「ムスリムのエルサレム要求」で、十四世紀の行程を巡り、エルサレムのムスリム関心は、本質において、宗教的というよりはもっと政治的な傾向にあったと私は論じた。私の論点の一つは、その管理下で町の重要性を拡大するために、カリフがエルサレムにモスクを建ててアル・アクサと呼んだ、西暦七世紀のウマイヤ朝に奪われた複雑な早技に関わった。こうすることで、彼は、アル・アクサと呼ばれた所へ夜分に行っている預言者について語るクルアーンの一節を遂行したのだった。夜の旅がムハンマドをエルサレムのアル・アクサ・モスクへ連れて行ったという、今となっては昔の信仰を引き起こしつつ、そのトリックは機能した。
もちろん論理的には、クルアーンが伝えられた65年後に建てられたモスクは、クルアーンで描写された夜の旅について、ムハンマドがどこへ言ったかを我々に語ることはできない。私の論考文は、アル・アクサの場所の代替だと考えられるアラビア半島の二つの場所、メディナとジラナ(Ji'rana)を記している。
ここでは、エルサレム外でアル・アクサに相当するものの参照を集めよう。
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コラムニストのアフマド・ムハンマド・アラファは、(中東報道研究機関(MEMRI)に訳された)週刊新聞『カイロ』("Al-Qahira")に公表した記事で、ムハンマドがエルサレムへ旅したという教義と対論している。例えば、1930年代の仲間のエジプト人ムハンマド・アブ・ザイドの解釈のような初期の解釈を想起しつつ、その代わりにアラファは、メディナへムハンマドを連れて行った不思議な旅を論じている。(2002年9月3日記)
"mostmerciful.com"というウェブサイトは、日付なしの項目で、ムハンマドが聖木の近くで地平線の最高の地へ行ったのだと論じている。 (2008年6月26日記)