個人的なネメシスのために、カタルシスとして、陳腐な世界観に対して暴言を吐いている。不備ある、見かけ倒しの、欺きの彼の企画は恥辱であり、無視されるに値する。
--------------------------------------------------------------------------------
1979年12月17日追記: サイードの『パレスチナ問題』の出版で、『オリエンタリズム』が、アラブ・イスラエル紛争に根づいた単なる知見を、より大きなカンバスに拡大しただけだとわかる。