今週、二人の同業者がイラク戦争を議論していた。彼らが反ブッシュであることはコメントからわかっていたので、温厚な方法で反対意見を出そうとして、あたかもエア・フォース・ワンから降りたばかりのように、彼らの方へ歩いて行った。そして、挨拶した。「アメリカに神のご加護を」。
幸いにも、私は友人達の中にいた。しかしながら、必ずしも誰もが、それほど祝福されているのではない。
3月10日、ハーヴァードの教授(ママ)で親イスラエルのコメンテーターであるダニエル・パイプス氏が、ロンドンのユダヤ・コミュニティー・センターの満場の会館で語った。去る1月に開かれたヨーク大学での彼の講演は、300名の抗議に遭ったので、警備上の心配もあった。
1995年にパイプス氏は書いている。「ほとんどの西洋人達に気づかれないまま」「欧州と米国に一方的に戦争が宣言されてきた」。その正当理由なき攻撃者は、戦闘的イスラームだと、彼は言う。
9.11以降、パイプス氏は売れっ子アナリストである。テレビのトーク番組に定期的に出演しているが、論議を招く評判である。
しかしながら、今夜、彼が対象とするのは、あるとすれば、イスラエルと西洋であった。
パイプス氏によれば、アメリカは致命的な過ちを犯した。アラブ世界がイスラエルの存在を受諾したと考えている。実は、パレスチナに対するイスラエルの譲歩は、いまだにイスラエルを破壊しようとしているアラブ世界によって、弱さの行為だと考えられている、と彼は言う。
イスラエルでさえ、時々、その罠に陥ってしまった。1993年のオスロ合意から2000年まで、パイプス氏が言うには、イスラエル政府はアラブ攻撃を抑止しようとするのをやめた。例えば、イスラエルの北方回廊地帯からの撤退は、レバノン人によって、南の隣人が「蜘蛛の巣のように弱い」というサインだと解釈された。
その結果、イスラエルが望んで大きな譲歩をしようとしたのに、パレスチナ人達は、先のキャンプ・ディビッド提案に関心を示さなかった。
しかしながら、2000年以来、イスラエルは俄かに活気づいてきた。パレスチナの暴力が、もはや功を奏しなくなり、パレスチナ国家という機会が、さらに遠のいているからだ。それでも、とパイプス氏は言う。イスラエルを破壊しようとする望みは破棄されてはおらず、その事実が政策転換を要求している、と。
第一に、パレスチナ人がイスラエルを承認するまで、パレスチナの最終的な地位について話すべきではない。第二に、アラブ人が心を入れ替えるまでは、いかなる種の譲歩もすべきではない。最後に、早急な解決策という考えは放棄されるべきだ。
例えば、アラファトを置き換えることは、誰かをより悪い方へ引き入れることかもしれない。そして、西岸からの一方的な撤退は、イスラエルの敵による「次はハイファだ」という思考を奨励するだけだろう、と。
パイプス氏が言うには、イスラエルのための唯一の真の救済は、アラブ人のイスラエル粉砕の望みをゆっくりと間断なく壊す過程だ。必ずしも暴力によるのではないが、イスラエルが自らを防衛するという決心によってである。
親イスラエルの立場であることを考えると、パイプス氏は驚くほど寛大な精神を、パレスチナ人達に対して持っていた。イスラエルとの和平は、一つには、パレスチナの経済社会の利益のうちにあるだろうと指摘したのである。「パレスチナ人は、熟練した威厳のある人々です」と彼は言う。1945年以降のドイツのように、反シオニズムから解放されれば、多くを成し遂げられるかもしれない人々だ、と。
熟練した威厳のある人々だって?ムスリム移民の成り行きに関する一つの講演のために、前回のコラムでパイプス氏の動機を問うたので、私がパイプス氏に期待していたのは、彼がほとんど激怒するだろうということだった。だが当時、私は彼に会ったことがなかった。本人自らの話を聞くと、パイプス氏は反ムスリムではなく、親イスラエルだという印象を与える。
いまだに、私は彼の分析が正しいのかどうかわからない。アラブ人の心に、イスラエルがここに留まるべきことを確信させなければならないのかどうかは、私の知識を超えている。もしかしたら、誰の知識をも超えているのかもしれない。そして、パイプス氏の心が密かに憎しみで一杯なのかどうかも、私は言えない。
それでも、誰かにとってそれほど悪しざまだとするならば、彼は驚くばかりに寛大で、節度がある。ある友人が途中で言ったように、「市議会で道路改修工事を議論しているように、彼は話す」。
土曜日の『フリー・プレス』では、編集者のラリー・コーニースが次のように書いている。「建設的に、いや懐柔的な方法で、深く抱いた意見を表現する能力を試す日々だ...」。
同感だ。しかしながら、もしパイプス氏が正しいなら、非懐柔的かつ建設的でもあることが、可能であるし、時には必要だ。